第10話 アンジュの特級技巧

 さっき、ちょうど用事があり犯罪捜査局に行った際に、スタン様と話して来ました。

 その報告を聞いて、彼女――スタンの婚約者、マリアはちょっと困った顔でアンジュを迎えた。


 ヘッドギルドマスターであるダイアンからの指示ということなら、それは断れない。仕事だと割り切れると思えるし、特段、取り立てて口を必要性も感じない。

 だからといって、他の子ではなく常にスタンに命令が行く際にはこの子、アンジュがそれを仲介する。


 階下の犯罪捜査局に勤める同期からは、「あの子たち、いつも別室に入るのよ。怪しいかも?」、などと冗談を言われていい気はしない。

 婚約者を信じていないわけではなかったが、眉をひそめたくなる点はいくつかあった。


「仲……良さそう、ね?」

「はい? スタン様とマリアお姉様ですか?」

「いやそうじゃなくて」


 と、そこまで言いかけて、昔、たまに見かけていたアンジュの兄や義姉の顔がふと過ぎる。

 マリアはこの総合ギルドに勤務してまだ五年。

 若いアンジュの方が先輩だというのはどこか皮肉なものであった。


「あの人の事は好き? アンジュは」

「へ? ああ、はいそれはまあ」


 どうも変な勘繰りをされていると感じたアンジュは、次に出す言葉を考える。 

 怪しまれないように、それでいてそことなくスタンを立てなければならない。

 彼は優秀で頼りがいのある存在だと、だがあくまで他人だとそっけなくマリアに伝えなければいけないからだ。


「スタン様は兄の古い友人で面倒見がいい先輩です。いつも頼りがいがありますよ、マリアお姉様がうらやましいです」

「あ、そう……それはありがとう」

「兄は今、いませんから」

「そうだったわね」

「ええ、たまに思い出す日々です」


 いつもは十六歳とは思えないほどしっかりとした秘書の顔をするアンジュが、そう顔を曇らせている。

 これを見て、年下の先輩はまだ年頃で寂しがり屋なだけだろうと勘繰るのを辞めた。

 と、どんな用で階下へと降りて行ったのかとマリアは気になる。


 今日は各支部のギルマスたちが本部へ集まるというのに、その準備している最中に抜け出てまで彼を訪ねる必要があったのか。

 そんなことをふと、思ってしまった。


「それは可哀想ね。スタンで良ければこき使ってちょうだい。ねえ、アンジュ」

「はい、マリアお姉様。何か?」

「こんな忙しい日に、彼に何の用だったの?」

「あー……ダイアン様からの書類を早急に届けろ、と。朝一で申しつかってまして。それで、始業前を見計らって」

「本部長の、ね。そっか」


 顔にかかる枯草色の髪を後ろに払い、マリアはデスクの上の書類から顔を上げた。

 その前に立つアンジュを見上げるとちょっと来なさいと、ちょいちょいっと手招きしてみせる。

 誘われるがままに顔を近づけるアンジュに、マリアはねえ、と語り掛ける。


「なにか?」

「彼……どうなの?」


 ちょっと恥ずかしそうに質問するマリアに、アンジュは首を傾げた。

 何がどうなの、といった感じだ。

 マリアは詳細を述べる。


「彼、あそこの班長だっていうけど、優秀? もちろん、そうだとは信じてるけど――」

「うーん……彼は優秀すぎるのではないでしょうか」

「優秀すぎるって?」

「だって、ダイアン様から何度も依頼を受け、それをは本業である犯罪捜査局の業務と併用して高い成果を挙げて来たのでしょうから」

「それね……」


 ダイアンは期待した以上の成果を出さなければ、優秀とは認めてくれない。

 常に満点以上のそれを求められるから、耐え切れずに辞めていく者も多い。でも、それは――違うのだ、とアンジュは理解した。

 そう、つい、さっき。理解した。


 彼女たち、偉大なる魔王と戦った世代は……あれが普通なのだ、と。

 いまの自分たちは彼女たちの時代に比べて、正直に言えば劣っているのだと。

 あの時代、人工女神なんて都合のいいの存在はいなかったのだ。

 だから、ダイアンに信頼されている……アンジュのサポートもしてくれるスタンは優秀なのだ。

 あんな班長なんて役職など彼の能力には相応しくない。


 本当ならば、犯罪捜査局の更に上の幹部へと昇進していてもおかしくない。

 そんなエリートの側に入れるチケットを手に入れたマリアのことが、そういう意味では羨ましくもあった。

 自分がもっと優秀なら――いいや、止めよう。

