第2話 魔法医師と異状

 マーティン医師はその男の微妙な返礼にも特に気にした様子はなく、ニッコリ笑って満足気に頷いている。


「色々と疑問に思うことがお有りでしょうが、まずは貴方様の現状確認をさせて下さい。

 名前も含めて記憶が無いという話でしたが、間違いありませんか?」


 マーティンの言葉に、その男は再度自分が何者かを思考してみたが、やはり思い出す事柄は無かった。首を振りながら男は返答する。


「ああ……まだ何も思い出せない」

「ふむ。では幾つか質問をさせて頂きます。

 これは貴方様の今の知識が私たちの常識と乖離してないかを確認するためのものなので、構えず気楽にお答えください」

「分かった。実のところ、そうしてくれるのはとても助かる」


 それは男にとって嘘偽りのない本音だった。

 アマラとのやり取りで分かったように、ある程度問題はないと考えているが、それでも不安はあった。相手方から確認してくれるというのであれば、渡りに船というものである。


「それでは。まず……今私の手と手の間の長さはどれくらいだと思いますか?」


 マーティンは体の前に両手を広げている。間隔は彼の肩幅より長めだ。男は大体の見当をつけて返答する。


「1m(メット)……くらいか?」

「はい、そのくらいですね。では、これを1000個分連ねた長さだとどう表現しますか?」

「1km(クルメット)」


 mが間違ってなかったのでkmも大丈夫だろうと、男は澱みなく答えた。


「長さは問題なし、と。次は重さです。重さの単位はgで表しますが、何と読みますか?」

「ガラ、だな」

「はい、その通りです。このgを1000倍したら先程の長さ同様kをつけてkg(クルガラ)となりますね。ではkgの1000倍ならどうですか?」


 長さと同じくkの問いかと思ったら違っていたので、その男としては肩透かしを食らった形だ。しかしkgの1000倍となると思い浮かばなかった。


「いや、それは分からないな」

「そうですか。答えはt(トーラ)と言います。

 ああ、大丈夫ですよ。この単位をご存知でなくても日常生活に支障はありませんので」

「そうなのか? まあ覚えたから忘れないようにはする」


 その様子を見てマーティンは、その男が知識を蓄える事に対して忌避しない性格であると感じていた。

 また分からなかった事で悔しがったりもせず、素直に受け入れる。ということは素の学習能力はかなり高いと推測できた。

(なるほど、これは確かに面白い御方のようです)

 マーティンは内心で満足気に頷いていた。


「次は日付ですね。5の日と10の日の事を何と呼びますか?」

「たしか……休日か?」

「はい、正確には休息日ですね。休日と呼んで問題はありません。

 続いて期間についてですね。えーと……」

「そうだ、先生。先程患者様と話をした際に、1週間が10日であることは理解されてましたよ」

「……ああ、そう言えば入院されてから1週間でしたね。なるほど、そういうことでしたら次はこうしましょうか。

 貴方様が入院したのは1週間前、6月3日です。では来年の7月3日は今日から何日後でしょうか?」


 アマラの補足を受けてマーティンは考えていた質問内容に変更を加えたようだ。

 元からの笑顔が深くなってて男にはとても楽しそうに見える。答えはすぐに分かったが、念の為質問内容を思い返し、間違ってないと確信してから返答した。


「540日後だ」

「はい、正解です。1ヵ月と1年間の日数も問題ありませんね」


(余裕があるなら即答することなく振り返る冷静さも有り、ですか。なるほどなるほど。では余裕が無ければどうでしょう)

 次の質問内容を頭で考えながら、マーティンはどんどん興味本位になっていく。

 脇に控えているアマラはその様子を見ながら溜息を吐いていた。


「次は簡単な計算です。4502-4003は幾つでしょう? 3秒以内で――」

「499」

「――っとと。正解です。ちなみに今の質問の数字には、一応意味があります。後程知る事にはなりますが」

「そうか。じゃあそれも覚えておこう」


(必要であれば即断に躊躇うことも無し、とは。いやはや本当に面白い)

