彼女についての話

 彼女は綺麗な人だった。

 ゆるくウェーブがかかった髪と小さな唇に、白いワンピースがよく似合っていた。

 大学一年の春に僕らは出会い、友人として一年間過ごした後、大学二年の夏に恋人となった。僕からの告白だった。

 好きです。付き合ってください。

僕のそんな拙い告白に、彼女は何度か瞬きをしていた。それが彼女の驚いた時の仕草だということは、その時既に知っていた。だから、僕は少しがっかりした。

でも、彼女はいつも通りのあのぼんやりとした声で「いいよ」と言ったのだ。



 そして僕は、自分があまりにも彼女について知らないと気付かされた。

 好きな色や誕生日、出身地などの情報は知っている。勿論だ。

 僕が知らないのはその理由。好きの訳、嫌いの訳。彼女の心について何も分かっていなかったのだ。

 散歩をするのが好き、と前に彼女が言った時、僕はただ「愛らしいな」としか思わなかった。じゃあ今度僕も連れて行ってよとか、でも夜は危ないからやめてねとかそんな反応しか返さなかった。彼女の根本には触れてこないようにしていたのだ。


 きっと、多分、どこか無意識のうちで意識的に。



 付き合う前から僕はずっと、彼女に対して理想を抱いていたのだ。いつもいい香りがするだとか、ピンク色が似合うだとか、そんな童貞が女子に対して抱くような幼稚な思い込み。

 でも僕は一応経験があるし、そんな理想通りの女子は存在しないって知ってた。彼女がどんなにいつもいい香りがしたって、どんなにピンクローズの口紅が似合ったって、それはいつか打ち砕かれると分かっていた。

 だのに彼女は、いつも僕の理想通りに振舞いをしていたのだ。理想を口に出したことなんて一つもないのに。

 今なら分かる。僕はきっとこう思ってしまったのだ。

 ならば、ずっと夢を見ていたっていいじゃないか、と。



 昨日、彼女の細い左腕を掴んだ時の彼女の表情が脳から離れない。痛みを堪えるかのような、思わず申し訳なくなってしまう表情。

 僕は、彼女がセックスの時にいつも灯りを消してと言う理由の一端に触れた気がしたのだ。

 所謂リストカット、自傷行為ってものじゃないの、その傷ができた原因は。そんなに、掴んだだけで痛くなるほどに自分を傷つけたの? どうして? 

 そうやって優しく問い掛けたかった。

 勿論、彼女に引いたとかそんなことはなくて、ただ彼女の綺麗な体に傷がつくのは嫌で、それだけだった。何か悩みがあるなら、相談してほしいと思った。僕に言いたいと思える話ならば、だけど。話題が何であれ、きっと僕が彼女を嫌うことはないだろうし、僕は彼女の味方でいる自信があるから。

 でも、そんな台詞を、彼女の痛みにずっと気付けなかった僕が言える訳ないのだ。


 彼女のことは好きだ。今までも、これからも好きだ。

 でも、今僕の頭を今占めているのは、ただただ罪悪感だった。僕の態度が、彼女に期待していると思わせていたらどうしよう。彼女を追い詰めていたらどうしよう。

 それを考えるとどうも情けなくて仕方なくて、自分を殺したくなるのだった。

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