 いまはそんな時ではない。胸を熱くするなにかを押し込めると、アンジュは思ったままをマリアに伝えることにした。


「優秀だと、思います。あの局を背負えるくらい、彼は優秀な人材ではないでしょうか。あくまで個人的な意見ですけど――ダイアン様の評価は不明ですけど」

「悪くないとは、思ってる?」

「まあ。だってこうやって依頼がいくほどですから。同じ総合ギルド内とはいえ、ある意味、部外者ですから、ええ」

「何か語尾に付きそうな感じだけど?」

「えっ」


 流石、スタンの婚約者と言うべきか。

 たまたま彼の呪いを解呪したときに奪い取った飼い高原オオカミのノーラの記憶が思い浮かび、それを口にしそうになってアンジュは語尾を濁らせた。


 ははっと軽く笑いを交えて逃れようとするものの、マリアはにっと口角を上げてその前方を塞いでしまった。

 視線をそらすことも出来ず、どうなの? とデスクの上に置いた片手のうえにマリアの掌が押し付けられて後退することもできなくなってしまった。


「いえ、その――ノーラが……」

「ノーラってあなたじゃない」

「あ、そのノーラではなくて……」


 自分はノーラ・アンドルフィア・ブルックス。

 あの高原オオカミのメスはノーラだ。

 そう言おうとしたら、マリアはなんとなく気づいたらしい。

 あー、あれね。と諦めたようにぼやいてその手を下げた。


「あの子でしょ、スタンが飼っている。あのオオカミの獣人……に、なるというか変化するのよねえ、あの妖精モドキ。子供の時はまだ良かったのに、いまじゃもう大人なんだもの。スタンもそりゃ困るわよ」

「あ、あれ……知ってらした、んですか」

「帰宅するなりいきなり擬人化したりして、スタンも困ってたわ」

「なるほど」

「ところで、今朝は何があったのかしら?」


 しかし、その笑顔はどことなく凍り付いていて、アンジュは笑みを向けられた途端、凄まじい怒りの負のエネルギーを被った感じがした。

 マリアお姉様、余程腹に据えかねているんだわ。

 これは下手なことを言えない。


「ほ、頬がとっても腫れてましたよ、スタン様」

「あら、そう。後から詳しく聞いておくわ!」


 自分に対する疑念はどこかにいったらしい。

 しかし、今夜のスタンの惨状が思い浮かばれてしまい、アンジュは報告もそこそこにその場を辞して逃げるように自分のデスクへと舞い戻ったのだった。



「はあ……何よこれ。どう対処しろっての……」


 フライの地下迷宮に関する資料、これから対処する逃亡した冒険者の資料、そして彼が逃げ込んだコボルトの館に関する資料。

 その魔導端末から印刷した紙ベースの資料をペラペラと数百枚あるそれをめくりながら、ため息を一つ。

 一応どれも二度ほど読み込んだが、ぶっちゃけどうでも良かった。


 どれくらいの等級で何年、この仕事していてどんな名目で特級技巧を借りたとか、本当は何か別の目的があったとか、そんな二次的な情報はどうでもいいのだ。

 犯人の追跡は自分の持つ界離スキルの『奪還』の補助スキル、追跡者で追うことができる。

 近づけば暗失で相手のスキルを無効化できるし、千火の激剣は数千本の灼熱のマグマを定めた二地点……敵の上空と足元から噴出させる致死性の高い殲滅戦向きのもの。


 雷竜の嘆きもほぼ似た様式だけど、この二つの攻撃力に極振りしたスキルには、もちろん、使用者をその影響から隔離して防御するという副次的な効果も込みである。

 逆に言えば、攻撃を発動させずに防御に徹するように使えば、ほぼ大体の貸与した異神域技巧具イビルレイヤーはこれらのスキルと同等かそれ以下だから、二つを同時に併用して扱えばこちらが傷つくことは物理的・精神的にあり得ないのだ。

 しかし、それがあくまで対個人か十数人までの団体に限られる。


「何もかも滅ぼしていいなら楽なんだけど」


 あくまで逃亡した冒険者を殺さずに捕獲して、貸し出した技巧を回収することが望ましい。

 そして、コボルトの館には可能な限り損害等を与えず、殺傷などしようものなら始末所では済まないことになる。

 どこまでも秘密裏に静かに任務を極秘裏に遂行しなければならない。

 そうなると、多人数相手に有効で、その上、殺傷能力が少ないスキルを持つ相棒が必要となる。


「あー憂鬱だわ。あんな毒舌娘を相手に過ごすなんて、無理」


 それが可能なスキルを持つのは今回の関係者でもとびきり上等の力の持ち主にして、幾つかの鍵を持つ天敵――激毒の真珠姫こと魔王女、ペルラ・メルクーリオしか思い浮かばない。

