あなたがこれからゆく世界 〜人生の終わりは綺麗でありたい現代人たちへ〜

きりんのにゃーすけ

短編その一 私は迷惑をかけたくなかっただけなのに

ーーどうしてこうなっちゃったのかしら。


ーー私は子供たちにお金の心配をかけたくなかっただけなの。


ーーこんなになってまで長生きするつもりなんてなかったの。


◆◇◆◇


 さかのぼること、五年前。あの日、初冬の寒くなってきた頃だったわね。私は自宅玄関外のほんの少し小さな段差でつまずいて転んでしまって運悪く、左足の大腿骨を折ってしまったの。

 すぐに助けを求め救急車で運んでもらったわ。骨粗しょう症で骨がスカスカだから、自然に治ることを期待するより人工骨頭じんこうこっとうにした方がいいって。折れた骨をセラミックに置き換えるらしいの。お医者様がその方が治りが早いですよって、そう言ってくれたのでお願いしたのよ。


 今の医療ってすごいのね、骨折したのに手術したらすぐにリハビリができるようになったの。今まで通りとはいかないけど、一ヶ月もしたらそれなりに動けるようになって退院できたの。

 骨折をするまではね、夫や子供と生活していた家にいたの、だって思い出がたくさんあるじゃない。子供たちの成長だけでなくてね、夫も急逝だったけど家で亡くなったからね、思い出だけでなく思い入れもあったのよ。


 そうそう、私はその当時では珍しい恋愛結婚だったのよ。学校の先生をしていた兄の同僚と食事をする機会があってね。「声が素敵ですね」なんて褒めてくれて、電話交換手をしていたから声を褒めてくれたのがとても嬉しかったわ。

 夫の怒った姿を見たことがない、とてもとても穏やかな人だったわ。校長まで勤めて定年を迎えた時は、多くの教え子がお祝いしてくれるくらいしたわれていたの。私が妻ではもったいないくらい、自慢の夫だったのよ。

 

 その夫が亡くなってからね、息子夫婦が一緒に住まないかって何度も誘ってくれたの。嬉しかったけど、その頃の私は一人でなんでもできていたし、環境も変わるし、息子夫婦に迷惑もかけたくなかったのね。

 今回ばかりはもう断れなくてお願いすることにしたの。それからは、無理をしないようにって心配してくれて、息子夫婦が至れり尽くせりの上げぜんぜん。本当に優しい息子と嫁に恵まれて、私は本当に幸せだって感謝の毎日だったわ。

 

 今さら言っても仕方ないけど甘えすぎちゃったのね、それがあだになってしまったわ。足の筋力が弱ってしまったのと、座り方が悪かったのね。股関節こかんせつ脱臼だっきゅうしてしまったの、あれもすごく痛かったわ。

 そこから入院、手術したわ。でもね、甘えた結果、筋力がだいぶ弱ってしまっていたの。リハビリをするのが辛くて辛くて……足の動きも戻りが悪くて、介護申請したら介護度がついたわ。


 それからしばらくして退院して、息子夫婦は献身的に私を世話してくれた。でもね、段々と夫婦仲が悪くなっていったの、介護疲れってやつね。

 私がいることであの子たちがそんな風になるのが耐えられなかったわ。介護支援専門員ケアマネージャーさんに相談したら、ちょうど特別養護老人ホームに空きがあるって教えてくれたの。

 全国では待ち順がすごいって聞いたけど、私が住む地域ではユニット型っていう個室の所は金額が高めで需要が少ないらしいの。すごく助かったわ。


 息子夫婦に相談したら、最初はちゃんと聞いてくれなかったの。そんな姥捨山うばすてやまみたいなところには入れられない、って。でも介護支援専門員さんが説明してくれて理解してくれたわ。

 あとから話を聞いたら、入院中だったから介護度が少し高く出たみたいで運良く特養に入れたって。介護士さんたちとのお話は楽しくて、思ったより全然いい場所だったわ。


 息子夫婦もよく面会に来てくれたわ。差し入れも持ってきてくれて、誕生日には外食に一緒に行ったりしたの。

 ひとつだけ文句があるとしたら、やたらと「お茶を飲め」「水を飲め」ってうるさかったことかしら。私は昔からあまり飲料を飲まない生活だったからたくさんは飲めなかったの。


 一年くらい経ったある日、突然のめまいと気持ち悪さが出たから横になっていたの。体の右半分が動かないことを、舌足らずみたいになった口で伝えたわ。すぐに病院に搬送されたの、脳梗塞のうこうそくだったわ。

 発見が早かったおかげで、右半身に麻痺まひが残ったけど命は助かったわ。それでも入院中に体重も筋力も減ってしまって、介護度がまた高くなったわ。


 生きててよかった、ってあの時は心から思ったの。でもね、この時死んでいた方が、よっぽどよかったわ、って今となっては思うのよ。人に頼らなきゃいけない生活はどんどんと私の心をすり減らしていったわ。

 だってね、自分だけでは何もできないのよ。着替えも、食事も、お風呂も、トイレまでも。プライバシーは一応守られてるけど、介護してくれる人に対してはそれもないわ、それは仕方ないのよ。