 興味丸出しマーティン医師の質問は続く――。



「――次で最後です。ずばり、私の種族は何でしょう?」


 言いながらマーティンは自らの長耳をピコピコと上下に動かしている。至極真面目な表情で。

 器用なものである、一体どうやっているのか。

 男は一瞬吹き出しそうになったが、何とか堪え頬を引きつらせながら答えを言った。


「……エ、エルフ族」

「正解です。しかし耐えましたか。大いに笑って貰っても良かったのですが」

「それはお前の後ろで笑いを堪えている同僚に言ってやってくれ」


 幾つもの質問の中で男にはマーティンの本性(?)のようなものが理解でき、口調は随分砕けたものとなっていた。

 見ればマーティンの脇にいたアマラが口に手を当て後ろを向いてプルプル震えている。


「彼女は笑い上戸なところがありますからね。ではアマラは何族に見えますか?」

「……ヒト族にしか思えないが?」

「その通りなんですが、彼女はすごい酒豪でして。次から次へと彼女の中に入っていく酒の有様を見てると、実は彼女ドワーフ族なのではと――」

「マ・ー・ティ・ン・先・生?」


 いつの間にか復活してマーティンの真後ろに立っていたアマラが、思い切り濃い怒気を込めて彼の者の名を呼ぶ。

 言われている対象でもないのにその男は逃げたくなった。体を動かせないので無理なのだが。

 そして実際に言われている対象は、と言えば。


「ひぃっ⁉ すいませんすいません!」


 再び入室時のような情けない姿に変貌して平謝りしていた。

 その姿に何度目かの溜息を吐くアマラ。

 男は本気でアマラを労わりたくなってきた。


「コホン。お見苦しいところをお見せしました。

 あっと、これは余談なのですが……貴方様はご自身を何族とお考えですか?」


 立ち直り姿勢を正して話の続きをするマーティン。だが余談と言いつつ、今度の質問をする際にはその男の挙動を逐一見逃さないよう、優し気な目元から一転して鋭い目つきになっていた。

 その質問に男は何と思うでもなく普通に答えようと、したのだが。


「オレ? それはもちろんヒト族――」


 そこまで口にして、男にはえも言われぬ違和感が自らに生じていることを理解した。

 そして次の瞬間。


「ーーがっ⁉ ぐぁああああああああああ!」


 途端に室内で響き渡る警告音。

 右目を中心に激しい頭痛が男を襲った。

 それは先刻自分が開けてはいけないと考えていた右目を、自分とは思えない力で無理矢理こじ開けようとしているかのようで――

 

「な⁉ いけないっ! アマラ、彼の拘束段階を引き上げなさい!」

「はいっ」


 男の急激な変化にマーティンとアマラはすぐ行動に移す。

 マーティンは懐から手袋を取り出し素早く両手に装着した。何度も同じ動作をしたことがあるのだろう。無駄のない熟練した動きだった。

 その手袋には甲の部分に凹みが見える。その凹みに小さな箱状の物を差し込むことで、薄く発光し始める手袋。


「これで収まってくれれば良いのですが。

 状回復と治癒、発動」

 

 マーティンの両手から異なる種類の光が溢れ、男を覆う。光に包まれる内に、次第に元に戻ろうとしていく男の表情。

 その時には既に警告音も静まっていた。

 最悪の状況から抜け出したと感じ、マーティンとアマラは揃って安堵の溜息を吐き、緊張を解き始めていた。


(……ィン! ~~~~! ~~~~…………ら!)

 痛みに耐えながら男は何かの声を聞いた気がした。あれは誰の声だったのだろう――


 男は収まりを見せた後気絶したが、すぐに目を覚ました。


「今のは……。オレは?」

「本当に申し訳ありません。完全に私の不手際です。事を性急に運ぼうとしすぎました」

「私も~先生と一緒になって大丈夫かなって思ってしまって……ごめんなさい~」


 男の目の前ではマーティンとアマラが共に深々と頭を下げている。

 男としては状況に理解が追い付いていないので困惑しかない。頭は上げて貰ってから説明を求めることにした。


「謝罪はいいから……とりあえず、状況を教えて貰えるか。

 その、オレに影響のない範囲で」


 先程の状況が異常であるというのは、誰の目から見ても明らかだ。

 おそらくは男の失われている記憶に関係があって、さっきの問答が何かに触れてしまったが為に、ああいうことになったのだろう。

 であるならば、余計な事を話されてまた同じ状況になってしまっては目も当てられない。男はそう考え、マーティンに熟慮の上で話してほしいと求めたのだ。

 マーティンはその意を汲み取り、頭を上げ話始めようとする。その間アマラは部屋の外へ向かおうとしていた。


「私は他の先生方へ説明してきますね」

「お願いします。では、そうですね……。詳細は語らず、大雑把に話すとしましょう。

 まず1週間前に貴方様が発見されてから、私たちは何も調べなかったわけではないのです。

 身体的な調査は既に終わっており、その結果が驚くべきものでした。

 現在、貴方様の体を拘束させて頂いているのは、その結果に由来するものであるとお考え下さい。

 後は貴方様から事情を聴くことができれば、と思っていたところ……」

「オレが記憶喪失だったから聴こうにもに聴きようがない、というわけだな」

「はい。ですので本日の会話を通じて少しでも糸口が見えれば、と思っていたのですが……浅慮な行いをしてしまい申し訳ありません」


 再び頭を下げようとするマーティンに男は待ったをかける。これ以上、そんな事をしていても何の益もない。男はそう考える。


「ああ、もうそういうのはいいから。終わった事だ、先の事を考えよう。

 ただ、振り返っても何気ない会話の中で起きたとしか思えん。

 こうなってくると対処が難しいと思うんだが……」

「それについてですが、明日教会より司教殿が聖遺物を携えてこちらにいらっしゃる予定となっています。

 もしかしたら、何か良案を出してくださるかもしれません」

「教会ね……神様頼りというのはオレの主義に合わない、と多分思うんだがな」


 男はそうマーティンに笑いかけ、苦笑を返された。

 今日のところはこれで休む事にし、明日を待つ運びとなったのである。

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