第4話
◆
合図も何もない。
男の姿が霞む。
人間をはるかに超えた身体能力。
目の前に相手がいる。俺の体の動きははるかに遅い。
回し蹴り。床を蹴る。
衝撃に息が詰まり、その次には背中が壁にめり込んでいる。呼吸が数秒、停止する。思考がブラックアウト。
本能だけがダンピールとしての力を解放しようとし、寸前で理性がそれを止める。
寝台の娘を巻き込みかねない。
視界が回復。
金髪の男が娘を拘束していた板を引きちぎろうとしている。
握りしめていた拳銃を持ち上げながら、とにかく引き金を引く。
五十口径の銀の弾丸がほんの数秒の間に十二発、叩き込まれる。
「弾丸など、停まって見えるな」
男の平然とした言葉は、連続した火花の後だった。
男の手に握られている肉厚のナイフが、音速に近い弾丸を一発残らず、叩き落としたのが火花の理由だ。
吸血鬼の伸長する爪でそれをやろうとするのは素人の吸血鬼で、銀の弾丸は鋼にも勝るその爪を破壊するが、逆に、ただの頑丈なナイフには対抗できない。
そこそこ知識と経験を積んだ吸血鬼は、この攻防に使えるナイフを持ち歩く。
ついでに言えば、俺たちが周囲の目をはばかって、亜音速弾を好むことさえも計算されている。
床を蹴って、吸血鬼に肉薄。
向こうは悠然と構えているが、もちろん、身構える必要など彼らにはない。
俺の持つ拳銃から刃が飛び出す。銀でコーティングされた刃で、強度は極端に高められている。
「私たちを相手に、格闘とはね」
刃を繰り出すのに、吸血鬼のナイフが即座に弾き返してくる。
「「混血者」の遊びに付き合う暇はないよ」
直蹴りが俺のわき腹をかすめる。それだけで防刃防弾の上着が引きちぎれ、引きずられて姿勢が乱れる。
長い足が翻る。
今度こそ必殺の一撃として、首を刈りにくる。
分かっていれば、どうとでもなるのだ。
強い奴は格好をつけたがるから、こういうことになる。
そもそもからしてナイフで弾丸を弾く芸を披露したりせず、そのナイフで俺を八つ裂きにすればよかったのだ。俺の刃を受け止める必要もなかった。
馬鹿め。
俺の手元の拳銃が男には見えない位置で、銃口の向きを加減していた。
相手は片足を振り上げ、今まさに、落雷の速度でこちらへ叩きつけようとしている。
それでも俺が引き金を引く方が早い。
「なっ!」
激しい銃声と同時に、男の体が弾き飛ばされる。
弾速だって、亜音速にこだわる理由だってないのだ。超高圧ガス銃は弾速をほぼ自在に設定できる。
ついでに言えば、一発だけ弾を残しておくことだって、このように、できる。
倒れこんだ男が苦鳴を上げ、しかし転倒したりはしない。
俺を業火を宿した視線が射抜く。
構うものか。
「とっとと失せな」
俺は手のひらを奴に向け、力を解放した。
真っ青な光の波濤が、男を押し包む。
青い炎が男を包み、次には黒い霧に変わっていく。
黒い霧さえも炎に変わるが、それだけだ。
男の姿はあっさりと消えた。
「逃げ足が速いのも、お決まりのパターンだな」
俺は念のために拳銃から空になった弾倉を弾き飛ばし、新しいものを装填した。
「吸血鬼とダンピールの戦いは、いつ見ても肝が冷える」
そう言ったのは老人で、部屋の隅に避難していたのが、こちらへ歩み寄ってくる。言葉とは裏腹に無表情だし、冷や汗の一筋も流しちゃいない。
「装備の予備はあるよな。ここは撤収だ。アシが付いている」
「すぐに手配しよう」
老人がそう言うなり、耳元を押さえながら独り言を言い始める。体内に埋め込んだ装置で、周囲に配置されている支援部隊と連絡を取り始めたのだ。
俺はダンピールとしての感覚で周囲を探るが、吸血鬼の気配は薄い。さっきの男は既に離れたのだろう。俺の力をまともに食らったこともあるが、それより銀の弾丸を体に受けている。まぁ、それも周りの肉ごと例のナイフで抉りだせば済むことだが。
寝台に寝かされたままの娘の方を見ると、特に取り乱したようでもなく、ただこちらを見ていた。
「というわけで、ご覧の通りだ」
そう言ってやると、娘は疑り深そうにこちらを見ている。
「やっぱり、ドッキリってこと? その、映画の撮影とか、そういう?」
……この娘は、頭の回転が極端に鈍いのでは?
俺は肩をすくめて見せ、床に倒れて転がっている椅子を引っ張り上げた。
「ドッキリでもないし、映画撮影でもない。マジックでもないし、夢を見ているわけでもない」
足を組み替え、拳銃を見せつけるように掲げてみせる。
「ついでに言えば、こいつも本物だ」
まだ娘は疑り深そうにこちらを見ていた。
やれやれ。
(続く)
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