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@IkiToNingenSeikatsu

7 至れり尽くせり社会

「ただいま」

定時に仕事を終えた俺はまっすぐ家に帰った。

「おかえりなさい、今日はとんかつよ」

妻は俺を出迎えながらそう言った。

(やっぱりか)

内心、俺もそれはわかっていたが、妻に昼の出来事を伝えた。

「今日もさ、上司に蕎麦に連れていかれたんだけど、その途中でうまそうなとんかつ屋を見つけて、ちょうど食いたいって思ってたんだよね。」

これを聞いた妻は納得したように頷きつつ言った。

「それでなのね。気づいたのは昼過ぎなのだけど、アプリがオススメしてたの。」

「なるほどね。いや、ほんとに便利な世の中になったものだ。」

「本当にね。」

俺は妻と笑顔を交わすと部屋着に着替え、早速夕食を味わうことにした。


こんな生活になって何年経つだろうか。当初は多くの反発もあったが、利便性が周知されると、次第に反対の声も小さくなっていった。

(人は何にでも慣れるものだよな)

目の間で湯気を立てて待つとんかつが何よりそれを示していた。


翌週、いつものように上司から「蕎麦でいいな?」と号令がかかった。

別に蕎麦は嫌いじゃないが、週1ペースでとなると話は別だ。

”いつも付き合わされるこっちの身になる”という発想があればと思うのだが。


上司は一度大病を患って以来、油っこいものを避けるようになった。その癖、寂しがり屋だから、昼飯はみんなを引き連れていきたがる。若い連中は一層不満を持っていることだろう。


悪い人ではない。情に厚く、面倒見もいい。上司の前ではお客様も内情あからさまに相談を持ち掛けてくる。そんな人なのだが、強いて言うとすれば、この人は”時代についていけてない”のだ。


上司はいつもの席に腰を下ろすと、水を持って来た店員に「いつもの」と言った。

俺は店員さんに「同じく、ざるそばで」と伝えた。


・・・若い連中の様子がいつもと違う。メニューを開きざわついている。

連中がここでできる抵抗といえば、ざるではなくかけ、そばではなくうどん、トッピングにかき揚げをのせるくらいだ。俺は上司の機嫌を損ねないよう、いつもざるそばを注文するようにしているが。


そもそもおかしいのが、メニューを開くという行為だ。

この店のメニューはB5よりも更に一回り小さい紙に、びっしりと文字が書いてあるといった代物だったはずだが、目の前で広げられたメニューは3人の顔を隠すのに十分な大きさだった。


「俺、とんかつ定食」

「私は蕎麦屋のカレーで」

「じゃあ、僕もカレー、大盛りでお願いします」

耳を疑った。この店のご飯ものといえば、いなりか梅おむすびくらいしかおいていないと記憶しているからだ。思い思いの注文をする若い連中の喜色とは裏腹に、上司の頬は引きつっていた。


食事中、上司のぼやきが始まった。

「こんな匂いのなか蕎麦食ったってわかるもんか。香りが命なんだよ、香りが。」

そうだよなあ?上司はそういいたげに顔をこちらを向けたが、目線は合わなかった。


上司も事情はおおよそ察している。アプリだ。

アプリがメニューの拡充をオススメし、店主も受け入れたのだろう。

そうなれば、後は簡単。アプリがレシピ・食材・調理機器からトレーナーまで手配してくれる。周辺の客層・需要も完璧に把握しているので、仕入れ数に至るまで間違うことなどない。至れり尽くせりな完璧なシステムだ。


