魔女狩りの夜に ~愛する女性が生きたまま焼かれる時、少年の下した決断は~
東紀まゆか
魔女狩りの夜に ~愛する女性が生きたまま焼かれる時、少年の下した決断は~
「神様、どうか病気のお母さんを助けて下さい」
祈りが足りなかった。
神に仕える身となった今でも。
信仰に迷いが生じると、ケネスは六歳のあの夜を思い出す。
祈りが足りなかったせいで、母さんを死なせてしまった、あの夜を。
「お役目ご苦労様です」
役人の声に、ケネスは我に返った。
何本もの火刑台がそびえ立つ、町外れの処刑場。
ケネスは火炙りになる魔女たちに付き添う「ざんげ僧」として、ここに来ていた。
魔女。
信仰から逸脱し、悪魔と契約を結び。
呪いによって作物を枯らし、家畜を殺し、疫病を流行らせ。
人をも殺してしまう恐ろしい存在。
ここライオネル・ランドをはじめ大陸各国では、数百年前から、凄まじい「魔女の脅威」。
厳密には「魔女狩りの脅威」が吹き荒れていた。
「魔女」として捕まった者は、火炙りで処刑される。
それが絶対のルール。
死の前にある、唯一の選択肢は。
素直に魔女である事を認め、焼かれる前に絞殺されるか。
魔女である事を最期まで認めず、生きたまま焼かれるか。
火力の弱い生木で数時間炙られ、苦痛に満ちた死を迎える事のないように。
自分が魔女であると認めない囚人を説得するのも、ケネスたち「ざんげ僧」の仕事だった。
「全員の絞殺が終わりました。よろしければ焼いている間、最後の祈りを……」
火刑台に括りつけられた、さっきまで生きていた絞殺死体を見て、ケネスは心を痛めた。
神に背き、悪魔に魂を売り渡す者が、こんなにいるなんて。
母さん、僕の祈りは、まだ足りません。
役人の願いを丁重に辞して、ケネスは火炙りが始まる前に、刑場を後にした。
ケネスは街の中央広場に戻っていた。
鮮やかな商品が並ぶ店。行きかう人々。物売りの声。
さっきまでとは正反対な、圧倒的な「生」の力。
ホッ、とすると同時に、ケネスの心に微かな疑念が沸いた。
今、焼かれている魔女たちも、ここに暮らす人たちと、変わらなかったのではないか?
「そんなはずはない」
疑念を払うかの様に。ケネスは頭をブンブンと振った。
教会が間違いを犯すはずがない。
偉大なる神が、そんな事を赦すはずがない。
あいつらは本物の魔女だ。魔術で僕の心を惑わせているんだ。
まだ、祈りが足りない……。
母さん……。
その時。
「魔女だっ!」
「魔女が逮捕されたぞっ!」
声とともに、広場を埋め尽くした人々が、ザッ、と波が引く様に割れた。
体を縛られた数人の男女が、異端審問官が引いた馬に乗って進んでいく。
その中の一人。美しい少女の顔に、ケネスは見覚えがあった。
「エレナお嬢さま?」
町外れの館に一人で住む金持ちの少女、エレナが魔女として引っ立てられていた。
エレナを見た人々が、ひそひそと囁き合う。
「孤児院や教護院に寄付をしていた立派な方だったのに……」
「金持ちと言っても、元は親の遺産だ。魔女の呪いで親を殺したのかも知れないぜ」
そんな……。エレナお嬢さまは敬虔な信者で、毎週、僕を呼んで説法を聞いてくれたのに……。
次の瞬間、ケネスは教会へと走り出していた。
「エレナお嬢さまに会わせて下さい!」
教会に戻ったケネスは、上司に必死で訴えた。
「僕はお嬢さまの家に何回も通っています。何も怪しい様子はありません。何かの間違いです!」
上司は周囲を伺い、口に人差し指を当てた。
「そんな事を言うと、君が異端として告発されますよ」
思わず黙り込むケネスに背を向け、上司は言った。
「いいでしょう。軽く話すだけですよ。本格的な審問は、明日から別の者がします」
ケネスは『魔女の塔』と呼ばれる、取り調べ施設に走った。
エレナが監禁されている部屋に通されたケネスは、予想よりも彼女が気丈に振舞っているので安心した。
「何かの間違いなのです。きっと私が、両親から遺産を受け継いだ事を、妬んだ者の仕業に決まってますわ」
エレナは、気高さすら感じさせる口調で続けた。
「お調べを受けても、私には、やましい所はありません。潔白を証明してみせますわ」
