第11話 激毒姫の脅威

 十数分後――。

 帝都、上空を疾走する戦闘機のような円錐形の乗り物が六機ほど、総合ギルドの屋上から飛び出して行った。

 その一台にはアンジュが乗り、自分の愛機を好き勝手に飛ばしている。

 他の五機は、総合ギルド警備局防空課の面々が乗る機体でアンジュの乗るそれよりは二回りほど大きく見えた。


 月の光を貯め込み本来は真っ白なはずのそれが黒真珠のように黒く染まった魔鉱石――ブラウディア鉱石と呼ばれるそれを燃料にした魔導エンジンを持つその機体は、ジェイルと総称されていた。

 乗り物がジェイルなのではなく、魔導エンジンを備える機器すべてがジェイルと呼ばれている。


(本当に良かったのでしょうか)

「いーのよ、気にしない、気にしない。あの子……ペルラの毒にやられないようにするために必要なんだからっ」

(しかし、それならば魔導具で賄えるのでは?)

「じょーだんっ! そんな道具で無効化できるような毒なら、激毒姫なんて呼ばれてないわよ。あの子」

(ですがアンジュ。ジェイルを利用した賭け事には許可が必要です。それに帝都の上空を飛ぶにも申請が……)

「それを管理するのもあなたでしょう?」


 可哀想に、管理者なんだから無かったことにしなさい、とアンジュに命じられてアミュエラは黙りこんでしまった。

 彼女が苦手だという魔王女はその名のごとく、全身からでる汗や血、涙ですらも激毒に変化させることが出来る。

 それも遅効性だの、致死性だの、薬にできるだの、好き勝手やり放題だ。


 債権回収にはそれなりの時間が必要になる。獲物を追いつめて説得し、だめなら必要な手段に出ることになる。

 その前に調査したり、追い詰める時間だって必要で、それには数日かかるときだってざらにある。

 過去に何度かペルラとタッグを組み、債権回収を成功させた経験から……不機嫌な時はペルラに死にはしないがそれなりに苦しむ毒を食事などに仕込まれた経験のあるアンジュだ。


「今回は、あんな情けない真似晒したくないの」

(毒に苦しむ様を微笑ましく見られたからですか)

「そうよっ! だから――あいつらの技巧がいるんじゃないの!」

(私は同意できません)


 アンジュが趣味の一つとしているこれは、大空を軽やかに舞えるジェイルを使い飛び交うことができる。

 自由の空間にして、気ままな孤独になれる時間でもあった。

 今日は少しだけ趣向が違うのだが……。


「良いから! 黙っててくれたらいいの!」


 また、アミュエラは沈黙してしまった。

 警備局の防空課の面々は気圧だったり、空飛ぶ類の翼の生えた魔獣から神属に至るまでありとあらゆる『毒』に分類される対象を解毒できる技巧を与えられている。

 それは簡単には手に入らない特殊技巧の類で、今回の任務にはさすがに貸与申請が通らない。

 仕方ないから、持っている者から複製してしまえっと力技を考え、この結果となった。


 つまり、アンジュの持つ一般機体のジュエルと、防空課の面々が乗る軍用のジュエルで競争をしてどちらが最初に設定した高高度まで飛び上がれるか、を賭けに対象にしたのだ。

 結果は――。


(彼らのエンジンを遠隔操作して普段出せている精度を低く設定するなんて、やりすぎですよアンジュ)

「うるさいなあ、感情ないんじゃなかったっけ。人工女神って……」


 そうぼやいた時、プルルルっと短いコール音が鳴った。

 ズボンの尻ポケットに無造作に差し込んである通信用の魔導端末が、音と同時に小刻みに震え着信の存在を持ち主に教える。


 しかし、少女はそれに出る余裕が無かった。

 銀色のまん丸い筐体の中で少女は腰まである黒髪を後ろに流すし、すっぽりと頭を覆うフルフェイスの銀色のヘルメットを被っていた。


「アミュエラ!?」

(なんでしょう、アンジュ)

「出てくれない!? 手が離せないのっ!」

(こちらでは出ない方がよろしいかと思います)