 一瞬、天敵の素顔が脳裏に降臨した。


 義理の姉と似た白銀の髪、犬っぽい愛嬌のある顔と、小柄な体格。

 全身には真っ黒な入れ墨が入り、その上からファッションなのかどうなのか。

 白竜の銀色のうろこを砕いて埋め込んでいて、それが陽光の下にいくととにかく反射して目が痛い。


「あれが真珠姫の異名で……水着のようなあれだけは頂けない。恥ずかしくないのかしら」


 ほぼ下着のような恰好をしている魔王女は、その肌を晒すことを厭わない。露出狂ではないはずなのは理由を知っているから理解できる。

 でも、毒舌だけは度し難いものがある。

 二人だけでの旅となると、面倒くさいの一言に尽きた。


「……あれを緩和できるような何か。どうにかならないかしら……」


 と、その時だ。

 窓の外に目をやると、早朝の警備兵の交代時間だったのだろう。

 目の前を、翼をもった竜人族たちが滑空していくのが目に入った。

 あれだわ!

 とある素晴らしい計画を思いついたアンジュは、地下世界への切符を手に入れるため、まずはダイアンの執務室へと足を運んだ。




「地下の支部から人員を借りるのはやめたの?」

「機密が漏れると困るのでやめました」

「ふうん、そう」


 事前申請書類に添付された予定表に目を通しつつ、ダイアンは言葉を濁す。

 コボルトの館を単独で攻略するのは無理ではないかもしれない。

 アンジュの実力なら。でも、逃亡した冒険者の保護と技巧の回収はできるのかしら……それも内密に? 

 ちょっと無理じゃない?


 目の前に立つ部下を見やり、顔の角度を斜めにして口元をつり上げる。できるの?

 そんなことを言いたそうな素振りだった。


「あら?」


 書類の最後の方にあまり乗り気ではなさそうに添付されたその資料には、魔王女の名前があった。 

 ついでに魔都グレイスケーフに君臨する仇敵の魔王の名前と、彼に宛てた依頼書類を作成して欲しいとの申請書まで引っ付いてくる。

 しげしげとそれと自分の顔を見比べられて、アンジュは視線を窓外へと向けていた。


「ペルラ様と行くの?」

「……はい」

「あなたたち、そんなに仲が良かったかしら?」

「にっ、任務です……ので。我慢できます!」

「任務って我慢してやるようなものでもないと思うけど。公私は切り分けないとしんどいわよこの仕事」


 余裕をたたえた笑みを浮かべて、ダイアンは部下に助言をする。

 心は気楽にやりなさいよ、とでも言いたそうな感じで言われアンジュは一筋の汗を頬に垂らした。


「ピクニックに行くのではありませんし。そこはわたしもプ、プロ、ですから」


 兄の名に恥じないようにしたい、と言いかけてそれを飲み込んだ。

 ダイアンはそんな決意表明じみた発言を知りたいのではないと分かってた。

 無事に帰還できることを第一にしなさい、それがダイアンの教えだった。


「最後に生き延びた者が、最後は勝利者になるのよ、アンジュ。いいこと、できるもの、使えるものは全部使いなさい」

「はあ。でもそれだと今回のそれはだめですか?」

「まあ……普通、ギルドが敵対する勢力に依頼するなんて癪に障るけど。いいわ、相手はフェイブだし。貸しを一つ返してもらうだけだから」

「借りがあるんですね、魔王に」


 恐ろしい上司の一面を見て、アンジュは苦笑する。

 この上司とあの魔王。二人の間にどれだけの親密な関係があるのか、謎が深まるばかりだ。


「人生、長く生きるべきよ。あの聖女のように、若くして殺されないようにしなさいな」

「ひっ……それって、炎の女神様の聖女様ですよね。兄や勇者様でも敵わなかったっていう」


 これからとある依頼をする魔王に撲殺された聖女様だ。

 死ぬ寸前まで散々殴られて、後悔しながら死んでいったという逸話を思い出すと背筋が震えた。

 優しい側面しか知らない魔王が、どうしてそんな残虐な真似をしたのかアンジュには理由が思い至らない。

 でも、ダイアンはどこか納得しているようでもあった。


「いいわ、この依頼書いてあげる。ついでに、地下の支部には邪魔をしないようにってね。それで行けそう?」

「がっ、頑張ります!」

「ええ、頑張ってらっしゃい。それとアンジュ」

「はい?」

「無事に帰還なさい。失敗してもいいからとは役職上言えないけれど、いいわね?」

「善処します」


 じゃあ、後からまたいらっしゃい。そう言い、ダイアンはアンジュから受け取った書類を再度見入るように読み込んでいく。

 アンジュは一礼すると、退室して次の要件へと足を運んだ。

 

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