第16話 第三の男

 ハイターからあるものを託されレットー支部の受付嬢達にどこか尊敬の眼差しで見送られると、アンジュはその場をあとにした。

 地下世界の管理を担う支店に対して挨拶をすることが大事だったけど、果たしてこの依頼は本当に必要だったのかしら?


 などと、ファイターの用意してくれた四頭立てのに箱馬車の中で揺られながら、彼女は片方の眉を歪めてみせた。

 それを見て街外れで拾った今回の同行者が、不思議そうな顔をする。


「何それ?」


 真冬の積もった雪のように真っ白でそれでいてどこか深い蒼のような腰まである銀髪。

 犬っぽいクリクリとした愛嬌のある小顔。

 髪は戦闘に邪魔だからと三つの房に分けて編んだものと一つにまとめて編みこんでいる。

 劇毒の異名を取る魔王女、アミスティ・ペルラ・メルクーリオが対面の座席に座っていた。


「書類」

「そんなの見たらわかるわ。それよりも何に関する書類かって聞いてるの」

「あなたには関係ないからほっといて」

「つれなーい! 地下世界まで呼び出しておいてそんな対応ひどいじゃない」

「呼び出したのは私だけど許可を出したのは魔王でしょ?」


 意地悪そうに返事をしてやると、劇毒の真珠姫はむうっと頬を膨らませた。

 アンジュはそれを見て、名前の通りだ、と思った。


 アミスティ=毒の霧。

 ペルラ=真珠。

 メルクーリオ=青い月、水銀。


 そんな意味の言葉で目の前にいる天敵の名前は構成されている。

 でも一つ、別の意味があるのだ。


 ペルラ=フグ……そう、河豚とも書かれる、あの猛毒をもつ海に住む魚のことだ。

 頬を膨らませた様なんてまさしくそのままで……あいにくと、トゲはなかったけど。


 ハイターの醸し出すおっさん臭さにーーいやいや、大人の男性の持つ雰囲気にちょっと嫌気がさしていたから。

 アンジュは悪いと思いながらも、クスクスと口元を書類で隠しながら笑ってしまった。


「ちょっと! 何をいきなり人の顔見てから笑い出すなんて。失礼にも程があるわね」

「はいはい悪かったから。どうでもいいけど怒りながら毒の霧をその辺りに吐き出すのはやめてね? わたしたちを運んでいるこの場所の馬とか御者が死んだら大変なことになるから」

「――ッ! そんなこと言われなくなってわかってるわよ。……お父様にも散々注意されたから」

「フェイブスタークがあなたに注意したの? 本当に?」


 魔王のこの娘に対する可愛がりようはある意味犯罪的と言っていいほどに、激甘だった。

 溺愛なんて言葉が背中に羽をつけて飛びかかってしまうくらい。

 それくらい、ペルラは魔王に愛されているのだ。


「今回は珍しくきちんとしなさいって言われたわ」

「へえ……本当に珍しいね」

「毒を出すな、魔力を使うな、ひたすらに能力を使うな。そう言われてきたから……ちゃんと心得てる」

「地下世界いる、ほかの魔王を刺激するなってこと? フグもたまには役に立つかもね」

「誰がフグよ?」


 そう言われてさらに頬を膨らませる魔王女を指差して、アンジュは言い放ってやる。


「あなた。あなたしかいないでしょ、そんなに目立つ銀髪と今日は珍しくを控えてるけど。普段は目立って仕方がないじゃない」

「それとフグとはーー関係ないじゃない。目立つようなこの姿も私のせいじゃないんだから」

「まあそれは知らないけど。書類のことが知りたいの? 簡単よ、私が地下で何をしても一切感知するな。損害賠償が必要だったら全部上に請求しろ。それぐらい」

「……あなたも大変ね」

「それはそっちもでしょ」


 ペルラのそうしなければならない理由を、彼女の全身を上から下まで見下ろしてアンジュは指摘する。

 今は上下ともに平民と変わらない、生成りのスカートとシャツに全身を包んでいる魔王女の見えない素肌の上には、まがまがしい墨色の竜のようなものが這っているのだ。

 ペルラはその上から本物の白竜の鱗を細かくして肌に埋め込んでいる。

 それゆえに日光を放ち、真珠姫と呼ばれていた。


 数日に一度は太陽の光を浴びなければ、素肌の上に這うある呪いによって彼女は死んでしまうのだという。

 そんなものを背負いながら、わざわざ地下に出向いて来てくれるなんて。

 本当はとても感謝をしているのだ。

 仲が悪いのお互いの認めるところだけど、それでも命の危険があるのに太陽の光が及ばない所にやってきてくれたこの親友に、アンジュは心の中で深い感謝を述べていた。


「別に。もう十年以上これとは付き合ってきてるから大したことないわ」

「そう……」

「憐れむような目で見ないでくれない?」

「フグはどう料理したら美味しいのかなって考えてたとこ」

「ばっかじゃないの? 河豚なんて猛毒のある魚食べれるわけないじゃない」

「そうでもないらしいわよ。東洋のどこかの国にはさばき方があるんだってさ。猛毒の部分だけを丁寧に取り除いて活け造りにしたりするんだって、何かの本で読んだことがある。とっても美味しいって書いてたかな?」

