この世の果てみたいな中心の最下層で

 まずったな、と思った。

 訳も分からず連れて来られた異国の地。

 見知らぬ言語が飛び交う雑踏の中に、気付けば俺は一人きりになっていた。所謂、迷子というヤツだ。

 せめて目的地が分かるなら単独でそこに向かえばいいのだが、それも知らない。船から降りる時に何か言われた気もするけれども。

 でもまあ、そこまでなら大した問題じゃない。

 ここに自分を連れてきた人の顔は憶えているし、簡単な英語くらいなら話せるし、此処は英語圏ではないようだけれど、大きな街っぽいし英語が話せる人などそんなに珍しいものじゃないだろう。

 問題だったのは、だ。

 英語が話せる人を探そうと大通りから一歩踏み入れた道が、あまりにも猥雑で雰囲気がよくなかったこと、そして、道端に蹲る小汚い身なりをした少年と目が合ってしまったことだった。


 俺と同じくらいの年齢だろうか。

 少年は灰色の頭巾の隙間からこちらを伺うように睨みつけている。何かを確かめるような、探っているような目の動きだった。

「おい」

 徐に少年が口を開いた。相変わらずこちらは見つめたままだ。

「……俺、ですか?」

 慌てて母国語が口から出てしまい、これじゃあ通じないと思って左の人差し指で自分を指さす。万国共通のジェスチャーだ、多分。

「お前、迷い者か?」

 俺の焦燥はよそに、少年の口から紡がれた言葉は俺と全く同じものだった。

 いつの間にか後退っていた足が、道端の空き缶を倒す。金属の、冷たい音。

「え、なんで言葉」

「その髪色で分かる、俺と同郷だろ?」

 薄く笑いながら少年は頭巾を取る。俺と同じ銀髪が宙に揺れた。

「で? お前はやっぱり迷子なんだな?」

「えと、多分そう、です。船で俺を連れてきた人とそこの道ではぐれちゃって」

 両脇に屋台の連なる大通りは、人で溢れかえっていた。その屋台の一つを眺めているうちに、筋肉質な男性や背の高い女性、華奢な少女に立て続けにぶつかって、気付いたらスーツ姿の男性らを見失ってしまったのだった。

「まあ毎年この季節は祭りをしているからな。はぐれるのも無理はない。それよりお前、どうしたら奴らの場所に行けるかとか考えてねえよな?」

「え、考えちゃ駄目なんですか?」

「駄目に決まってんだろ。……お前まさか、なんでここに連れられたのか分かってねえのか?」

「分かってない、です。俺は何のためにここに連れて来られたんですか?」

 俺がそう尋ねると、少年は急に言葉を濁した。

「あんま言いたくないんだけど。なんていうか、人間とは思えないようなことをするぜ、あいつらは」

「人間とは思えないって……なんですか、俺は殺されたりするんですか?」

「殺しで満足するならいいけどなあ。むしろさっさと殺される方が楽なまである。ま、奴らが人を殺すことに何も感じないのは事実だろうけど」

 急に重たくなった話に、訝しさが勝る。少年は尚も口を閉ざさない。

「俺も何年か前に連れて来られたけど、ここで学んだことはそのくらいだよ。あいつらは俺たちを同じ人間だなんて思っちゃいない。これだけが真実だ」

「ならどうして、貴方はこんなところで生きているんです? 見た感じ直近で何か酷いことをされた形跡もない」

「逃げ出したんだよ。でも島から逃げ出せる術なんてないからずっとここにいる。奴らもそれを分かってるから、俺をわざわざ捕まえに来たりしねえんだ。奴らが恐れているのはこの島の存在が公に暴かれることだけだし、一人子どもが消えたくらいで大して困らない。お前みたいなのをどんどん拉致してくるからな」


「俺、それでもやっぱり、あの人たちが貴方の言う程悪い人たちだとどうしても思えないんですけど」

「それは騙されてるんだな」

「でも、船の中で本当に良くして頂いて」

「そりゃそっちのが後に絶望や恐怖を与えられるからに決まってんだろ。お前、本当に何も知らないのな」

「…………学校でも、世間知らずと言われたことはあります。あんまり自覚はないんですけど」

「そういうところだよ」

 少年は微笑を漏らした。その笑顔がどうしてか哀しく見えた。

「行きたいなら別に行けばいいけどな、お前の人生だしお前の責任だし。でも、同郷の者としてはオススメしないぜ。死んでいいことなんて一つもない」

「ええと、じゃあ、一回行ってみて、やばいなって思ったら戻ってきてもいいですか?」

 迷いながら、幼稚な妥協案を声にする。

「どうしてお前はそんなに奴らに固執するんだよ。別に、それでいいけど。俺はきっとここにずっといるし」

 はっきりと諦めをその瞳に浮かべて、少年は俺に問う。

「あの人たちは、俺を見つけてくれたんです。俺は、それに応えたい」

「そうか」

 短く相槌を打って、彼はズタ袋から布の塊を取り出した。

「お前、肉食えるか? さっき焼いたやつがあるんだけど」

 文脈から考えて、布に包まれているのが焼きたての肉らしい。腹は決して満腹とは言えないし是非とも食べたいけれど、とある台詞が脳をちらつく。

「あー、肉は食べるなって言われてるので」

「……そうか。じゃあ俺が食う」


「あの、忠告を無視しといてあれなんですけど、俺はどこに行ったらいいと思いますか?」

 妙に赤黒い、一目では肉と思えない物体を喉に流し込んでいる少年に、ちょっと遠慮をしながら話しかける。情けない話だけど、俺が今頼れるのは彼しかいないのだ。

「あの一番大きい塔分かるか? あれを目指して進んでいけば奴らがいるだろうよ。あいつら、子どもがいれば自分たちが連れて来てないやつでも攫うからな」

「ありがとうございます」

「おう、幸運を祈ってるぜ」

 少年の声を背に、俺は大通りに足を戻した。

 これから先の人生に何があるのかなんて分からないけれど、あの少年ともう一度、今度はもっと穏やかな会話ができたらいいと心から思う。



「アイツ、逃げ出せんのかな」

 暗い路地裏に、少年の呟きが反響する。

「いや、良い奴そうだったから無理か」

 少年は当てもなく歩き続ける。ただただ、人に見つからぬよう。

「出来るだけ苦しまねずに死ねるといいんだけどな。まあ無理だよな。あいつらの目的は苦しませることだもんな」

 少年は自分の腹をまさぐる。幾つもある傷痕の中で一番大きいものをそっと指でなぞって、息を吐く。

「生まれ変わって、こんな場所があることも知らずに平和に生きていけたらいいんだけどな。あーでも神様なんていねえから生まれ変わりとかないか」

 少年の足音は段々遠くなって、そして遂には聞こえなくなった。



 これは、ある孤島での他愛もない話。

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