 介護士さんの中には、頼むタイミングが悪いと表情や態度、ひどい時は言葉や語気に出る方もいたわ。自分では何もできないから頼まないといけない、でも頼むのが申し訳ない。

 そういったものが、ある時からどんどんと鈍くなっていったわ。今思えば、それと一緒に恥じらいや感謝の気持ちも失われていったような気がするわね。


 そうなってくるとね、生きてるっていう感覚が薄れてくるのよ。呆然ぼうぜんと、漠然ばくぜんと、ただ生きているだけなのね。

 食事は私の口の前に運ばれてくるから食べる。トイレも頼むよりオムツの中にしちゃうの。そのうちね、知らない間に出るようになっちゃったわ。

 でもね、一番辛いのはそんな風になってもボケていかない私。色々な感覚がどんどん麻痺していくのもわかるのよ、それでいいやってなるのよ。生気せいきを奪われるように、どんどんとね。


 そのうち私は喋らなくなったの、いいえ、喋れなくなったの。それまで面会に来てくれていた息子夫婦も、足が遠のいていったわ。私のそんな姿を見たくなかったのね、笑えなくなっていたからきっとそうだわ。

 だんだんとむせるようになってきて、熱が出たわ。誤嚥性肺炎ごえんせいはいえんね、年寄りに多いのよ。何度か繰り返すうちに、抗生剤こうせいざいを飲んでも熱が下がらなくなってレントゲンを撮りにいったら入院って言われたわ。

 ずっと水の中でおぼれているような苦しさだったわ。でも、それを伝えることができなかったの。私はその時もうね、全く声を出せなくなっていたからよ。その時はかろうじてうめき声は出せたかもね。


 何度も入院を繰り返して、入院するたびに体重も落ちていって、いよいよ最期の時が来たの。私食事が食べられなくて、終末期しゅうまつきになったのね。看取みとり介護って言うらしいわ、あとは死ぬだけ。

 なんかね、生きてても意味がなくて、こんなに苦しいことを繰り返すのなら、寂しい気持ちもあるけど死ぬのも悪くはないって思ったわ。息子夫婦も面会にあまり来てくれないしね。ううん、来てくれたとしてもこんな私を見られたくない。その恥じらいだけはかろうじて残ってた気がするわ。


 息子夫婦が呼ばれてね、いよいよなのかしら、あとどのくらい生きていられるのかしら。この子たちは私のために泣いてくれるのかしら、そうだと嬉しいわ、なんてほんのり思ったりして。


 でもね、このあと私は生き地獄を味わうことになるの。寝ても覚めても自分では動けなくて、生きるのでもなくてね。自分の意思で何かできるわけでもない、ただ生かされるだけの長い長い日々の始まりだったわ。


 私の胃に穴があけられたわ、胃ろうっていうらしいの。そこからね、液体の栄養剤を私の体の中に流し込むの。知ってたかしら、一回が二時間ちょっとくらいかかるのよ、それを一日三回やるの。食事だけで六時間以上かかるのね。

 でも何も問題はないわ。八時間寝たとしても、残り時間は十時間あるのよ。その十時間、私は自分の力では寝返りもできない体で寝たまま、声も出せない口で呼吸をするだけなの。

 

 人間、何もすることがないと不思議なものね、寝る時間がどんどん延びるみたい。食事もチューブから胃の穴に直接流れてくるのだから、寝ててもいいのよ。便利でしょ。

 とてもとても残念なことがあってね。そんな状態になっても私、周りの声は聞こえて理解はできてしまって、目も開いていると見えてしまったのね。


 最悪よね、何もできないのに、聞こえて見えて理解できるって。それでも私にはひとつだけ救いがあったの、息子夫婦が私に死んで欲しくなくてこうなってるって。それだけ私の存在が大切でしてくれたって。


 ある時、息子夫婦が久しぶりに、本当に久しぶりに面会に来てくれたの。一年ぶりよね、前に来たのも私の誕生日だったもの。

 プレゼントのお花を持ってきてくれたわ。私の誕生日が母の日に近いからって昔からカーネーションをプレゼントしてくれてるの、変わらないわね。


 言葉で「ありがとう」って伝えたいけど、声はもうとっくの前に出なくなっていて伝えられないのがとても寂しくて辛いわ。


 「母さん、表情がにこやかな気がするな。花束喜んでくれてるのかな」


 息子が嬉しそうにそう言ってくれたの、私の気持ちを読み取ってくれてすごく嬉しいわ。母親想いのいい息子に育ってくれて、本当に私は幸せ者だわ。


 「本当ね、笑顔に見えるね。もっと長く生きてもらわないとだもんね」


 息子が選んだ嫁も、私のことを献身的に見てくれたものね。本当を言うとね、こんな風に生かされるのは辛いけどあなたたちの気持ちを考えると、仕方ないかなって思うわ。

 年に一度、誕生日にしか来なくてもね、私のことを大切に思って死んで欲しくないって選んでくれた気持ちがあるって私はわかっているのよ。


 「そうだな、出来るだけ長生きしてもらわないとな。年金から施設の費用引いて、月に十万も浮くんだからさ」


 「うん、私たちのためにも長生きして欲しいわね」


 私が思っていたのとは違う理由だったの。知りたくなかった。知らないまま、死にたかった。でもね、生かされることで息子夫婦の生活が豊かになる、息子たちのためになるのならそれでいいわ。

 そう思えるようになれたの。そうね、一年半くらいはかかったかしら。それに、私はもう、私の意思ですら死ぬことすら選べないの。


 そう、死ぬまで死ねないの。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る