その気高さは、ケネスにも、彼女が魔女などではない、と実感させるほどだった。
「また屋敷で、ケネスさんの説法を伺いたいわ」
そう言うとエレナは、にっこりと笑って見せた。
そうだ、僕は。
お嬢さまの、この笑顔が、好きなんだ。
どこか、死んだ母さんを思い出させるから。
「魔女って、本当に恐ろしいわ。この大陸では全ての国が脅かされているんでしょう?」
ケネスではなく、その後ろの壁を見透かす様な目をして、エレナは言った。
「でも、魔女のいない国があるんです。ご存知ですか?ケネスさん」
ケネスの沈黙を、肯定と受け取ったのか。エレナは続けた。
「西の島国キングランドです。その国では、魔女が告発されても裁判で無罪になるのです。何故だかわかりますか?」
次の言葉に、ケネスは殴られた様なショックを受けた。
「キングランドでは、拷問を禁止しているのです。拷問の無い国に、魔女はいないのです」
乾いた声で、ケネスは言った。
「お嬢さま、一体何を……」
ニッコリ笑うと、エレナは言った。
「あなたの教会は、私に拷問などしないでしょう?」
勿論ですとも。
そう答えようとしたケネスだったが。
今まで「ざんげ僧」として見送って来た多くの魔女が。
爪を剥がされ、肌を焼かれ、肉を抉られた無残な姿で火刑台に向かっていた。
あれは、拷問の跡。
正義を行う為、魔女の正体を暴くために行われたと信じてきたが。
それを、僕が知ってるエレナお嬢さま……。
貧しき者に施し、敬虔に神に祈りを捧げる彼女にするなんて。
喉が渇いて、声が出ない。
無言のケネスには構わず、エレナは話題を変えた。
「そうそう、この間、差し上げたお守りは、大事にして下さってる?」
その言葉に我に返る。
ケネスが初めて、魔女の「ざんげ僧」の任につく時に。
不安を漏らした彼に、エレナは異国の短刀をくれたのだ。
『遠い東の国では、刃物が魔を払うと信じられてますの。亡き父の洋行土産です。差し上げますわ』
父親の形見など貰えないし、神に仕える自分は、異国のお守りなどいらない。そう言ったのだが。
エレナはしつこく、ケネスに短刀を持たせたのだ。
『この刃に、愛する者の血を塗れば、願いが叶うとも言われています。どうかお持ちになって』
愛する者の血……。
エレナと秘密を共有する様な気がして、ケネスはその短刀を受け取ったのだ。
「ケネスさん?」
エレナに顔を覗き込まれ、ケネスは我に返った。
「は、はい!あの刀は大事にしています。お守りに勇気をいただいています。ありがとうございます」
「そう、よかった」
微笑むと、エレナは言った。
「いつか、あのお守りで、貴方の願いをかなえて下さいね」
気丈なエレナの態度に安心して、『魔女の塔』を辞したケネスは。
教会に戻り、エレナの審問を取りやめる様、もう一度上司に掛け合おうと、扉に手をかけたが。
その時、中から漏れてくる声を聞いた。
「いやぁ、あのエレナという女には手こずりましたなぁ!」
「なかなか魔女として告発出来ませんでしたからなぁ」
ケネスは思わず手を止めて、聞き耳を立てた。
「彼女も毎年、結構な寄付をしてくれましたが、財産を没収した方が早いですからな!」
そうだ、魔女として処刑された者の財産は、教会が没収する。
火刑台に向かう、拷問された傷だらけの魔女たち。
罪を認めた者は絞殺してから焼き、罪を認めぬ者は生きたまま焼く。
それらが描く「円環」に、ケネスは恐怖した。
そんな馬鹿な……。
フラフラと、ケネスはその場を後にした。
教会は、拷問で魔女をでっちあげている。
僕が今まで見送った魔女のうち、何人かは……。
いや、全員が魔女じゃなかった?
あぁ、お母さん。
あの夜、嵐の晩。
病気で苦しむお母さんの為に、僕は一晩中、祈った。
でも、いつしか眠り込んでしまい。
夜が明けて目覚めると、お母さんは死んでいた。
僕の祈りが足りなかったから、お母さんを死なせてしまった。
祈りが、足りない。
エレナお嬢さまを救うのにも。
無実の魔女を救うのにも。
いや。
神様に、僕の祈りは届いているのか?
