第17話 義姉の遺産
あれから二時間が経過した。
二人の乗る箱馬車はさすが、総合ギルドの所有するだけのことはあった。
ラスディア帝国の地下世界における境界線。
青銅山脈からこちら西側の七彩の大渓谷があり、その周辺には黒の砂漠と呼ばれる砂鉄を多く含んだ茶褐色の不毛の大地が広がっている。
運河の支流にかけられた石造りの大きな橋を渡ると、そこは魔族の土地だ。
二つの国の合間にある国境の関門を、総合ギルドの旗を立てた箱場所は、御者が渡した書類を一瞥するだけでそれ以上の詮索を受けなかった。
無論、それは魔族側の関所でも同じことで。
アンジュとペルラは、箱馬車の窓ガラス越しにそれを見て、どこか拍子抜けしていた。
「……お父様がお前は王族だから気をつけて行けと言われたけど……」
「案外あっけないものだったね、ペルラ」
「そうね。あ、そうだ」
ヒントを出したままそれ以上喋ろうとしなかったペルラは、何か思い出したのか傍らに置いていた大きめの旅行鞄とその隣にあった肩からかけれるタイプの小さなバッグとその両方からいくつかのものを取り出して、アンジュに渡してくる。
可愛らしいピンク色の封筒が一つ、ノーラ・ブルックス様へ、と宛名に書かれたそれは親友の魔王女。
ペルラの姉にあたるエミスティアの筆跡によるものだ。
同じくピンク色のカードがついた四角の箱。
ちょっと紫がかった包装紙で綺麗に包まれたそれは、エミスティアが妹に持たせたのだろう。
カードには同じくアンジュの名前が、同一人物の筆跡で記されていた。
他にも三つほど。
真っ青な封筒に入った手紙が一つ。
銀色の指輪が収められた、いかにも高級そうな宝石箱が一つ。
そして最後にあったのはどこか懐かしい、だが見覚えのない一振りの剣だった。
「……これどこから出したの?」
「世の中には便利な空間魔法っていうものがあってね。収納魔法とか言われてるみたいだけど」
「それってもしかして……」
「もしかして何?」
「なんでもない」
「変なアンジュ。その剣、最初は折れてたらしいんだけど。お父様がどうにかして元に戻したって言ってたの。大事なものだから必ずあなたに渡すように言って」
「……」
大事なもの。
それが何かを、エルラから渡された少女は知っていた。
魔王が所有し最初は降りていたという話からそれが何かということを、察するのは簡単だった。
その所有者も行方不明だけど、大事な義姉の遺品であるそれも……この数年間の間ずっと行方不明になっていたからだ。
泣いてはいけないと思いながらも一筋の熱いものが頬を伝う。
「? ちょっとアンジュ! 大丈夫? どうしたのいきなり泣き出すなんてあなたらしくもない」
「大丈夫。……大丈夫だから、大丈夫……」
驚いて声を声をかけてきたペルラにそう言うと、アンジュは両手で顔を覆って不覚にも泣き出してしまった。
様々な経緯を巡ってペルラから渡されたその品は、行方不明の兄メンフィスの持ち物だった聖剣。
そして、剣と肉体とに別れ、肉体にその意識を宿した義理の姉レイリア、そのものと言ってもいい。
だが、その剣からは何の意識も何の聖なる力も何の魔力も……もう、残されてはいなかった。
今、アンジュの懐に抱かれているそれは、聖剣ーーその成れの果て。単なる一振りの名もなき剣だった。
「ねえちょっと、いきなりどうしたのよーもうー……」
「ごめんなさい。分かってるんだけど分かってるけど……ごめんなさい」
それからひとしきり、ほぼ一時間もアンジュは子供のように大声で人には聴かせられない恨み事を叫びながら泣き続けた。
不安と孤独にされた恨みを溜め込んだ数年分の涙が枯れ果てるまで? いや、まだまだこれは続くだろうけど。
とりあえず親友が落ち着くまで。
ペルラは激毒の異名を取る彼女らしくもなく、黙ってアンジュを抱きしめてやった。
その上着が債権回収官の涙と鼻水と、化粧の残骸でぐちゃぐちゃに汚れても、真珠姫は何も文句を言わなかった。
ようやくアンジュがその懐から顔を上げた時、まるでパンダみたいに目の周りが真っ黒で、化粧なんてどこかに流れて落ちてしまって、こんな顔誰かに見られたらお笑いされそうな。
目は真っ赤に腫れ、まぶたもそう。
声が裏返ってしまって、男の子なのか女の子なのか。
それすらも怪しいしゃがれ声になってしまって。
そんな無様な親友の頭をよしよしと撫でてやると、
「もう大丈夫?」
「……まだ。まだ、大丈夫じゃない……わたし、ひどい声」
「そうね。でも、もうこれ以上は―ーね? 後は好きな恋人にやってもらって」
「恋人欲しくないから……」
「そうなんだ。残念ね、あなたほどに綺麗な美少女なら普通の男性は声をかけずにいられないでしょうに」
「男性は嫌いなの」
「そう。なら信頼できる相手をゆっくりと探せばいいわ。別に孤独できるのはっておかしなことじゃないし、でしょ?」
「そう―ーね」
実は兄がいなくなったことがショックで男性を受け入れられないとは、アンジュは言えなかった。