上司は帰り際、こう言った。

「この店も、もうないな。」

俺は申し訳ない気持ちになり、深く頭を下げた。


こうして、木曜日は個々に昼飯を食べることになったのだが、ひと月ほどたったある日、上司が俺だけを誘ってきた。

「すいとんのうまい店を見つけた。いくだろ?」


すいとん。聞いたことはあったが食べたことはない。俺の郷里ではよく似た別の料理があったため、なおさら機会に恵まれなかったのだろう。興味がわいた俺は

「行きます。」


実際、うまかった。

素朴と断ずるほど粗末ではないのは現代風のアレンジの結果だろうが、淡泊になりがちな小麦粉ベースの料理にしては豊かな味わいがあった。


「牛蒡がまたいいんだよな。」

上司はお椀の隅に張り付いた牛蒡を箸で引き寄せ残った汁に浮かべると、お椀を傾け一気にすすった。


「まあ、若い奴らにはわからんだろうがな。」

俺はすかさずフォローした。

「いや、この味なら。案外喜ぶかもしれませんよ。」

「そうか?」

「ええ。」

「そうか、そうか。」



翌週、上司から「すいとんのうまい店を見つけた。いくだろ?」と号令がかかった。


店はいつものシマからは離れた通りにあった。見慣れぬ景色を進む一団は先頭を行く上司と俺を除き、周囲を見回しながら行進した。


店に着き、のれんをくぐると、上司は座敷を指さし「あそこにしよう。」と店員の案内も待たずに上がり込んでしまった。一団も上司に続き腰を下ろすと、皆、上司の勧めるまま、すいとん定食を注文した。


「初めて食べました。」

「おいしい。」

「いけますね。」

意外にも若い連中の評判は良かった。

「そうだろ、この牛蒡がな・・・」

上司は機嫌よく講釈を始めた。


「ありがとうございました。」

濃紺の割烹着姿の店員に見送られながら、支払いを終えた上司がでてきた。

「ごちそうさまでした。」

一団はお礼を言った。

「まあ、初めての店だったからな。連れてきた者の奢りだわな。」

上司は満足したように片手をヒラヒラとさせ返礼した。


そんな様子にほっとした俺は店の前で少し伸びをし息を吐くと、やたら甘く香ばしい空気を吸い込んだ。

(気が付かなかったが、隣の店は西洋菓子屋か)

ふと、若い連中に目を向けると、彼らもそのことに気が付いたようだった。



翌週。

いつもの号令で再び訪れたその店は様変わりしていた。外観は相変わらず和一辺倒だが、のれんをくぐるとそこは洋そのもの。白の壁紙と木目の鮮やかな丸テーブルに高い背もたれのある椅子が店を占拠していた。かつての面影は4人席の黒机が一組だけ店の隅に残るばかりで、座敷はなくなっていた。


「いらっしゃいませ。」

ピンクのエプロン姿の店員は我々を目で数えると、申し訳なさそうな様子で言った。

「5名様ですね。当店はあいにく4名様までのお席しかございませんので、2テーブルでのご案内でもよろしいですか?」


先週まで座敷があったほうを見る上司の唇は震えていた。俺は上司を黒机の席に誘導しながら、若い連中には丸テーブルの席に行くよう目配せした。俺は椅子に腰かけるとすいとん定食を2人前注文し、店員の背中に向けて言葉をつづけた。

「随分と突然に、店の雰囲気が変わったね。」

厨房に注文を伝え、水を持って戻ってきた店員は答えた。

「すみません。私、ここ今週から入ったばかりで知らないんです。」


突如、黒机が乱暴者を非難するように叫んだため、皆、その乱暴者を目で追った。

「なぜだ!」

続けて乱暴者も叫んだ。

俺は乱暴者をなだめようとしたが、言葉が出なかった。


音を聞きつけ、厨房から男性が現れた。

「お客様、失礼がありましたらお詫びいたします。」

俺が「いえいえ、失礼など」と返すより先にエプロン姿の店員が抗議した。

「私、別に失礼なことなんかしてません。」

俺は慌てて話を逸らした。

「このお店、先週も来たのですが、随分と雰囲気が変わりましたね。」

男性は狼狽えつつも答えた。

「ええ、前々から経営がうまくいっていなくて、思い切って。今時、すいとんが売りだなんてねえ。」

同意するのはも憚れたので相槌のみを返した。

「そうでしたか。」

「でも、もう安心なんですよ。」

察しはついたが聞き返した。

「と、言いますと?」

急に明るい表情になった男性は続ける。

「アプリですよ。アプリのオススメで、お隣の西洋菓子屋さんと共同経営するといいって。たしかに、考えてみたら、うちとしては客層と客入りの改善が見込るし、お隣さんはお客様に喫食スペースを提供することができるんですよね。お互いにお客様のピークタイムは全然かぶりませんし、メリットばかりで、本当、すごいところに気が付きますよね。」

一気にしゃべってすっきりしたのか、男性は厨房に戻ってしまった。


上司はおとなしく食事を済ませ、店を出た。

店内は砂糖の焦げた匂いでいっぱいだった。


その後、上司がすいとんに誘うことは決してなかった。

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