「まさか……私は料理するつもり?」


 なんとなく身の危険を感じてペルラは両手で自分の肩を抱きよせた。

 ピリピリっと音が鳴り、まるで冬場の乾いた時期に金属片などを触ると発生する静電気のような音が、車内に響き渡る。


「ちょっと。そんなことしないから電気を作るのやめてよ」

「あ。ごめんなさい」


 ペルラは全身が猛毒で、おまけに呪いの原因となっている黒い竜のようなそれに埋め込んだ白竜の鱗を通して日光を蓄積し、発電までできるらしい。

 それは白銀の長髪を通して放射されるわけだけど。

 今やられると車内が大火事になってしまう。


「気を付けてよね。一応借り物だし、何かあったら怒られるのはわたしだから」

「……うん、私もお父様に叱られたくないから、気をつける」

「ありがとう、それでさーペルラ。聞いておきたいんだけど、話してくれるかどうか分からないけど」


 と、前置きを置いてアンジュは書類の束をペルラに渡してやる。


「話してくれるかどうかわからないなら聞かなきゃいいのに」

「そういうところがあなたを劇毒って言わせてるんじゃないの?」

「毒を吐くって意味では……債務者を徹底的にいたぶるあなたに言われたくないわよ」

「そんなことないって。わたしはせいぜい相手の記憶とか奪って複製して戻すだけだから……」

「戻す時に、相手が知られたくない記憶を探って、散々言葉でなじるのはどこの誰?」

「ストレス発散になるのよ。色々大変なの。人から借りたものを盗んで自分の人生を良くしようなんて。その考え自体が甘いのよ」

「まーそれはそうだけど。で、何々……?」


 ダイアンが書いたハイター宛の手紙。

 渡された数枚の書類を適当にめくりながら、ペルラはそれでも一言一句漏らさず、素早く読み取っていく。

 二回ほど最初から最後まで往復してから、彼女はありがとうと言い、アンジュにそれを戻した。


「総合ギルドの支部同士のやりとりなんて私は興味ないけど。そこに書いてある盗賊王フライの地下迷宮については話すことがあるかなー」

「話せる内容なの?」

「全部はちょっと無理だけど。魔族にも秘密ってものがあるから」

「そこまで突っ込んで聞いても今度は魔王から命を狙われそうだから……そこまでは聞かない」

「そうね。二年前、確かに入ったわよ。あのダンジョンに」

「もちろん、あなた一人じゃないでしょ? 付き人とかを除いて、もう一人有名な人と一緒に行ったはず」

「知ってるんだ?」


 意外、とそんな顔を真珠姫はしてみせる。

 どうやら本当に意外だったらしく、「どこで知ったの?」と、彼女は質問をしてきた。


「彼のことそんなに有名に入ってるんだ」

「有名っていうか、履歴に残っていたから。それだけ」

「なるべく名前は伏せてねってお願いしておいたんだけど、どうやら無駄だったみたいね」


 伏せておいてほしい?

 あんな公的な情報堂々と残しておきながら?

 一体誰に頼み込んだら、こんな粗雑な情報操作をするんだろう。

 アンジュは頼み込む相手が悪かったんじゃないのと、ペルラに呆れてしまう。

 だがもしかして、とひとつの疑問が彼女の心に浮かび上がる。


「カーティスが一緒に行ったんじゃない?」

「さあ? それはどうだか? カーティスが一緒に入ったことになってるんならいいんじゃない?」

「……それが誰かを聞いたら本当にろくでもないことになりそうね」

「まあ、ね。でもひとつだけ教えてあげることはあるわよ」

「つまりどういうこと」

「彼は一人じゃないってこと。ついでに、カーティスはちゃんと同行したの」

「謎解きをしてるんじゃないのよ?」

「なぞかけをして遊んでるつもりはないけど? まあとにかく、誰が一緒に行ったか。それはあまり関係ないと思うのよ」


関係があるかないかを判断するのはこっちの話だ。

 第三の男がいるなんて、そんなこと初めて耳にした。


 家が世界に来る前にもっと調べておけば良かったかも、などと心に後悔の念が押し寄せるが今更そんなことを考えても仕方ない。

 ペルラが関係ないということは、その人物がいてもいなくても結果は変わらなかったということで―ー。



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