短編その四 最期の酒

 俺は目の前で横になっている祖父に話しかけた。


 これがジイさんと飲む最期さいごの酒になるな。初孫の俺が成人して初めて一緒に飲んだ時「孫と酒を飲む夢が叶った」ってすごく喜んで飲みすぎてたな、懐かしい。

 飲みすぎはいつものことだったか。そのせいでバアさんに文句言われて毎日ケンカしてたよな。最後はいつも「お前は本当につまらない女だな、話にならない」って風呂に行ってた気がするよ。

 よくもまあ毎日毎日、同じ内容ことでケンカできたよな。毎回飲みすぎるジイさんもだけど、毎回文句言うバアさんも……どっちも学ばなかったよね。


 一度だけ親父がケンカを止めに入ったら「夫婦のレクリエーションだから口を出すな」って突っぱねたよな。バアさんまで「あんたには関係ない」って親父に言ってさ。あのあと親父は激怒してたよ。

 これが夫婦喧嘩は犬も食わぬってやつか、一周まわって愉快だったよ。それ以来、二人のケンカはそのままさせておくのがいいってわかったよ。


 新しいものや新しいことが好きで、パソコンとかデジカメも触っててさ。確定申告もオンラインでやろうとして、困って俺に教えてくれって言ってきたよな。まさか、バアさんより先にボケるなんて思ってなかったよ。

 ジイさんがボケはじめたの、最初に気づいたのはお袋だったな。俺も、ジイさんの車が結構ボコボコだったの見た時に怪しいな、って思ってたけどさ。免許返納の時も最後まで未練と文句たらたらだったけど、車ぶつけた事を思い出せなかったから観念したんだったよな。

 家族からしたら、いつ人身事故を起こすかヒヤヒヤだったから仕方ないよ。さいわい、車がなくても生活に大きく困らない立地でもあったしさ。


 一緒に住んでなかった俺は詳しく知らないけど、風呂場で転んで頭から血を流して救急車を呼んだとか、肝臓がん見つかったとか。お袋から話を聞かされてたけど、そりゃあ八十歳を超えてれば仕方ないって。食べない割に、よく頑張ってるほうだと思ったよ。


 親戚が集まってワイワイするの好きだったよな、ジイさん。バカみたいに酒飲んで、真っ赤な顔して、陽気に喋って。そうかと思えば眠くなったら黙って風呂に入って先に寝るって、自分勝手な人だなっていつも思ってたよ。

 そんなジイさんに似てるって、親戚から言われる俺も自分勝手な人間なんだろうな。確かに似てるところあると思うけど、嫌いなところ似てるんだよ。まあ俺はジイさんの好きなところ、ほとんどなかったけどさ。

 

 ボケ始めた頃に88歳までがんばりたいって言ってたけど、食事の様子見てたら無理だろうなって思ってたよ。嫁や娘だけじゃなく孫からも言われて「はい、わかりましたよ」の返事とは裏腹に変わらなかったもんな。

 若い頃に胃の半分を切除せつじょしてるから、たくさん食べられない。ジイさんが言ってたのを思い出したよ。そうじゃなければ米寿べいじゅとその宴会の願いが叶ったかもね。

 

 衰弱すいじゃくしてきた頃に、栄養補助食品えいようほじょしょくひんを飲んでいたりしたね。それでも水を全然飲まなかったから、どんどん弱っていった。そんな中、バアさんが「これなら飲めるかしら」と言って日本酒を持ってきたのは滑稽こっけいだったな。

 あれだけ毎日毎晩、それが原因でケンカをしていたのにさ。いよいよとなれば「好きだったから」とか言う。だったら元気で楽しめる時に気持ちよく飲ませてやればよかったと思うよ。ジイさんもそう思わないか?


 ジイさんが飲み食いしなくなって数日後にお袋から、点滴をするって話を聞いたんだよ。話を聞く限り衰弱による【自然死しぜんし】だと感じたよ。だから脳内麻薬のうないまやくとか幸福を感じるホルモンが出てるんだろうなって。

 だから見た目は苦しそうでも大丈夫、点滴する方が辛くなるからやめた方がいい、って助言したら「決まったことだから」って。あれほど「延命はしない」って言ってたはずなのに。

 俺は治る見込みのない人に行う点滴は延命だと思うんだよ。何もしないことを見殺しだと感じ、人でなしだと思われないための看取る側のエゴだよな。自分たちは何かした、っていう。


 案の定、針を刺した手の甲は内出血で真っ黒。痛みもかゆみも苦しさも戻ったらしく、お袋から「あなたの言うとおりだった」って。でも、俺が見聞きした事が身内から証明されたのは為になったよ、痛かったのは俺じゃないしね。

 

 86歳までよく頑張ったと思うよ。80歳過ぎても仕事をしてたし、税金を納めることに意義を求めてた。立派だったと思うよ。


 明日は人生初の火葬だから楽しみだろう、ジイさん。


 しきたりで寝ずの番をやることになったけど、昔と違って寝ていいらしいんだ。死んで一週間も経つから、息を吹き返すこともないだろうしさ。そろそろ寝るよ。おやすみ。

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