序章

第一話 転移

二〇二五年 一月一日

 

 年の終わり、そして始まりを告げる除夜の鐘が響く真夜中。その街の人々は有名な歌番組でも、お笑い番組でもなく、窓の外を見ていた。

 

 とても真夜中とは思えない明るさが広がる外の景色。

 

 その光は徐々に強くなっていき、やがてあたり一面が真っ白に染まった。

 

 一人住宅街を歩いていた青年、古谷奏斗もその光に包み込まれた。


 約五分間ほどそうしていただろうか。顔を両腕で覆い、光から目を背けていた俺は空気が変化したのを感じる。瞳孔が閉まり切った目を少しずつ慣らしていくと、いつも通りの住宅街が見えた。

 

 ……しかし大きな違和感。あたりからは家の住民が騒いでる声が聞こえてくる。そして肌は砂が混じったような乾いた風を感じる。


 そしてなぜだ?周囲は薄暗い程度で真夜中とは思えない。ついさっき除夜の鐘の音を聞いたばかりなのに。

 

ふと空を仰ぐ。


「は……!?」

 

 真っ赤に染まっていた。視界いっぱいに広がるのは寂れた荒野を連想させるような空。見える範囲全てが赤い。


 「どうなってるんだ………これ」

 

 一層騒がしくなる喧騒。そして渦巻く疑問。携帯を取り出してニュースサイトを開こうとしても、案の定目に映るのは圏外の二文字。

 

 こんなの……ありえないだろ………。

 

 急に周囲が光で染まったと思えば、それが消える頃には空が赤く染まり、通信障害まで発生。それにさっきから汗が止まらない。ダウンジャケットの中が蒸れて仕方がないのだ。気温まで上昇しているのか………。

 

 ダウンジャケットを脱ぎ始めたその時、恐ろしい轟音が俺を現実に引き戻した。そちらの方向を見ると……ビルが………崩れ落ちている。

 

 正確には高層ビルの中腹あたりから先が大破していた。すさまじい量の黒煙が上がっている。そして続け様にあちこちから轟音が鳴り響く。  

 

 目に映るのは炎の波や激しい竜巻。まるでゲームの中で見た魔法のようだ。こんな遠くからでも目立つのは、それほど大規模だからだろう。

 

 破壊されている。この街が。

 

 流石に急展開すぎる。アメリカに裏切られた?それともなんだ、エイリアンの侵略か?

 

 まずここは日本なのか?こんな真っ赤な空見たこともないし、海外でもこんな所があるのか疑わしい……。

 

 地球じゃないなんてことがあり得るのだろうか。  

 

 火星か、あるいは月か、他の惑星か。今のところ呼吸は普通に出来ているし、重力も普通だと思われる。やはり地球のどこかか、それとも………よくアニメとかである異世界というやつなのか。

 

 そんなあるはずもないことを考えている間も、破壊は続けられている。あちこちから音が鳴り響き、その範囲は徐々に広がっていた。

 

 この辺りが攻撃されるのも時間の問題だろう。

 

 周囲の住民もぞろぞろと外に出てくる。誰もが遠くを見据え、何かを呟きながら呆然とその情景を見ていた。

 

 到底現実とは思えない。

 

 俺の生存本能が体に訴えかけてくる。

 

 逃げないと……。

 

 そう思いたっても、周囲はどこを見ても煙が上がっている。逃げる場所なんてどこにもないのかもしれない。他の人たちもただ破壊されていく街並みを眺めていたり、パニックになっているばかりで動こうとしていない。

 

 そのとき、前方の曲がり角あたりからたくさんの悲鳴が響き渡り、すぐに消えた……。

 

 体が強張る。次はここなのか………。

 

 

 角から謎の大きな物体が出てきた。

 

 それはのっそりとした速度で徐々にその巨体を覗かせる。

 

 姿が見えてくるにつれその全貌は明らかになった。

 

 大きさはまさにカバくらいで体の表面は硬そうな皮膚に覆われている。顔は爬虫類のようで、首が結構長い。口からは硬く鋭そうな歯が覗いている。その口には何かが咥えられていた。

 

 それは………その人はこちらに助けを求めるように手を伸ばし、そして砕かれた。その恐竜の口からは多量の血液がこぼれ落ちている。奴の眼光がこちらに向く。

 

 え………、なんだあれ。

 

 そいつは予想していたものと全く違うものだった。

 

 てっきり戦闘用の大型戦車か、あっても戦争用に開発された武装マシンか何かだと思っていたが……。

 

 実際に現れたのはおおよそ恐竜と言えるような化け物。こんな生物はもちろん見たことはない。全く現実感がない。頭が混乱で渦巻く中、ただ一つ分かっていること………。

 

 このまま突っ立っていたら確実に死ぬ。

 

 俺が走り出すのと、あの恐竜が動き出すのはほぼ同時だった。後方にはあの巨体からは想像できない程のスピードで迫ってくる恐竜。無理無理無理無理………!