 音声ではなく、外壁の一部に反映された文字によって会話が為されていく。

 珍しい人工女神の否定にアンジュはどうしてよっ、と心の中で叫んだ。ああ、それどころじゃなかった、と正面に向きなおる。


「ちょっと待ちなさいよーっ!」


 中にあらかじめ設置された等身大の椅子に座り込み、床からはえた真っ黒なレバーと空中で腹のあたりに浮かんだハンドルのようなものをせわしなく操舵する。

 長くほっそりとした足元には四つのペダルが鎮座するそれを、両足を使い軽く踏みこんだり、タンタンっとピアニストが足ペダルを操作するように爪先で押し込んだりしていた。

 右手でレバーを一定間隔に後ろに押し込んだり、手前に引き下げたりしながら、目の前にある時計盤のようなものが十数個ならんだパネルを目視する。

 急制動、急加速、急停止。


「ほらほらーっ、どうしたのよっ! さっきまでの威勢の良さは……っ」

(あの、アンジュ。通信は?)

「もうちょっと待って! 今いいとこなの!」


 否定と延長の肯定。

 どうしたものかと人工女神は返事に困ったようだ。

 コール音の相手が誰かだけを告げる文面を、アンジュのあるものの中に表示するに留めた。


「……っげっ……!?」


 コックピットの中に短い悲鳴が一つ上がる。

 うーん、と呟くとアンジュは考えながら幾つか両手両足を操作した。

 左手は円形のハンドルに添えらえれていて、レバーの上げ下げの後に方向を決めているようだった。


 六段階あるレバーを足元のペダルを踏みこみ、動力との連動を切断ーまた接続ー急加速して自分が乗る機体が青い空の雲間に吸い込まれていくのを、頭にすっぽりとかぶったヘルメットが脳内に送って寄越す全方位を網羅する足元から背後まで視認確認可能な視界で見送りながら――いきなり、原動機の加速を放棄。


 負担がかかると分かっていながら、動力源に繋がるギアをニュートラルにして、天空を駆け回る機体をあっという間に鉄くず同然の存在に変えていた。 

 並走していた競技用の同じような機体は五機だったが、それらのどれもこのイカれたパイロットの判断と行動にはついていけない。


『おい、誰が上昇をやめろと指示した!?』


 グルグルと電線を人口革で巻いた有線が接続されているヘルメットから、同僚の怒りと誰何の叫びが上がると面倒くさいとそれを無視する。


「はあっ、暑いッ! ごめん、フック! 上司から連絡だわー」

『なんだとー!? ダイアンヘッドギルドマスターからの連絡ってお前……さっき、上がる前に休みだって言ってなかったか!?」

「気のせいじゃないー? それより、わたしが一番だったんだから、あれ、よろしくねー」

『あっ、おい! アンジュ、待てこのやろー。勝ち逃げかよっ!』


 並走して飛んでいた同僚からの通信を一方的に拒絶する。

 鬱陶しい重さのあるヘルメットを喉元から押し上げて筐体の隅へとポイっと放り込むと、彼女はズボンのポケットから魔導端末を引っ張り出した。

 と、同時に襲いかかって来るのは無重力の自由を謳歌しようとした機体を絡めとる、重力の網だった。


 それらは均等に引き寄せられてさっきまで天空を自在に行き来していた鋼鉄の天使は、あえなく拿捕されてしまう。

 腹にどすんっとやってきた鈍くも重たいエルボーのような一撃を耐えつつ、引き寄せられる圧力に耐えながら、まだ性懲りもなく続いているコール音に応えようと少女は端末を操作する。

 すると、音声通話が可能になったのか、相手は静かに語りだした。


「アンジュ? ずっとかけていたのよ」

「あーすいません、ダイアン。いま、ちょっと――」

「ちょっと? どこにいるの?」


 液晶画面のようなそれに表示されるのは、直属の上司であるダイアンの名前だ。

 大陸の共通言語でそう書いてある。後ろにかっこみたいなものがついていて、『ヘッドギルドマスター』の文字がいやに輝いて見えた。


「どこと言われましても――上、です」

「上? どこの上?」

「帝都の――上?」


 何となく受話器の向こう側でダイアンが本部ビルの最上階にある、彼女のオフィスの天井を仰ぎ見た気がした。

 アンジュったらまたあれで遊んでいるのね? 

