第2話

      ◆


 救急車に偽装した護送車で少女を運び、市街地の中でも古い一角、そのなんでもない雑居ビルの地下にある施設に搬送した。

 はっきり言って、仮に少女が完全に目を覚ましたりすれば、余計な手間だったが、どうにか意識を失ったまま運び込めた。

「余計な仕事を作ったのかね」

 待ち構えていた白衣の老人の嫌味を無視しているうちに、組織のものが少女を寝台に固定した。老人が素早く、何かの薬剤を注射して、壁際に置かれていた測定装置を寝台の横へ引っ張ってきた。

 そんな様子を俺は壁際の椅子に座って眺めていた。

 思い装置を設置してから老人が一息つき、こちらに向き直る。視線がちらっと測定装置に向けられ、すぐにこちらへ移動した。

「数値を見たところ、V2の活性率は八〇パーセントを超えている。間違いなく、覚醒するぞ」

 だろうね、と応じながら、俺は足を組み替えた。老人は全く表情を変えない。

「処理するつもりならここへは運ばない。つまり、そういうことか?」

 淡々とした問いかけに、肩をすくめてみせる。

 V2と呼ばれるものは、吸血鬼ウイルスのことで、これは人間を吸血鬼化させる作用がある、公では未知の病原菌だ。

 研究は俺が所属する組織と、その付属機関が行い、これは国際的な組織でもある。参加するのは先進国のほぼ全て。研究者も有名な研究所、大学などの学者が参加している。

 老人が白衣のポケットからタバコの箱を取り出す。慣れた様子で箱を叩き、一本を引き抜く。

「処理しないと、この娘も実験の対象になる」

「本人の意思を知りたい」

 そう応じる俺に、老人が眼を細める。その間にライターが取り出され、タバコに火がつけられた。緩慢に煙を吐き出し、老人が首を傾げる。

「ダンピールにしては珍しい男だな、きみは。吸血鬼の意思など、何の意味もあるまい」

「そうでもないさ。生き方を選ぶ、それは大事なことだ」

「生き方、ね。懐かしい響きだ」

 老人がそういった時、いきなり寝台の上の娘の目が開いた。

 起き上がろうとしても彼女は厳重に寝台に固定されている。

「え? え?」

 困惑した声に、老人がやっと娘の覚醒に気づき、寝台の方を振り返る。それから、どうするかをもう一度、確かめるようにこちらに向き直った。

 仕方ないな。

 俺は椅子を軋ませて立ち上がり、娘の横に立った。

 自分が自由を奪われているのが全くわからないという顔で、娘が俺を見上げる。

「ちょっと、あの、これは……」

「何が起こったか、覚えているか?」

 娘の声を遮って一方的に質問すると、娘は目を見開き、ぽかんとしている。

「何がって……」

 俺は腕を組んで娘を見下ろし、娘は視線をどこへやったらいいか迷っているように、眼球を忙しなくを動かしながら、記憶を辿っているようだ。

「男の人が、ぶつかってきて……」

 黙って先を続けるのを待つが、娘はなかなか言葉を口にしなかった。

「それで、炎が……、青い炎が急に……」

 沈黙が何よりも強く行動を強制する場面というのが、今ということになる。

 俺の沈黙、そばに立つ老人の沈黙によって、娘が核心を口にする。

「男の人が、燃え上がった……。その人の、きっと、爪が、私に刺さって……」

「そこから先は?」

 携帯灰皿に灰を落としながら、老人が促す。娘が首をひねって老人を見る。頼りない、すがりつくような視線だった。

「覚えてません……。あの、お医者さんですか? ここは、病院ですか?」

「私は医者で、ここは病院だ。それに違いはない」

 老人は安心させるような口調ではないし、穏やかな表情でもない。説明そのものの平板な口調で、表情は無表情に近い。まるで人形が喋っているようだ。

 もっとも、その言葉の内容に安堵したのだろう、娘の表情に生気が目に見えて戻る。

 ただ、それは一瞬で老人自身の言葉で打ち砕かれた。

「私は闇医者のようなもので、ここは闇の病院だよ」

 娘が緩慢に言葉の意味を理解し、その顔面が蒼白になる。

「というわけで」

 俺は精一杯、誠心誠意、冷酷に告げた。

「あの男は吸血鬼で、今はお嬢さん、あんたも吸血鬼ってことだ」

 娘の表情に混乱が浮かぶのが、俺が今までに何度も見てきた光景とはいえ、腹立たしい。

 くそったれなことに、吸血鬼、というワードを口にすると、大抵の人間は冗談を言われていると勘違いする。笑いだす奴もいれば、俺を頭がおかしい奴だと指摘し始める奴もいる。

 少なくとも目の前の娘は比較的、冷静で、分別があり、思慮があった。

「ドッキリか何かですか?」

 訂正。

 この娘も一般的な例の範疇だ。


(続く)

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