短編その五 別れの準備
今から話すことはね、僕が大学生だった時の授業で先生から聞いた話なんだけどね。何年前になるのかな……もう20年も経つのか。あの時、この話を聞いてすごく考えさせられてさ。話の内容からこう表現するのはとても
その先生は普段ね、大学病院で医者をしていてさ。外科だったか、内科だったかは覚えてないけど、ガンの告知とかもしてたんだって。そういうの伝えるって、すごく嫌な役回りだよね。
先生に「嫌な役回りですね」って言ったら「最初は嫌だったけど慣れた」って返されたよ。告知される方は人生で初めての事が
他にも先生の中に医者が何人かいたけど、変わった人が多かったなあ。特に外科の先生は変わった人がすごく多かったよ。人の体を切ったりつなげたり、血も死も当たり前に見るから真っ当な感覚じゃなくなるだろうなって。話を聞いててそう思ったよ。
ああ、横道に
40才って言ったら働き盛りで、家族が居るとしたら、子供はまだ大きくないよね。たしか、妻も同じくらいの歳で、子供は小学生二人とかそんな感じだったかな。これが映画とかなら、お
40代でガンの死亡って時々あるんだよ、って先生は言ってた。見知らぬ誰かが若くしてガンで死んだとしても関係ないし、そういうこともあるんだなあ、だよね。思っても自分はそうなりたくないなとかかわいそうだな、とか。
でも自分とか身内の場合は違って、まさか、そんな悲劇、どうして自分が、になるんだよね。悲しいとか受け入れられないとかで混乱や絶望しちゃうだろうね。
その男性はさ、ガン細胞の転移と若さもあって急激に悪くなっていって、ガン告知から延命治療をどうしますか、ってところになるまで三ヶ月くらいだったって。
若くして死ぬなんて考えただけでも恐怖だよね。よくよく考えたら、今の僕はその男性くらいの年齢になってるわけだ。改めて考えさせられるよな。
で、
延命をしなければ生きても一ヶ月くらいの見通しです。
延命をして三ヶ月から半年くらいの見通しです。
ざっとこんな感じだったと思う。
家族はそれを聞いて、すかさず延命をお願いしたんだって。延命措置の内容はその時いくつか言ってた気がするけど、はっきり覚えてないや。
多分、たしか……心臓が止まった時にする心臓マッサージとか、人工呼吸装置とか生命維持装置とかそんなだったと思う。あとは抗がん剤の治療の継続とか、痛みの
男性の家族は交代で病院に通って、お別れの期間を一生懸命に面倒を見たんだって。男性は家族から愛されていたんだな、って感心したよ。
一ヶ月だとしても三ヶ月だとしても、突然のガン告知から別れの時間としては短いよね、なったことないから想像だけど。その間、男性はずっと末期ガンで辛かったり痛かったりなんだろうし。
きっと延命って言ってもね、そのうち死ぬのがわかってて面倒見るのもつらいと思うんだよ。見られる側もか。
強くなった痛みを軽くするためにモルヒネとかの医療用麻薬を使うこともあるけど、吐くとか、稀に幻覚が見えたりする場合があるって。そんなことも言ってた気がする。
苦しくて痛くて辛いのわかってて、でも別れの時間は、気持ちの整理の時間なんだろうね。それにどっちにしますかって言われてやらなきゃ、見殺しみたいって思ってもおかしくないしさ。
うん、話はまだ続きがあるよ。
半年くらい経ったあとに、男性の奥さんから「先生、夫はあとどのくらい生きるのでしょうか?」って聞かれたんだって。それに対しての返答は「わかりません、本人次第です」だった。
とうとう男性が亡くなった時に、死亡診断のために病室に入った時の家族は涙を流してなかったって。
先生が死亡時刻を読み上げた時に
「やっと死んでくれた……」
って疲れ切った顔の奥さんが言ったってさ。
男性はね、二年弱も生きたんだって。その間に短い涙のお別れ期間ではなく、いつまで続くのかわからない介護地獄になってしまったんだろうって。
先生はこの件がきっかけで、延命や生命維持装置について、とても難しい問題だと思ったって。つけるのは簡単だけど、つけたら外すことが難しいってさ。
だから、君たちの家族につける場合は覚悟しろよ、ってね。いい授業だったよ。
どうして外すのが難しいかって?
そりゃ、外したら死ぬのわかってて外せるか、外すってことは死なす、殺すってことだから。それが近いうちに死ぬ人だとしてもね。
僕は当時すごく考えさせられて、すごく面白いなって思ったんだけど
どうかな、君は面白かった?
ああ、そうかもね。僕も多くの死に触れて、外科の先生たちに近くなってしまったのかもしれないね。
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