短編その二 タイムリープ

 ……ここはどこだ……

 俺が寝ているのはベッド、部屋を見回すもそれ以外の家具は三段に積み重なったクリアケースのみで、中には衣類が入っている。掃き出し窓についているカーテンは開いている。


 ベッドから出ようとするも、柵のようなものがある。簡単に抜けそうだが、体がどうにも言うことをきかない。ガタガタと柵を動かしながら引っ張りようやく外れ、ベッド脇に腰をかける。

 

 「はぁ……」


 体の節々ふしぶし、筋肉の動きが悪い。頭の働きもかなり鈍い。ベッド脇で少し休んでいると、部屋の扉が開いた。


 「おはようございます、中村さん」


  見た感じ若い女性は、部屋に入ると同時に明るく挨拶をしてきた。


 なぜこの女性は俺のことを知っている?

 ここはどこだ?

 体が言うことをきかないのはどうしてだ?

 家族は知っているのか?

 仕事は大丈夫なのか?


 様々なことが頭にめぐるが、うまく言葉として出せない。女性のポロシャツに名前らしき漢字が書いてあるが、読めない。


 「中村さん、起きる時はこのコール押してくださいって何度もお願いしてますよね。これです、これ」


 女性は俺の手を取り、何かを手に握らせた。コールというものなのだろう。


 「朝食の準備ができているので、いきましょう。着替えますよ」


 次の瞬間、俺の着衣は女性によって脱がされた。手際よく着替えさせられ、手を引かれて部屋の外に向かった。もう、何が何だかわからない。どうして知らない場所で知らない人にこんな扱いを受けているのか。混乱しすぎて全く言葉も出ない。


 部屋の外に出ると、俺以外にも人がいた。みな老人だ。車椅子の人、よだれを垂らしてぼーっとしている人、目を閉じたまま座っている人。どうしてこんな老人ばかりのところに俺が……。


 「仕事に行かなきゃ」


 ようやく一言、ひねり出せた。そうだ、仕事に行かなきゃ。


 「大丈夫です。お仕事は今日お休みですよ。さあ、朝食をどうぞ」


 どうして俺の仕事が今日休みなどとわかるのだろう。決めつけたように言い、食事が用意されたテーブルに誘導された。促されるまま食事を食べようとしたその時、お金を持っていないのではないかと不安になった。


 「お金持ってない」


 「息子さんにもらってますから、大丈夫ですよ」


 払っているのならよかった。目の前に置かれたスプーンを持ち、食べ始める。手に力が入りにくく、妙に疲れる。俺のこの状況や多くの老人たちがいることからここは病院か、それに似た施設だ。

 それにしても払ってくれたのは息子だと言ったか、サトルはまだ小学生なのにどうして払えるのだろうか。それでも払ってくれているのならいいか。


 手が疲れてしまったので朝食は半分くらいでいいか。そこそこお腹にもたまった。さて、ここがどこかわからないから、ちょっと見てまわろう。


 「中村さん、まだ食事中ですから立たないでください」


 先ほどの若い女性だ。


 「ごちそうさま」


 短くそれだけ言って歩こうとすると、女性は焦った表情で近づいてきた。


 「危ないからまだ座っててください、食事ももっとちゃんと食べてください。お願いします」


 なんなんだ。なぜこの女は俺に色々なことを押し付けるんだ。言葉は丁寧に聞こえるが、まるで命令じゃないか。


 「いらない」


 色々言ってやりたいことがあるのに、言葉が出てこない。


 「わかりました、手伝いますね」


 女性は俺がさっきまで使っていたスプーンを取り、それでお粥をすくって俺の口の隙間を狙って押し込んできた。

 有無を言わさない強制力と手際の良さに圧倒され、いつの間にか完食させられてしまった。


 「はい、ごちそうさまでした。片付けますね」


 さて、俺は何をしようとしてたんだったか。そうだ、家族に連絡を取ろうとしていたのだ。妻の名前はなんだったか、ユキエ、そうだユキエだ。


 「ユキエに連絡をしたい」


 「中村さん、奥さんは何年か前に亡くなったって言ってませんでしたか?」


 え?

 ユキエが死んだ?

 何を言ってるんだこいつ、ユキエは昨日も生きて俺を仕事に送り出してくれた。それを何年か前に死んだと俺が言った?


 「トイレ行きたい!」


 突然、近くから叫びが聞こえた。思わず視線を向けると年寄りが頭を振っていた。女性が「トイレ行きましょうね」と連れて行く姿を見送った。

 俺もトイレに行きたい気がしてきた、トイレはどこだろう。椅子から立ち上がり、歩き出そうとするも力が入らない。テーブルを伝い歩きすると少しだけ慣れたのか、歩ける気がしてきた。


 「中村さん、どうしましたか。あっ、危ない!」


 すぐ近くから急に声をかけられたせいで、よろけて転びそうになった。声をかけてきた女性は、俺の体を支えてくれた。


 「ありがとう」


 「中村さん、トイレですか?」

 

 「いや、家に帰ろうと思って」


 「中村さんの家はここですよ」


 俺は混乱している間にトイレへ連れていかれて、用を足した。

 すっきりしたあとはテレビを見続けた。

 

 ***


  ……ここはどこだ……

 俺が寝ているのはベッド、部屋を見回すもそれ以外の家具は三段に積み重なったクリアケースのみで、中には衣類が入っている。掃き出し窓についているカーテンは開いている。


 部屋の外から女性二人の話し声が聞こえてきた。


 「中村さん、最近ひどくなってきたよね、入って来た時はそうでもなかったのに、急にだよ」


 「あー、わかる。足の運びも悪くなってきたし、認知症にんちしょうも大変になってきたよね」


 中村さんとは誰の事だろう。

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