「私の最期を看取ってくれるのが、あなたで良かった」
火刑場に向かう馬車に、数人の魔女と共に押し込められ。
「ざんげ僧」のケネスに向かい、変わり果てた姿になったエレナは言った。
「私、早めに白状したのよ。でも連中は、私の悲鳴をもっと聞きたかったのか。爪を十枚剥がれて、顔を焼かれたわ」
そう言うとエレナは、爪が無くなった両手を見せて、火傷で引きつれた顔で笑った。
「お嬢さま、申し訳……」
「謝らないで」
エレナの言葉に、まるで自分の方が罪人であるかの様に、ケネスは怯えた。
「私、神を信じるの止めたの。私を見捨てた神を。あなたの仕える神を」
「お嬢さま……」
ケネスがなおも話しかけようとして。
ギロッ、と焼けただれた顔の、エレナに睨まれた瞬間。
『お母さんを見捨てて眠りこけるなんて、親不孝な子だねぇ!』
「ひっ!」
亡き母の声を聞いた気がして、ケネスは後ずさった。
今のは、一体……。
戸惑っている間に馬車は刑場につき、魔女たちは引きずり降ろされた。
自分が魔女だと告白した物は、火刑台に縛り付けられ、焼かれる前に絞殺される。
死刑執行人に腕を引っ張られながら。
エレナは小声で、ケネスに尋ねた。
「お守り、持って来た?」
「え?」
他人には聞こえない声で、エレナは言った。
「願いをかなえる時よ」
そのまま、うず高く薪が積まれた火刑台まで引きずられ。
縛り付けられて、首にかけられた縄で絞首されそうになった瞬間。
突然、エレナは叫んだ。
「私は魔女ではありません!これは何かの間違いです!」
他の魔女たちが、次々と絞殺されていく中、エレナは無実を訴え続けた。
執行人たちの間に、動揺が広がる。
「魔女である事を認めないぞ!」
「こいつは生きたまま焼け」
役人がケネスの元に駆け寄って来た。
「生きたままの火刑は時間がかかります。どうか焼いている間に祈りを……あっ!」
役人の脇をすり抜け。
一目散に、エレナが縛り付けられた火刑台まで走ると。
ケネスは、懐に隠し持っていた短剣を引き抜いた。
炎の中で、エレナの唇が動いた気がした。
『ねがいを、かなえて』
ケネスは一気に、エレナの頸動脈に斬りつけた。
ブシュウッ、と鮮血が噴き出し、首を斬られたエレナは、速やかな死を迎えた。
ポト、ポトとエレナの鮮血が滴り落ちる短剣を握りしめたまま。
ケネスは苦い思いを噛みしめていた。
祈りは、無駄だった。
足りないのではなく、届かなかった。
エレナの血にまみれた刃を、ケネスは自分の首筋に当て、念じた。
お嬢さま、僕の願いは、あなたと共に……。
『その願い、叶えよう!』
大地を揺るがす声とともに。半分、取れかけたエレナの首が元にもどった。
焼けただれた顔や、傷つけられた体がみるみる、以前の美しい姿に戻って行く。
体を拘束していた縄を引きちぎると。エレナはゆっくり、ケネスに歩み寄って来る。
役人たちが、慌てて駆け寄るが。
近寄った者の体は、火薬でも仕込まれていたかの様に、木っ端みじんに吹き飛んだ。
『今まで三百年間、人間どもの魔女裁判という下らない遊びを見ては、お前の様な小僧をからかって来たが……。人間のルールに逆らったのは、お前が初めてよ。気に入ったわ!』
「お嬢さまが、本当の魔女……いや、悪魔!」
『私に魂を売り渡して契約する?悪魔は神より慈悲深いわよ』
「いいですね。悪魔がいるという事は、神もいるんですよね?」
ケネスは頷くと。
エレナと体を一つにし、髑髏の顔を持つ、漆黒の悪魔となった。
『祈りが届かないので、直に話をつけに行きます』
その日から、魔女狩りを行おうとする者がいると。
髑髏顔の漆黒の悪魔が現れ、これを全滅させたという。
そして世界から。
魔女狩りは……いや、魔女は消えた。
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