それは同居人だけしか知らない秘密だから。
ついでに、男性以外にもっといい相手がいるから。恋人としては生活力の方がちょっと不十分だけど……。
あの子、ちゃんと仕事に行けたかしら。
いつも自分が起こしてやらなければ、仕事に遅れると言って駆け出していく同居人のことを思い出しアンジュが心に落ち着きを取り戻し始めていた。
「落ち着いた? それなら私着替えてもいいかな?」
「うん。いきなりごめんなさい」
自分に背中を向けて上着を脱ぎ、旅行鞄から着替えを取り出してそれを着た魔王女にありがとうとアンジュは感謝を述べる。
「別にいいよ。あなたにもこんな人間的な一面があるって知ることができたから」
「ありがとう」
いつかこの事をネタにしてからかってやろう。
もっともその時はアンジュがきちんと立ち直ったときだけど。
ベルナはそう思いながらところで、と質問する。もちろんそれはアンジュが大事そうに片手で握っている、元々折れていたと父親から聞かされた剣のことだった。
「それ大事なものなの? そんなに泣いちゃうくらい?」
「うん。死んだ義姉の形見だから」
「そう。義姉様の、ね……。姉といえばうちの姉の手紙も読んであげて欲しいんだけど。その前に化粧直した方がいいわよ」
「あっ」
自分は今どんな惨めな顔をしているのか。
そのことに思い至りアンジュが慌てて懐から取り出した手鏡に自分の顔を映し出すと、そこには世にも哀れな三文芝居んでも出てきそうな道化にも似た、不細工な女が見て取れた。
「回復魔法ぐらい使えるでしょ? 化粧をやり直さないとだめだと思うけど」
「なんとかする」
そう答えたアンジュに向かって、ペルラは車窓から見える何かに視線を送る。
「早くしないとまずいかもね。ほら、次の関所がもう見えてきてるから」
その意味はもうここでは総合ギルドの力は及ばない場所。
そんなことを意味していて、こんな無様な格好で役人たちに顔を見せるわけにはいかない。
「ヤバッ。ペルラ、カーテン閉めてよ。上着だけ着替えるから」
「そのオーバーオールで? 別にいいじゃない、上から何か羽織ったほうが早いと思うけど」
「化粧だけ直すから待って」
「はいはい」
とりあえず形だけでも取り繕いたいのだろう。
シャッとペルラがカーテンを閉めてやると、アンジュは回復魔法を喉から上にかけて作用させ、おまけにどうやってか涙で崩れてしまったはずの化粧まで、あっという間に元通りにしてしまう。
「どう?」
「どうって言われても、それどうなったの? 時間でも巻き戻しした?」
「違うわよ。光学魔法の一種。今から化粧してたんじゃ間に合わないから、いつもの化粧している姿を魔法に記憶させておいてーって、そんなとこ」
「便利な魔法ね」
「魔導具を使ってるから魔法じゃないけど」
「ふうん。まあいいけど」
ちょっと遊べるかなって思ったのに。
アンジュはあっさりと問題を片付けてしまった。
関所の役人たちが見たら笑う程度には、無様な格好だったのに。
残念、とペルラは嘆息する。
いつかこのネタをからかってやろう。そう心に誓って、必要な支度を終えたアンジュに片手を差し出した。
「何これ?」
「その剣、魔族が使いそうな素材じゃなさそうだから。人間とか龍族とかそっち系の聖なる属性の匂いがちょっとするよ。ここから先持ち込んで、何か揉め事になったりしない?」
「聖なる属性の匂い、なんてするんだ……」
「するよ、これでも一応、魔族だし。アンジュは人間だからあまり気が付かないのかも」
「そうなんだ。でもどうしよう?」
「貸して。持ってきた時みたいに、預かっておいてあげる。ちゃんと返すから」
「うーん……」
一瞬ちょっとだけ迷い手放すのが惜しかったが少しの間だけならと我慢することにした。
お願い、とペルラに元聖剣だったそれを手渡すと、魔王女は何をどうやったのかそっとそれをどこかに消してしまった。
さっきはいきなりのことだったから不甲斐なく泣いてしまって言い忘れたけど。
やっぱりその空間魔法って言うか普通の空間魔法はそんな簡単にさっと消したりさっと出したりすることはできなくて……、とアンジュはペルラのいうところの収納魔法などではないだろうと察しをつける。
それはそんな低レベルな魔法じゃなくて―ーそう。
ペルラとカーティスが盗賊王フライの地下迷宮から持ち出したもうひとつの魔眼。
正式な名称までは確認に至っていないが、だいたいこれだろうという見当はついていた。
問題は、空間を自在に制御する特別なそれ、『絶界の魔眼』だろうと思われるそれをどうしてペルラがここに持ち込んだかとかということで……。
さっさと結論にたどり着きたいのに答えの前にいくつもの壁が立ちはだかる現実にアンジュは大きく溜息を漏らす。
そして、黒の砂漠に広がる国家群の一つ、第四位の魔王エリスが治めるディルエルの第二の関所がその姿をすぐそこまで見せていた。
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