第18話 ロボットとメアリーの日記 破

『四月十一日。この日記を書くのは二回目になる。前回書いた内容は、自分の死に直面すると人間は冷静さを欠く、ということ。私がまさにその状態だから。私は今、感情をうまくコントロールできない。チャーリーの進路のことで、ケイスケと喧嘩になってしまった。でもケイスケはいつもそう。興味ないです、みたいな顔しておいて肝心なところでは口を出す。チャーリーが志望しているのは知ってるけど、無理してまでエリート校に通わせようとするのは本当にチャーリーのためなの?だいたいチャーリーの名前の時だって、頑として異世界風の名前をつけさせなかった。この国に母名マザー・ネームの制度があって良かったわ』


 母名というのはいわゆるセカンドネームのことです。メアリー様のフルネーム、メアリー・シャーロット・ミヤサカ=スミスでしたら、シャーロットがこの母名にあたります。メアリーの部分は父名ファザー・ネーム、またはファーストネームといわれます。


 昔は父親が父名、母親が母名を決めるとはっきり決まっていましたが、現在では両親が話し合って通称として使いやすい名前を父名にして、複雑な名前や思い入れのある名前を母名にする、ということも増えているようです。


 母名はお役所で書く正式な書類や、冠婚葬祭などの改まった場所でしか使いません。本当に近しい人しか知らない名前なので、恋人になりたい、従者として士官したい、など特別な意図を持って名乗ることも多いそうです。今はそれほど大きな意味ではありませんが、昔は母名を名乗ることがプロポーズを意味したそうです。


 メアリー様の書き方からして、チャーリーの母名は異世界風なのでしょう。


『四月十二日。今日も調子が悪い。最近、頭痛がひどい。医者に診てもらったが、原因は不明。薬を処方される。だんだん家事が辛くなってきた。エディーに全てやらせてしまっているのが申し訳ない』


 日記の日付はどんどん飛んでいきます。日記も書けない日が続いたのかもしれません。


『五月十五日。体調が思わしくないので、しばらく入院することになった。こんな状態でケイスケに会えるだろうか。彼が見舞いに来てくれると言っていたが、断ってしまった。情けない姿を見せたくないから』


 それからの内容は入院中のことが多くなります。


『六月九日。枕に抜け毛が散らばっていてゾッとした。恐る恐る鏡を見ると無残なまでに老けている。一昔前、あなたはキレイな年頃のまま死んじゃうのね、なんて言われたことあるけどそんなの嘘。病人は十年を十日で老けていくんだわ』


『六月十一日。談話室で他の入院患者と話す。私は比較的若いのでチヤホヤされる。余命は彼らより短いかもしれないのにね』


 七月、メアリー様はいったん退院されます。夏の間は比較的おだやかな日々を過ごされたようです。


『七月二十日。体調が良いのでエディーとチャーリーを連れて公園に遊びに行った。久しぶりに外で遊べて楽しかった。チャーリーは背が伸びた気がする。このくらいの子供は一日ごとに成長するものなのだと改めて実感した。もっと一緒にいられたらいいのに』


『七月三十日。エディーと一緒に夕食を作った。ずいぶんと料理が上手になった。うまく作れるようになるまで長くかかった私とは大違い。彼の手際の良さには見惚れてしまう。私が作れない時はずっと作ってきたのだから当然よね。エディーが社会との接点をあまり持てていないのは心配だけれど、正直彼がいるから安心して入院ができる。ケイスケは自分でできないくせに使用人を嫌がるから雇っていないけど、エディーの将来のことを考えるなら雇った方がいいかしら。ケイスケの貴族になりきれないところは、私の好きなところでもあるけど困るところでもあるわね』


『八月十三日。今年の夏は暑い。チャーリーは来年の九月から魔法学校に行くんだと張り切って勉強をしている。勉強が得意な性質ではないと思って魔法学校への進学には賛成していなかったけど、本人の努力を見ると応援した方がいいかもしれない。ケイスケの得意げな顔には少し腹が立つけど』


 秋、再びメアリー様は体調を崩され、情緒じょうちょの乱れた記述が続きます。


『九月九日。また入院することになるかもしれない。家にいてもベッドから離れられない日々が続く。寝たまま死んでしまうのかな。できる限り家にいたいと思っていたけれど、ずっとエディーに世話をさせることになるかもしれないと思うとゾッとする』


『九月十二日。エディーに世話、いえ認めたくはないけど介護をさせていることについて、ついケイスケに愚痴ぐちをこぼしてしまった。わかってはいたけど正論を返されて落ち込んでいる。エディーは望んでやってくれてるし、その内容に不満があるわけじゃない。エディーが嫌なんじゃないの。どうしてわかってくれないの』


 冬になっても、鬱鬱うつうつとした内容が続きます。


『十二月二十日。エディーが買ってきてくれたので、久しぶりに雑誌を読んだ。表紙の女優がもう四十代と書いてあり驚いた。四十代の彼女は華々しく表紙を飾り、三十代の私が老婆のような日々を過ごしている。皮肉なものね。おばさんを通り越しておばあちゃんになっちゃった。あれだけ必死になって守っていた良き妻、良き母、強い女の仮面は跡形もないわ。惨めなメアリー。武術だってなんだって、病んでしまえば役に立たないのね』


 話に聞いていたメアリー様とかけ離れた文章に、私は戸惑いました。けれども、ああ、この日記を書いたのはメアリー様だ。そう強く感じたのは、春、再び入院することが決まった日の記述でした。

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