家族

 また、泣き声がする。

 甲高い悲鳴も聞こえて、父の怒鳴り声も聞こえて、ドアが荒々しく閉まって、勢いよく鍵がかけられる。

 何もできない私は、そっと一連の音だけを聞いてこぶしを強く握る。


 これが、最近のモーニングルーティーンだ。笑えないね。



 ただ、単純なことだけだったのに。

 アトピー持ちの妹は、丁寧に育てられて、我儘な性格になった。特にお母さんに強くあたった。

 父は、お母さんのことが自分の娘よりも好きだった。別にイチャついたりする訳じゃないけれど、私たちの両親は俗に言うおしどり夫婦だった。夫婦喧嘩もたまにあるけど、友達から聞くような深刻なものではなかった。

 父は多分、妹のことが好きではなくて、それ故、妹の行いがあまりにも酷いと手を挙げるのだろう。

 そして私もお母さんが大好きで、何回もお母さんを泣かせる妹のことが好きになれなくて、結果的に妹のことを一番愛しているのはきっとお母さんで、根底にある感情は全部間違いなく愛だったはずなのに、どうしてこの家では今誰も笑ってないんだろうね。

 妹は、玄関の外でまだ泣いている。十二月の今日は風もあって寒いだろうに、意地なんか張ってないではやく入ればいいのに。

 それではやく、お母さんを虐めてもいいことなんてないって学習すればいいのに。


 いいやきっと、妹もお母さんのことが好きなんだろうな。過度なあたりの強さは甘えの裏返しなんだと思う。お母さんなら自分の事を嫌わないだろうという甘えで、横暴に振舞ってしまうんだろうなって思う。その気持ちは分からないでもない。妹はお母さんに気を許している、けれどその方法が違うのだ。どれだけ愛していたって、やり方が間違っては伝わるものも伝わらないよ。


 お母さんもはやく妹のことを嫌いになっちゃえばいいのにって、実は心のどこかで思っている。

 家族は愛するべきもので、特に子どもは親が守るべき存在で、みたいな常識と言う名の義務。そんなの、はやく捨て置いて楽になればいいのに。自分を傷つける存在を守らなければいけないなんて、生物として間違ってるよ。

 そうは言っても、私が妹を嫌いきれない理由だって「家族だから」だし、世間体に縛られているのは私だって同じだった。


 そしてその一方で、私は妹に共感してしまってもいた。

 だって、気持ちが手に取るように分かってしまう。

 言いたいことを伝えるには言葉が足りなくて、語彙を懸命に探していると早く返事をしろって言われて、お父さんは怖いし、いつも守ってくれるのはお母さんだし、そりゃ甘えも出るよ。

 だから、お母さんに拒絶されたら、もう希望なんてなくなっちゃうよなって思う。

 そんな非道徳的な提案、私にはできない。だって、曲りなりも私たち、家族じゃん。


 七時四十六分を指す。時計の針。

 家は最悪五十五分に出れば間に合うから、なんて適当な言い訳をして、そっとハサミで腕を切る。

 だって、妹がこんな我儘になった原因は私にだってある。


 私が小さいときは、父はまだ若くて、私を叱る元気があった。食事のマナーとか親に対する態度とか言葉遣いとか、色々躾けられたし沢山怒鳴られた。

 でも妹が生まれた時は父もお母さんも四十代で、大きな声を出す元気なんてなくて、私が叱られたようなことも容認されていた。

 私はなんで? って思ったけど、仕事で疲れている父に更に疲れさせるようなことは言えなくて、ずるいなあなんて思いながらそっと眺めてた。

 もし、私が親の代わりに妹を叱っていたら。

 妹はもっと好かれる性格をしていたんじゃないのかな。

 私の拙い想像でしかないけれど、そう思わずにはいられなかった。この現状を変えられたはずだって、そう思い込みたかった。私たちにはちゃんとハッピーエンドがあって、今いるのは選択肢を間違えた果てのトゥルーエンドなんだって信じていたかった。

 救いさえもなかったなんて、そんなの生まれてきたことを恨むしかなくなるでしょ。世界を恨んで生きづらくなるよりは、自分を恨んで自分を変えながら生きていく方がいいじゃん、きっと。


 左手首に盛り上がる鮮血を、ティッシュでそっと吸い取る。

 そのままギュッと抑えて、気持ちだけ止血。新しくできた傷痕はワイシャツ、セーター、ブレザーと三重に隠して、家を出る為リュックを背負った。

 妹はまだ外にいるのかな、私が出る時に上手いこと言って中に入れた方が良いよね。

 時計の針はちょっと進んで、七時五十三分を示している。まあ、走れば間に合うか。


 涙と鼻水でカピカピになった妹の顔を、ハンカチで拭く。学校に着いたらハンカチを交換しよう。忘れた時用にリュックのポケットに入れてあるハンカチが役に立ちそうだ。でも今は時間がないから、学校で。

 泣いている妹の顔を見る度、無性に謝りたくなる。

 一人っ子だった私が弟妹が欲しいなんて言わなかったら、貴方は生まれなかったのかな。だって、生まれてこなかった方が幸福だったでしょう? 

 私がもっと聞き分けの悪い子だったら、貴方はもっと生きやすかったのかな。もっと私を育てるのに苦労したなら、父もお母さんも子育てが上手になったでしょうに。



 ああ、誰かに言っちゃいたいな。私の親、虐待しているかもしれないんだって。まあ、ご近所さんにはバレてるんだけど。

 でも相談したところで、きっと友達は私は悪くないよって慰めるんでしょ。それなら、私が悪いままでいいよ。全責任私でいいよ。ちゃんとお姉ちゃんをできなかった私が悪い、それでいい。

 だって、誰も悪くないのにこんな歪な形になる訳がないじゃん。

 私が悪くないなら、他の家族の誰かが悪いってことになるじゃん。

 お母さんを虐める妹は悪いよ。すぐに手を挙げる父も悪いよ。妹を刺激するようなことをすぐに言うお母さんも悪いよ。でも、妹が我儘なのをちゃんと躾けられなかった私が一番悪いし、良い子だった私も親の為にならなくてすごく悪いよ。


 ――知ってる、知ってる、全部分かってる。

 責任を被って楽しいことなんてない。自分を責めて嬉しいことなんてない。本当は私は悪くないんだって、私が一番分かってる。無理矢理責任を自分のものだって主張してるだけだし、その理由も後付けばっかで苦しいものなんだってちゃんと理解してる。でも自分の所為だと思っていないと、他の誰かを責めてしまいそうなんだよ。

 だって私、家族のこと愛していたいよ。

 マンガやテレビで見かける他の家のように、仲が良い家族でいたかったんだよ。本当はね。

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