EXIT

暴風警報と裏腹に青空を伺わせる色がベランダの引き戸越しに見える土曜日の朝、

習慣のせいかぼんやり目が開いてしまった。空腹があったので朝食を済ませると、まどろみがおとずれたので、また横になった。薄い意識の中、”通知”があったが、放出孔に力を込めるとすぐに引っ込んだ。これにより、緊急性がないことが確認できたので、再び寝入ってしまった。


一刻ほど経った。ようやくはっきりと覚醒した。とはいえ特にやることもないので、体を横にしたまま読みかけの短編集を手に取った。


二編ほど読み進めた後、”催促”があった。今度はめんどくさがらず、本を手にしたまま専用の個室に向かった。陶器の椅子に腰をおろすといつもの思いが湧き上がってきた。


『洋式に限る』


小さな頃に住んでいた家は和式であった。所謂汲み上げ式というやつで、底の見えぬ暗い穴が広がっている。故に怖い空間であり、長居はしたくなかった。


しかし、事態は変わった。二度の引っ越しを経て住処となったそこで洋式に出会った。私は2つの衝撃を受けた。ひとつは不安を掻き立てる暗い穴がないこと、もうひとつは本を読めることだった。当時の私は読書の楽しさを知ったばかりで、様々な本を読み漁っていた。一秒を惜しむように読書に勤しむあまり、風呂にまで本を持ち込んだものだ。ここも読書スペースとなり長居も苦ではなくなった。



やがて、その時はやってきた。


読み終わったページのどこかに挿みこんでいた栞を探し出すと、本を閉じ、脇に置いた。細長い息を鼻から吐きながら下腹部から奥に向かうように力を込めると、いつものように盛り上がってくる感覚があり、しばらく昂ぶりが続くとやがてピークを迎え、解放に向かう・・・はずだった。下腹部に視線をおろして確認してみたが、エントロピーはいまだ放出されず、通知も消えないままである。


心当たりが脳裏をかすめた、過去にも何度かやらかしている。放出孔の脇を触診してみる。ずいぶん硬い。エントロピーの弾性の高さを感じとった。そうなのだ、過去にも通知を無視し、それを抑圧したことがあった。これがまずい。それをするとエントロピーが凝縮され硬く大きく育ってしまうのだ。運悪く、エントロピーが十分に育ってしまうと容易に出口を通過せず、今回のような事態を招くことがある。


こうなると本を読んでいる暇などない。エントロピーと向き合い、対処するしかなかった。過去の行いを悔いても仕方がないと思いながらも、やはり悔やんでいた。一向に成長しない自分にも腹が立った。しかし、後悔の念に捕らわれ、無為な思考に時間を使うことがまた愚であることも知っている。気持ちを整理し、事態の解決に意識を集中した。


状況をイメージした。要は放出孔に対して塊が大きいだけだ。ならば、細かく砕いてそれぞれに出口を通過させてやればよい。摘便というらしい。私はひとさし指を専用紙で保護すると凝縮されたエントロピーに攻撃を仕掛けた。


想定外だった。先ほど間接的に触診したそれは硬かった。故に容易に砕けると思った。だが、実際は違った。それは指で突いて砕けるようなことはなく、柔軟に形状を変え、指の圧力に耐えてしまった。


話が違う。焦りを覚えた。もしかしたらと腹の内から力を込めたが、エントロピーが出口を通過することはなかった。


人の想像は突如極端な結論を出すことがある。今回の例では以下の通りだ。


最近、下痢になることも多い。もし、いま下痢になり、この固く閉ざされた出口に流動する”それ”が押し寄せたらどうなるだろう。正直、それらが詰まることより逆流することを想像するほうが怖い。実際は、そもそも”それ”は体内で生成された物質であるから、担当器官はある程度耐性を持っていることだろう。しかし、担当外の器官にまで及んだら・・・こんなことで病院に行くのは恥ずかしい。


私は恐怖に支配された。その恐怖はすぐに怒りと暴力に転じた。

「いいかげんにしろ」

私はおもわず半腰まで立ち上がった。すると、下腹部の不快感がやわらぎ、出口に向かいエントロピーが整列するのを感じた。すかさず放出孔に指を突っ込み塊に突き立てると乱暴に掻き出した。すると、エントロピーの一部が剥離し、出口を通過するのを感じた。勝機である。私は、腹の内から精一杯の圧力をかけつつ、放出孔の脇を指で掴み、脂肪ごしにエントロピーを絞り出した。


残念なことだが、怒りと暴力が状況を改善してしまうこともある。


一旦、流れ始めたエントロピーは少しづつ排出され、やがて塊のまま出口を通過した。放出孔から熱を持った痛みが昇ってきたが、この完全勝利の前では些細なことだった。


水に浮かぶ巨大な敵を初めて視認した時、妙に納得したのを覚えている。処理する前に写真でも撮ろうかと思ったがやめた。そこまで自分の気が狂っているとは認めたくなかった。しかし、文章にするのも十分に・・・とは思うが、ここまで読んでしまったあなたも同類ということで許してほしい。



いつまでもこうはしていられない。

エントロピーをお見送るため、レバーを大のほうに引くと一気に水位があがり、・・・そのまま下がることはなかった。


私は2回戦目のゴングが鳴る音をはっきりと聞き取った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

45 @IkiToNingenSeikatsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