第5話
◆
目の前の棺から「本気ですか? これ」と、くぐもった声が聞こえる。怒鳴っているようだが、かすかにしか聞こえない。
金属製の棺を俺は老医師と協力で台車で運び、地下から地上へ出るエレベータに乗せた。
「窮屈じゃないですか! 棺なんて! 別に逃げたりしませんよ!」
「日に炙られて燃え尽きたいか?」
マイクのスイッチを入れて律儀に返事してやったが、それに対する返答はない。姿は見えないが、実際に太陽の日に当たってみるか、考えているのだろう。
老医師が俺にカルテを手渡してくる。封筒に入っているので、新しい上着の内側に突っ込んだ。
棺とともに地上へ上がり、そこから俺は一人で通路を台車を押して進み、表へ出た。
狭い道いっぱいにワゴン車が止まっている。後ろのハッチが開けられていて、すぐそばに黒い背広の男が二人、佇んでいる。俺を見て、二人ともが頷いてみせた。
三人で協力してワゴン車に棺を積み込み。二人は運転席へ行った。一人が運転、一人が助手席で、俺は後部座席で棺の横の椅子に腰掛けた。
車が走り出す。
大通りへ出ると半日ぶりに見える太陽の光に、思わず目を細める。時刻はまだ七時過ぎといったところで、通勤の車の数はまだ特別に多くはない。地方都市らしい、ほどほどの活気を感じる光景だ。
窓にはカーテンが引かれているが、ちょっと開けて太陽光を棺に当ててみた。
反応を待つが、何もない。もし隙間が少しでもあれば棺の中で絶叫が上がるはずだが、それはない。ちゃんと密閉されているようだ。吸血鬼でも酸欠にはなるが、人間よりはだいぶ耐えることができる実験結果がある。
カーテンを元に戻す。車内は薄暗くなった。
「本当に私は死んだことになるんですか?」
娘がさすがに不安になったのだろう、棺の中から声をかけてくる。声をかけるというか、怒声を上げているというべきか。
俺はマイクのスイッチを入れる。
「死んだことにするしかない。普通の人間と一緒には生活することは二度とできない」
「でも、おばあちゃんも、お母さんも、お父さんも納得しませんよ……!」
「お前の家庭事情は把握している。ちゃんとした筋から話があり、納得できようとできまいと、お前は死んだ、というのが事実になる」
「それでも実際には生きている私は、これからどうなるんです?」
俺は座ったまま膝に肘をついて、身を乗り出す。
吸血鬼の超感覚の一つに透視がある。仮にこの娘が何かに覚醒していれば、俺の姿を見ているかもしれない。
「俺たちの組織で、生きていくことになる。それができなければ、殺処分される。どちらも嫌となると、在野の吸血鬼と一緒に世界の闇の中で生きていく、それしかないな」
「在野の吸血鬼って、どういうことですか?」
「お前を襲ったような奴だよ」
沈黙。
何を計算しているのやら。
俺は話を続ける。
「在野の吸血鬼と言っても、おおよそは俺たちの組織が把握している。監視して、何事もなければそのままにするが、もし犯罪行為があれば、対処することになる。焼き尽くして、灰にするんだよ」
「あのー、犯罪行為って……」
「吸血衝動に関するものが最多だな」
また沈黙。
自分が血をすするところを想像して、怯えているか、そういう現実がやってくるのを否定しようとしているんだろう。
ただ、事実として吸血鬼は吸血衝動によって苦しんでいる。
闇で売買される人間の血液や動物の血液は相当な量になるが、それでも血液に有り付けない吸血鬼はどうしても生まれる。彼らは結局、家畜を襲うか、場合によっては人を襲わざるをえない。
吸血鬼にとっての恐怖の対象があるとすれば、その筆頭は、自身の本能、習性ということになる。
ダンピールからは逃げられる。銀だって触らなければいい。太陽も、夜になれば沈む。
しかし彼らは生きている以上、吸血衝動からは逃げられず、血を吸わなければ破滅する。
今、目の前の棺に入れられている娘も、そんな破滅した吸血鬼の被害者で、ただの被害者で終わらなかった不幸な例である。
「うちで血液は飲ませてやるから、安心しろ」
安心できませんよぉ、と弱々しい声が聞こえたが、今度は俺の方が無視してやった。
車がかすかに揺れる。
直後だった。
鈍い音を立てて、不規則に車が振動した。さらに鈍い音、金属同士がぶつかる音とともに振動は二度三度と連続し、ほとんど同時に急ブレーキで車が停車した。後方から激しいクラクション。
そんな全ての中で、俺は後部座席でバランスをとり、運転席の方へ身を乗り出している。
「今のは銃撃だぞ!」
助手席の男が言いながら既に拳銃を抜いている。俺が持っているものと同じ仕組みの高圧ガス銃。運転席の男はエンジンをかけ直そうとしている。
フロントガラスの向こう、少し先に交差点がある。
いや、それよりもフロントガラスを銃撃されたようではない。
このワゴン車は完全防弾仕様だったはず。相手はそれを知らない? それでも狙うなら運転手だろう。もしくはタイヤ。
ついでに言えばここは日本の現代社会で、銃器など特定の組織しか持っていない。公では、自衛隊か、警察。闇社会には相応に流通しているが、彼らは滅多にそれを表で使わない。しかし、どちらにせよ、銃撃する相手のセオリーを外すだろうか。
ワゴン車のエンジンがかかる。タイヤが無事なようで、走り出す。
運転手が「捕まっていてくれ」と言いながらアクセル全開、車が走り出す。信号は黄色に変わる。無理矢理に突破するつもりだろう。
それもそうだ。どこから撃たれているかわからないまま、同じ場所にい続ける理由はない。
ただやはり、何かがおかしい。
交差点に進入。
光の反射。
しまった、と思った時には赤信号を無視して突っ込んできたバイクが、ワゴン車の側面に衝突していた。
衝突寸前に、右側、つまり運転手側のドア、そのウインドウの向こうにちらりと見えた。バイクに乗っていた誰かさんは、全身を覆っていた。ライダースジャケットと、手袋、ブーツ、フルフェイスのヘルメット。
つまり、そういうことだ。
かなりの速度が出ていたのだろう、ワゴン車はたまらず横転し、俺は他の二人と共に上下左右デタラメにシェイクされることになった。
全てが収まった時、ワゴン車はひっくり返っている。
俺も全身が痛む。首の骨を折るかして死んでもおかしくなかったが、生きている。
「警察への言い訳を考えておけ」
運転手は意識がないが、助手席の方は意識があるようだったので、それだけ言い置いて、運転手の体をどかし、扉を蹴り開けて外へ出た。
交差点では車が何台も停車し、人々が降りてきて俺たちのワゴン車を取り囲んでいる。どこかへ携帯端末で連絡しているものもいれば、映像を撮影しているものもいる。
最悪だ。
見知らぬ男が駆け寄ってきて安否を確かめるのを無視して、周囲を確認。
バイクがめちゃくちゃに壊れて歩道に転がっている。
「バイクの運転手はどうなりました?」
なにやらまくし立てている男に逆に質問すると、「あんた、そんなことより怪我はないのか」と無視されたので、さすがに頭にきた。上着を裾を引っ張ってから、両手を広げて見せる。
「この通りだ。で、相手は?」
俺の発した怒気に驚いたのか、しどろもどろになり、その男はやっとバイクの方に目をやった。
混乱の中で逃げた、か。
サイレンが聞こえてくる。今度は本当の警察のパトカーが来る。
これが狙い、ということか。
(続く)
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