第19話 ロボットとメアリーの日記 急

 四月二十五日。


 入院が決まった。もうこの家には帰ってこないだろう。この日記はおいていくことにした。愚痴ばかり書いてしまうから。


 良い機会なので日記を読み返してみた。体調を崩すと露骨に暗い内容になるので笑ってしまった。ケイスケとは何度も喧嘩をしているし、エディーやチャーリーにも失礼なことばかり書いている。いやな女ね、私。でも楽しいこともたくさんあった。ちゃんと思い出せてよかった。


 昨日の晩エディーに


「メアリーさんはいつも笑っている。辛い時は辛いって言ってくれていいんだよ」


 そんなことを言われた。私が無理して笑っていると思っていたらしい。エディー、それは違うよ。たしかに強がりかもしれないけど、貴方と一緒にいれて嬉しいから笑うんだよ。私は幸せなんだよ。血のつながらないわりに良い親子関係でいられたのは貴方のおかげよ。私もケイスケも貴方の優しさに甘えすぎた。いつも苦労をかけて申し訳ないと思うわ。


 チャーリーはこの前、学校のテストで満点をとった。日頃の勉強の成果が出ているみたい。


「おれが魔法使いになったらね、お母さんを乗せて、空を飛んであげる。来年の春にでも。ね、約束だよ」


 空を飛ぶ魔法は魔法学校にでも行かないと習えない。一年や二年でできるものではない。チャーリーだって、それはわかっていると思う。


 小さい頃から病弱で、二十歳まで生きられないと言われたこともある。それでも二人も息子を持つことができたのは神々のお恵みという他ないわね。神様ありがとうございます。こんな素敵な家族に囲まれて死ねるなんてきっと世界一の贅沢ですね。どうか見守っていて下さい、息子たちの長い人生に多くの幸せが訪れますように。



 自暴自棄なこともずいぶん書いたけれど、できるなら私はまだ強くて明るいメアリーの仮面をつけていたい。良き妻じゃなくても、良き母じゃなくても、私がなりたかったのは、物語の女王様みたいに強くて優しい女だから。そのためにもう日記は書かない。仮面と一緒に死ぬことにしよう。



 でも仮面の下の愚痴っぽくて暗い女のこと嫌いじゃないわ。それだって私。だから日記は残しておくの。もしこの日記を読む人がいたらきっと幻滅するでしょうね。子どもたちが小さいうちはまだ、幻滅はしないでほしいかな。勝手だけど。


 この日記を読んだ人へ。たぶん私は死んでいると思う。子どもたちが読んだのなら、貴方たちの母親はそう立派な人でもなかったけど、いつでも貴方たちのこと想っているってこと、知っていてほしい。貴方たちを心から愛してる。貴方たちの幸せを願っている。私が思い描くような幸せでなくとも構わないから、どうか貴方たちが心踊る人生を。


 ケイスケだったのなら、私がどういうことにキレてたのか、たまには思いだしてね。貴方は黙っていてもモテるから何か勘違いしてるかもしれないけど、女心なんて一欠片もわからない、不器用な男なんだから。イラついて喧嘩になったこともたくさんあるけれど、貴方と家族になれて楽しかったわ。ねえ初めて会った時のこと覚えてる?貴方ったら私のこと警戒してて、えらくぶっきらぼうな人だと思ったわ。でも不器用なりに誠実な人だと思った。


 もし三人ではなかったのなら……貴方は誰なのかしら。遺品整理の人かもしれないし、ついにケイスケが使用人を雇ったのかもしれないし、それとも……。


 貴方にお願い。私のこと好きになって、なんてワガママは言わないから、臆病で嫌な女で、でも強く優しくありたくてもがいていたメアリーのこと、憶えておいて。死者に口はないから、私はやがて忘れられていくんだろうけど、もうちょっとだけ、憶えてくれる誰かがいるのかもしれない、そう思うと少しだけ救われるから。


 追記。ケイスケが私が死んで一年以内に再婚してたら、お尻を蹴飛ばしておいて!




✳︎✳︎✳︎




 ケイスケさんが再婚されてなくて良かったです。私が蹴飛ばしたら、腰骨が砕けるかもしれませんから。


 忘れませんよ、メアリー。私も、エディーも、チャーリーも、ケイスケさんも。弱くて強い貴女のこと、絶対に忘れませんよ。


 窓ガラスに無表情のロボットが写っていました。人間といない時の私は、あえて表情をつけることはしません。けれどもメアリーへの弔いとして、何がしか表情があった方がいいかもしれません。


 眉を下げてみました。悲しげに見えます。メアリーは悲しませたくてこの日記を書いたわけではないでしょう。


 眉は下げたまま、口角を上げてみました。困ったような表情になりました。


 わかりません。どんな表情が正解なんでしょう。


 私は日記を元の場所に戻しました。誰かが見つけてもいいし、見つけなくてもいい。そう判断しました。捨てるという選択肢だけはとれません。それだけわかったからいいのです。


 一階に降りると、メアリーの息子たちはまだ庭で遊んでいました。もうすぐ午後三時です。コーヒーでも淹れましょうか。


「エディー、チャーリー、おやつにしませんか?」


「はーい」


 案のじょう二人とも濡れて帰ってきました。


「何かあったの?」


 エディーにきかれました。


「三階の掃除をしてきました」


「いや、それは知ってるけど……」


 エディーは何か言いかけましたが、それはやめ、肩をすくめると庭の中央でぶつぶつと唱えだしました。


 庭に散らばっていた水滴は集められ、エディーの手の中で再び小さな粒へと分解されます。


「ほら見て!」


 エディーが集めて放った小さな水滴が、午後の太陽の光を反射して庭に虹をかけました。


「まあ」


 私にプログラムされている一般常識に照らし合わせて、それはたいそう美しい光景でした。青々とした芝生にキラキラと虹がかかっています。若草色の髪が風にふかれ揺れています。


「よかった、笑顔に戻った」


 私が笑顔になったのは、エディーの笑顔につられたからです。それはそれで、よかった、のかもしれませんが。

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