 

 周りの人たちはその様子に驚愕しつつも、ほとんどが俺と同様に逃げ始めた。中には腰を抜かして倒れ込んでいる人もいる。

 

 俺はそんな彼らを気に留めず、ただ恐怖に動かされるまま走った。

 

 そして交差点に差し掛かる。そのまま直線に突っ切りたいところだが、人の波が左方向に流れていた。あの時間帯だったからか、みんな軽装でほとんど荷物を持っていない。

 

 なんで家から出てきたのかと思ったが、この周囲の家はほとんど破壊されていた。建物の中でも安全は保たれていないらしい。

 

 二体目の恐竜が右側から覗いている。まさに人を捕食中だった。二人同時に。

 

 そして前方からも奴の顔が出てきたのを見ると、瞬時に人の流れに乗って左側に逃げた。

 

 周りから押され、背中を掴まれ………必死に脚を動かした。背後からの悲鳴や骨を砕く音に恐怖し、限界まで逃げ続ける。

 

 その時、絶望の悲鳴が前方から届いた。恐竜はその首を鞭のように振り回し、大勢の人を吹き飛ばしている。


 彼らは建物の外壁にありえない勢いで叩きつけられた。その中の一人が後方まで飛んでくる。

 

 俺の真横にいた人を巻き込むと、そのまま嫌な音を立てて動かなくなった。その人たちを容赦なく口に入れている。

 

 ………終わった。前方からはさらにもう一体出現し、後方からは三体が今もなお、人を捕食しながら迫っている。

 

 もう逃げ場はない……のか。

 

 そう絶望しかけた時、突然建物の奥から大きな音が響いた。破壊の音ではなく、もっと乾いた感じの…………あれは……発砲音か? 


 先ほど人が叩きつけられた建物はまだ壊されていない。そして反対側に抜け出せる庭がある。

 

 行くしかない………!

 

 あの恐竜に銃なんかが効くとは思えないが、他に頼れるものはない。俺は一縷の望みを賭けて進み出した。

 

 棒立ちの人たちを押しのけて、これから捕食されるであろう潰れた死体を乗り越える。悲惨な現場に目を背け、恐怖に体を震わせながらも、体は未だ生を求めて動いていた。

 

 時折り足元に水溜りを踏むような感覚が走る。しかしそれはいつもよりドロドロで、足に纏わりついてくる。

 

 ……ようやく辿り着いたそこには、俺と同じように庭に侵入しようとしている小柄の女性がいた。ゴミ回収ボックスの上に乗り、塀を乗り越えようとしている。しかし腕力が足りないのか体を持ち上げられていない。


「速く!」

「え……?」

 

 正直無視して先に行きたかったが、足場になりそうなものが置いてある場所はそこしか無かった。他に乗り越えられそうな場所はない。

 

 俺は迷わずそこに近づく。


「行きますよ!!……せーのっ!」

 

 俺はその人の足を固定して、思いっきり持ち上げた。その人は塀の奥に手をかけると、足をジタバタさせながらもなんとか向こう側に行った。

 

 俺も速く行かないと間に合わない。

 

 ボックスに登り、塀に手をかけ、体を持ち上げる。膝を塀に乗せようとした時、


「待って!!」

「うお!?」

 

 そこには俺の足を掴む一人の女性がいた。


「死にたくない!」

 

 彼女の顔は真っ青で、服は血だらけだ。その虚ろな目は焦点が定まっていない。手は筋張っていて、強い力で抑えられている。……このままじゃ、塀を超えられない。


「後で引き上げるんで離してください!」

 

 それでも彼女は離そうとしない。顔は無表情で………聞こえていないのか?

 

 今も徐々に徐々に奴らが人を食べながら迫ってくる。

 

 俺は足を大きく動かして、半ば蹴るような形で彼女の手から逃れた。

 

 彼女は尻餅をつく。と同時に横から奴の首が伸びてきた。それは彼女の頭をすっぽり咥えると、強烈な顎に力を加え始める。


「ぁああぁぁぁああ!!?………………」

 

 恐ろしい悲鳴はその後一瞬で止まった。

 

 捕食を続ける恐竜。俺はそれを呆然と眺めていた。

 

 その鋭い眼光がこちらを見据える。


 俺が……、殺した…のか………?


「速く!!」

 

 すると、体が少し浮く様な感覚。釣られるように上を見上げると、それは恐竜の口内ではなく、懸命な表情で俺を持ち上げようとする少女の姿だった。

 

 俺は我に帰ると、少女の助力を借りながら塀を乗り越え始める。

 

 背後から鳴る体を噛み砕く音と荒い息遣い。恐怖を煽る音でありながら、それは今が安全であることを知らせていた。それが止まった時、奴の口の中には俺が入ることになるだろう。

 

 足が滑るたびに、焦りが増していく。

 

 俺が塀を乗り越えきる時と奴の捕食が完了するのは同時だった。

 

 転がり落ちるように地面に倒れる。

 

 塀のこっち側には木箱やら何やらが積み重ねられていて、少女が俺を持ち上げるために置いたのだと分かった。


「速く行こう!!危険です」

 

 敬語とタメ語が組み合わせに少し違和感を覚えつつも、俺は少女の手を取り立ち上がった。


「……助かった」

「いや、お互い様です」

 

 その瞬間、轟音が響く。

 

 塀を頭から突き破った恐竜が、こちらを見おろしていた。

 

 互いに情けない悲鳴を上げながら俺たちは庭を越え、反対側の道の方に逃げ出した。




 

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