 そんなぼやきが続いて聞こえて来そうだ。

 だが、ダイアンは簡潔に言った。


「そう――なら、降りてらっしゃい。話があるの、直ぐに」

「あー……あ、はい。その、つもりです、ダイアン」

「あら、素直ね。それで、あとどれくらいかかるの?」

「えっと」


 魔導端末を耳から離すと、帝都の魔導ネットワークを統合管理する人工女神が、スクリーンには機体の落下風景とその落下予測地点を割り出して、立体的な三次元画像でここだ、と矢印で示していた。

 その隣、左膝に近いパネルの羅針盤のような高度計は、地上激突までの余暇があまりないことを示してくれている。


「あと、十五秒……くらいかな? 自由落下からの――」


 それまで踏み込んでいた原動機との連結を解除するペダルをぱっと勢いよく離すと、機体の各部には光よりはすこし遅い速度で動力が再装填される。

 そのまま、ギアを加速させ、二、三からいきなり五へと叩き込むと、エンジンは無茶な加速に悲鳴を上げ、燃料である大気中の魔素を凄まじい勢いで吸引して機体の周囲に結界を展開。


 まるで数学式のような重力遮断紋様を積層的にホログラフのように空中に疾走させ、瞬時にその魔導術式を完成させる。

 すると、アンジュの乗る円錐形の機体に四枚の小さな羽が等間隔に生えてきて空中を緩やかに滑空を始めた。


(目的地はどこにしますか?)

 人工女神がスクリーンに文字でそう問いかけの文面を表示する。

「総合ギルドの屋上ポート。このジェイルが着陸できそうなとこを選んで」

(かしこまりました)


 そんな会話? を端末の向こうで聞いていたダイアンが、大きなため息を漏らしてきた。


「アンジュ……。まさか、そのまま降りてくる気なの? このビルの上でジェイルの飛行は禁止しているはずなのだけど?」

「あー……すいません、ヘッドマスター。もう決めたので――アミュエラも。人工女神が許可出してますから」

「アミュエラがそうしたのではなくて、あなたが階級にものを言わせて許可させたのでしょう? 呆れた子……早くいらっしゃい。会議は十五分後よ」

「え!? そんなに早いの? はい、直ぐに行きます!」


 小声で人工女神に「急いで」とけしかけると、相手は、


(かしこまりました)


 と表示してくれた。


 ジェイルの操作の一切合切をアミュエラに任せると、アンジュは背もたれの後ろに置いていたディバッグから小さな化粧用ポーチを取り出して、手鏡で髪型の乱れや化粧の直しが必要かを確認する。


 腰まである黒髪はうなじで一つにまとまっているし、トレードマークの左の一房が銀色に染まったそれは、耳元から緩やかに存在を主張する。

 アーモンド型だけど、目尻が下がった瞳の形が当人は気に入らないが、債務者たちからは狼のような目つきをすると恐れられているから、まあこれは良いだろう。


 鳶色の瞳には特に曇りもない。ゆえに、大空を好き勝手に愛機のジュエルで飛び回った後遺症は何も見られない。

 まあ、慣性制御が完ぺきで、常にこの筐体の中は別空間になっていて、もし機体が損傷しても無傷で生還できるし、どんなに錐もみすることになってもアンジュには慣性の法則は適用されない。


 ……さっきのように、安全装置を解除して仲間たちと馬鹿みたいに賭けレースをしている最中なら――話は別だが。


(目的地に到着いたしました)


 人工女神アミュエラがそう教えてくれたのを目の端で確認して、アンジュはさあ、行きますかと外界との接続を担う扉のロックを解除する。

 途端、暑い帝都の真夏の熱気が機内にもわっと侵入してきて閉口した。

 とにかく、今回も無事に地上に生還できた。


「さ、遅刻しないようにしなきゃ。アミュエラ、後は宜しくね!」


 マスターキーを引き抜き、バッグに放り込むと機体は命を失って沈黙する。

 そのパネルが最後の瞬きを残して消えたのを確認すると、アンジュはジェイルの運転席側のドアを閉じてロックをかけた。


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