第7話
◆
青い波濤が吹き抜ける。
男が飛び退った時、娘の目と鼻の先で力は消える。
まさか吸血鬼も、俺が娘ごと自分を殺そうとするとは思わなかったか。
いや、そこにかけるリスクを正確に判断しただけだ。
吸血鬼の男が壁に着地し、そこを蹴りつけてくる。
接近戦か。
今度は最初から、殺しに来るのが確定している。
俺は左手の指を複雑に動かし、小さく呟く。
「第一封印、解除」
指の動きと声の連動により、瞬間、全身に焼けるような痛みが走る。
組織が開発した人造吸血鬼ウイルス、V2MMが俺の体にも充填されている。吸血衝動がなく、治癒力、感覚など身体能力の強化がこのウイルスから生み出される。
しかしダンピールには諸刃の剣だ。
そもそもからして吸血鬼、V2を破壊する性質を生まれ持って宿しているため、V2MMさえも毒に近い。
普段は活性化させず、人間よりわずかに高い機能を持つ存在でいるだけだ。
しかし戦闘においてはその範疇ではない。
第一封印が解除された俺の体内のV2MMが身体能力を格段に向上させる。
吸血鬼が突っ込んでくるのに合わせるように、刹那で引き抜いたナイフを合わせる。
ただ、相手も予想していた、あるいは経験していたようだ。
ナイフ同士がぶつかり、弾き合う。
吸血鬼が空中で静止。人間には不可能な芸当。
高速の手刀が俺の首をはねに来る。ダンピールとしての能力に手が焼き尽くされる前に、俺の首が飛んで命が途絶えればいい、という判断なのだ。
足から力を抜き、破滅を伴う手刀を回避。耳元を通過していく風切り音には背筋が冷える。
右手の銃が吸血鬼の胸に押し付けられる。
発砲。
銃を掴まれ、強制的に逸らされた。
しかし吸血鬼の脇腹から血が飛沫く。
銃がもぎ取られるが、力比べをする気はない。こちらから手放したようなもの。
もう一方の手の銀でコーティングされた刃の切っ先が、今度こそ本命の一撃として男の胸に突き進む。
貫く。
手ごたえがない。
目の前から男の姿が瞬間、消失。いや、すぐそばに再出現。
圧倒的な瞬発力で刃から身を引き、次にはより高速で間合いを詰めてきたのだ。
この動きを直感的に予想していなければ、俺は死んでいただろう。
「第二封印、解除」
声に先立って指が動いている。
体に走り続けている痛みの強度が跳ね上がる。血管に無数の針が通されてるようだ。
この激痛に集中が乱れば、自滅する。
間合いがほとんどない中で、ダンピールとしての能力、吸血鬼殺しの青い波濤が筋として翻るが、吸血鬼を捉えきれない。
こちらの攻撃をかわしながら、間合いを詰められ、一撃必殺の連続攻撃に俺は晒される。
歯を食いしばり、刃には刃を、打撃には波濤を、合わせていく。
長い爪の先が頬をかすめるが、瞬時に治癒。V2MMは有能だ。この痛みさえなければ。
吸血鬼も無駄口を聞いたりはしない。
お互いに紙一重なのだ。
俺の手がついに吸血鬼の襟首を掴む。
上着が引きちぎられる前に、ほとんどゼロ距離で青い波濤を解き放つ。
一瞬でごっそりと男の右肩を中心にその肉体が燃え上がり、灰に変わる。
跳ねるように男が壁際へ下がる。苦悶の表情で、今も燃え上がる自分の肩の傷口を、ナイフで抉り取っている。
そのナイフには、赤い血がはっきりと見えた。
咳き込んだのは俺で、大量の血が白い床に飛び散り、白と赤のまだら模様ができる。
「片腕と引き換えに命をと思ったが、意外に頑丈なものだな、混血者」
憎悪そのものの声を発する吸血鬼のそばに、その肩の肉が落ち、床で燃え尽きた。
俺は片手でナイフを構えたまま、腹部を抑える。
血が溢れて止まらない。たった今もV2MMが必死に働いている。しかしそれでもすぐには修復できない損傷だった。
呼吸を整えようとするが、それさえもV2MMの活性化による激痛でままならない。
「ちょうどいいものがあるじゃないか」
視界が霞み始める。その中で吸血鬼の姿が消える。気配は、娘の方。
振り向くと、吸血鬼は呆然と立ち尽くしている娘を突き飛ばし、床に転がる小瓶を拾い上げた。蓋を捻じ切るように開けると、奴はその中身を一息に口の中に流し込んだ。
俺は呼吸を意識する。
とにかく、事態は俺にとって悪い方へ進んでいる。
吸血鬼の右肩のあった場所で何かがうごめいた時、そこから見る間に腕が再生された。
男が肩をすくめてみせる。
「こんなものを持っている方が悪い」
その通りだよ。
瓶が投げつけられるのを避けた時には、目の前に吸血鬼が立っている。どうやら最初以上に状態がいいらしい。
「そろそろ死ぬ頃合いじゃないかね、混血者くん」
吸血鬼の手にはナイフ。
最後の最後まで、俺には触れたくない、ということか。
裏切り者の子なのだ、わからなくもない。
避けようとするが、痛みで足がいうことを聞かなかった。
全身を痙攣させるほどのV2MMの活性化の副作用と、腹部の常人なら死んでいる重傷。
よろめいた俺の胸を、ナイフが一直線に刺し貫いた。
昨日の比ではないな。
血液が喉を逆流し、口から溢れる。
その飛沫が目の目に立つ吸血鬼の頬に触れ、音を立ててその肌を焼くが、ちょっとした火傷だ。見ている前で、吸血鬼の皮膚は修復された。
「さらば、愚かな混血者くん」
愚かか。
違いない。
(続く)
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