第8話 : 晩ご飯とその後♥と


 家の最寄り駅には目の前に小さなスーパーがある。

 郊外の大型店からすると割高なのだが、帰り道に立ち寄れるのはここしかないので、普段の買い物は一択となる。

 料理はほぼ出来ないが、混ぜて炒めるだけの中華料理の素を使えば俺でもそれなりのものが出来るから一応自炊らしきことはしている。


 会社に置いている鈴華の顔を思い浮かべながら、アンドロイドはそれで幸せなのだろうかと考えてしまう。

 帰る家もなく、充電用のスツールに一人座って朝を待っている姿を思う。人の形をしていなければそんなことは微塵も思わないはずなのに──人間はおかしな生き物だと思ってしまう。


 晩ご飯の支度が終わりかけた頃、玄関のチャイムが鳴った。


「はい、待ってて」


 ドアを開ければ、いくつかのタッパーを入れた袋を持った女がいる。

 この位の時間に家にいる時、それなりの頻度で彼女がやって来る。


「こんばんは、入っていい?」

「もちろん」


 靴を脱ぐ前に玄関でキチンと一礼してから上がってくる。

 礼儀正しいし、両手が塞がっていても所作が美しい。


「それだけじゃ足りないと思ったから作ってきました」

「いつも悪いな」

「全然、好きでやってるんですから」


 そう言いながら、荷物をテーブルに置いたらいきなり唇を合わせてきた。


「いきなりか」

「水琴さんの上書き」

「そんなにしなくても・・・・って、何で知ってる?」

「ランチ時に自分で『鬼城院の唇奪った』って自慢してたとうちの主任が言ってました」


 そう言えばあの二人は同期だったっけ。つまらないところで情報が流れている。


「アイツ・・・・俺は人前で自慢するような相手じゃないだろ」

「そうでしょうか・・・・ビーナス水琴さんが唯一お酒を誘う相手というだけで、充分価値があると思いますけど。ま、そういうことにしておきます・・・・それより早くご飯食べましょ、主任」

「その呼び方はやめろっていつも言ってるだろ」

「はぁ~い」


 嬉しそうな顔をしてタッパーを広げ、あっという間に俺の部屋が料理の香りで満たされていく。

 さっきまで、麻婆豆腐しかなかったテーブルに筑前煮やロールキャベツが並べられ、豪華そのものの食卓になっている。


「「いただきます」」


 俺が用意した麻婆豆腐以外の料理は凄く美味しい。

 全部を今日作った訳ではないと思うが、冷凍食品などとは一線を画したさっぱり系の良い味がしている。


「相変わらず智鶴のご飯は美味しいな」

「へへ、ありがとうございます。頑張った甲斐がありました」


 晴宗智鶴は俺の真下に住んでいる。

 コイツが入社したての頃にそれを知り、お近づきのしるしにとご馳走してから付き合いが始まった。それからこういう期間が随分長く続いている。

 会社では交際を伏せているし、同じマンション住まいだと言うことも知る人はほぼいない。水琴だって同じ建物だということ以外は部屋だって知らないだろう。

 仕事の接点は多少あっても、智鶴は水琴よりもずっと早く出社して、業界紙をチェックしたり、昨日のまとめやら今日の予定やらを社内メールで皆に確認しているのだ。それだけで部署の能率が俄然上がっている。言わば陰の正マネージャーであり、縁の下の力持ちでもある。


 そんな奴なのだが──


「はい、あ~ん」

「今日は積極的だな」

「うん、嬉しいことがあったから」

「?」

「課長代理がね。見た目じゃなくて職場の能率が上がるのが鈴華ちゃんの価値だと言ってましたよね。それが嬉しくて」

「本当のことを言っただけだろ。知ってのとおり俺は美女を作りたかった」

「でも、ひょっとしたらケガの功名かも知れませんよ。美女だけがチヤホヤされるなんて、ちょっと、ですよね」


 智鶴は自分の容姿を知っていて、そこで背伸びをしようとしていない。

 失礼がないだけ程度に外見を整えたら、自分の出来る仕事をきちんとやって、チームである皆の能率を上げることを考えている。

 自分の欲求を上手に抑えて、業務の下支えをする。やれそうで上手く振る舞える奴は少ない。そこは俺も大きく評価している。


 だから鈴華の動きは智鶴の日頃を思いうかべて考えた。行動面と所作のモデルは間違いなくコイツなのだ。


「ふふ、だから私の価値も認めて」


 そう言って缶に両手を添え、俺にビールを勧めてくる。


「もちろん、認めてるよ。仕事ばかりじゃなくてね」

「すごく嬉しいわ。嬉しすぎて・・・・」


 おい、ちょ、待て、まだ風呂に入っていない──シャツに手が触れられ、ボタンを外しにかかる。


「そのままでいいの・・・・」

「そういう訳には」

「水琴さんには負けられないから・・・・唇くらいの浮気は良いけど本気はダメよ。本気は私とだけ、ね」


 裸にされた俺に選択肢はない。

 結局、俺の上で激しく乱れる智鶴の姿を何度も堪能させてもらった。

 下の階から苦情が来ることもないから、遠慮が要らない──


 これで明日の仕事がはかどるんだろうか。

 うん、きっと大丈夫──と言うことにしておこう。

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