第6話
◆
結局、移送先の郊外にある屋敷へたどり着く前に、警察署に向かう羽目になった。
組織からの通達が警察に届くまで、警察官の追及をかわすのが大変だった。
何せ、俺たちは武装していて、高圧ガス銃とはいえ、銃を持っているとなると、警官が目の色を変えるのも自然なことだった。
それとひっくり返っている車の中には棺が入っており、それが奇妙な端末付きで、パスワードを入力しないと開封されないとなると、警官もさすがに躍起になるというものだ。どうも、棺の中には死体などなく、銃器か麻薬でも詰まっていると思っているようだった。
まさか吸血鬼化して一日と過ぎていない娘が入っているとは思わなかっただろう。
とにかく、ひたすら黙秘して、ややコンプライアンスに問題のある、普通の人間ならビビって何でもペラペラしゃべるような脅迫じみた取り調べをやり過ごした時には、時刻は日が暮れる頃になっている。
結局、組織が手を回したのだが、警官は完全に不服そのもので、しかし署長を名乗る人物はへこへこと頭を下げ、俺たちを見送っていた。もちろん、その顔の笑みは作り物めいていた。
そう、組織が新しい護送車を手配してくれたのだが、運転手は重傷で闇病院に搬送され、助手席にいた男もまだ具合が悪そうだった。結局、車はあっても、移動は危険と判断するよりない。
またバイクで突っ込んでこられても困るし、吸血鬼相手に夜の移動は単純に危険だった。
というわけで、この街に用意されているセーフハウスに俺ともう一人で棺を運んだ。自動車で地下駐車場に入り、そこから棺をさらに一階層地下の空間へ。
ストレッチャーに乗せられたままの棺を開封してやると、不機嫌そのもので、例の娘が起き上がった。
「なんか、死ぬほどひどい扱いをされた気がしますけど」
「吸血鬼なんだ、そう簡単には死なん」
俺は身振りで仲間の男を外へ出した。まだ具合が悪そうだが、仕事はしてもらわないといけない。彼は無言で頷いて外へ出て行く。彼はダンピールではない、普通の人間だ。吸血鬼の相手は俺の方が適任だろう。
「お腹が空いたんですけど、何かありますか? 菓子パンでも、おにぎりでも」
意外にわがままな娘だ。
「こいつでもかじってろ」
俺は組織から届いた荷物から、小さな小瓶を投げ渡しておく。娘はお手間玉のようにしながらも、それを受け止めた。
「なんですか? サプリメントですか? こんなのじゃお腹が空いちゃいますよ」
「馬鹿言うな。それはサプリメントじゃない、血液を錠剤に変えたものだ」
中身を取り出して、赤い錠剤を娘がしげしげと眺める。それからこちらに胡乱げな視線が向けられた。
「これを飲めば、その、血を吸わなくても済むんですか?」
「そうなるな。ちなみにお前が感じている空腹感が、吸血衝動だ。吸血鬼は腹が空かないらしい。実際、組織でも吸血鬼は食事など大半は付き合い以外では口にしない」
人生、損した気分ですね、と言いながら、しかし娘はまだ錠剤を飲まずに、手のひらで転がしていた。
そのまま彼女は逃避でもないだろうが、話題を変えた。
「すごく静かですけど、地下ですよね。どういう場所ですか?」
この空間はただの十畳ほどしかなく、家具もないし、ただ真っ白い床と天井と壁、というだけの空間だ。ただ、空調のための溝と明かりだけが天井にある。
「吸血鬼の追跡を防ぐための場所だよ。避難所、セーフハウスだ」
「パニックルーム、って感じですけど」
「そうかもな。とにかく、ここで一晩を過ごして、日が出ると同時に保護してくれる施設へ向かう」
「そんな都合のいい場所があるのですか?」
「吸血鬼の存在が露見すると都合が悪いからな」
娘が指先で錠剤を飛ばし、掴むのを繰り返し始める。退屈なんだろう。
俺から話すことなんて大していないので、壁に寄りかかり、自分の体の状態を確認した。
昨夜、胸を吸血鬼に刺し貫かれたが、とりあえずは回復している。ダンピール本来の回復力にプラスして、組織が開発した物質が作用した結果である。
「あのー」
娘が沈黙に耐えきれなかったように声をかけてくるが、俺は黙って視線だけを向けた。
手の上で錠剤を転がしながら、娘が確認してくる。
「私、もう日常には戻れないんですか?」
「日常、というのは?」
「学校とか、家族とか、そういう奴です」
「戻れないな」
そうですかぁ、と娘が何かを考えるような表情になる。その口から、しわがれた声が漏れる。
「まぁ、日常なんて実は、幻なのかもしれませんねぇ。自分が吸血鬼になった、なんてこともまだ信じられませんけど」
「錠剤を飲んでおけ。少しは考え事も捗るぞ」
そうですかねぇ、と指でつまんだ錠剤を、娘が明かりにかざす。
その明かりが一度、途切れる。
結局、こうなるんだよな。
「何か、今……」
娘が小さな声で言って、部屋を見回す。しかし何もない。
だが、俺だって、同じものを感じている。
壁から体を離し、ダンピールとしての力を発現させる。
青い光が部屋に吹き渡るが、娘を巻き込まないために、部屋の半分だけを薙ぎ払っただけだ。
「歓迎してくれているようだな」
背後からの声に、俺は銃を抜きながら振り返る。
娘の背後にさっきまでは影も形もなかった男が立ち、長い爪を娘の首筋に食い込ませている。今にも皮膚を引き裂きそうな、弾力ギリギリの食い込み方だ。
長い金髪の、例の吸血鬼。
娘は動けないようで、真っ青な顔をしているが、それはさっきからだ。吸血鬼らしい白い顔という奴。しかし視線には必死なものがある。
助けてくれ、と言いたいようだ。
「武器を捨ててもらおうか、混血者くん」
男の言葉に、俺は銃を下げない。
「この娘の首をはね飛ばすぞ」
恫喝にも、俺は銃口を動かさない。
沈黙。
「あの」娘が引きつった声で言う。「銃を下げてもらえませんか?」
「吸血鬼なんだ、首が飛んでも死にはしない」
俺の言葉に、娘の口元が痙攣するように動いた。
男は沈黙。
俺ももう何も言うことはない。
静止。
しかし、動き出す時、いつだって唐突だ。
(続く)
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