第9話 死んだダンジョン

 目の前にアイスコーヒーの入つたガラスコップが二つ。

 アンジュにとっては朝から二杯目になるそれは、ちょっと遠慮したい感はあったがとりあえず、話を聞くために頂くことにした。

 ミルクとガムシロップーー両方とも携行用に小さな容器に入ったものが、その隣に並ぶ。

 ストローを差し込むと、氷をカラカラと回しながら、テーブルに片肘をついてアンジュはスタンの話に耳を傾ける。


「盗賊王になるものって何が必要だと思う?」

「……は? 何だろ。どんな鍵でも開けれて、どんな呪いでも解呪できて、どんなトラップでも回避できる。そんな能力……?」

「それはもうあるだろ。『万解ばんかいの魔眼』が」

「便利な魔眼よねー。そもそも、魔眼ってのがどうして、そこまで便利な要素を備えているのか謎! だって、スキルが集まり過ぎじゃない?」

「その為の魔眼だろ?」


 そりゃあ、ね。とアンジュはうなずく。

 魔眼は世界で広く使われていて、その歴史は千年ほど昔に遡って探すことが出来る、由緒正しき魔導具だ。

 多分、数万年まえに栄えた古代魔導帝国が使ったのが最初だとされているが、その真偽は定かではない。

 その機能をよみがえらせて誰でも使えるように改良・普及させたのが一人の天才魔導師だというのだから驚きだ。


 この西の大陸の東端にあるエルムドという国に端を発したそれは、 たった十数年で世界中に広がったという。魔法を複製し、自らの眼を通じて使用することができる。

 アミュエラによる現代の魔導具を通じて特級技巧を貸し与える内容によく似ていて、しかし、決定的に違うところがある。


 それは、あくまで一個人が複製・所有して扱うまでにとどまるからだ。

 人工女神のように保存して複数人が使えるようにするというところまでは至らなかったらしい……と、ここまで魔眼の歴史を脳裏で紐解いたアンジュは、


「それなら、もう一つの魔眼なんて要らないじゃない」

 と、二つ必要な理由を考えてみるも、非現実的だと否定する。


 彼が使う分には、一つあれば足りるからだ。

 それがどんな能力であっても。

 しかし、甘いなとスタンは首を振る。


「二つ以上のスキルを並走させて行わないと、宝箱は開かないだろ? 呪いだってあるわけだし、トラップだって仕掛けられている」

「空けるのが宝箱とは限らないじゃない」

「そうだね。ついでに同じ魔眼の中に収められた能力は並走できる。これは君も知っているだろ」

「それはもちろん。だから魔眼使いには優劣にも差異があるし、それに――」

「スキルを並走させることにより、寿命が縮まる」

「使えば使うほど、魔力を消耗するし最初から自分が持つ能力じゃないから、体内にある魔素……寿命が削られる。それを回避するために回復魔術やポーションなんかが発達した……って、

歴史の授業受けてるんじゃないのよ、スタン」

「悪い悪い。つい面白くてね。僕は教師になりたかったから」


 どうでもいいわ、そんなこと。

 アンジュは呆れ半分で、アイスコーヒーを啜りあげる。

 早く本題に入れ、と言う意思表示だった。


「フライの享年、何歳か知ってるかい」

「さあ? 平均的な半世紀以上は生きていた覚えがあるかなー。つまり、彼は魔眼による寿命の短命化には至らなかった……? って、こと」

「享年、八十二歳。だそうだ。彼の死後、五百年経過した現代でも平均寿命は五十歳。これは驚異的な数値かもしれない。ついでにこのアイスコーヒーだが……」

「は?」


 スタンはコップを持ち上げると、「また今日も外回りだ」とぼやいてアイスコーヒーを飲み干した。

 彼も忙しいから早く切り上げたい、という意思表示らしい。

 それならもったい付けずにさっさと話せ、とアンジュは口に出しそうになるのを飲み込むと、そうねえと机の上に伏せてやった。


 少しでも意地悪をして時間を引き延ばしてやりたい気分になったからだ。

 肘を立てて掌に顎を載せる彼女を見下ろして、スタンは微妙に視線をずらす。彼女の豊かな胸元がブラウスの間から顔を覗かせていたからだ。


「驚異的でもいいけど、あなたのノーラはここにはいないわよ?」

「意味ありげなことを言わないでくれっ! それは誤解だ……とにかく!」

「とにかく?」

「フライの長寿の秘密、それに付け加えて彼が自宅地下に迷宮を構えたことがヒント、かな……」

「人の胸を見ておきながらヒントだけ!?」

「そっちが見せたんだろ。見たかったわけじゃない。考えたら分かるだろう? そんな迷宮を作り出すこともそうだし、五百年経過している今でもそれが維持されているなんて、さ。どう考えても変だ」

「見せる気なんかなかったし……長寿はうまく他の魔導具を利用したとか。元々、ダンジョンのあった場所に、フライが屋敷を建てて住んだかもしれないじゃない」

「さっき言っただろう。アイスコーヒーが、と。迷宮をカップ、多層をそれぞれ数個の氷に例えたら、他はなにがある」

「アイスコーヒー……? ああ、それが迷宮を構成する魔素の塊ってこと?」


 なんとなく察しをつけて適当に答えてみる。

 スタンの視線は間違いなく自分の胸元を見ていた。

 後からノーラの件も含めて、マリアお姉様に報告してやろうと固く心に誓い、アンジュは背筋を伸ばして椅子に座りなおした。


「迷宮を構築して運用するためにはダンジョンの核が必要だ。しかし、その核を迷宮という限定された空間の中に充満させた魔素と、それが永遠に朽ちないようにする。もしくは自動的に再生される。

そんな、スキルがあれば驚異的だね。それに、集めた宝の持ち運びにも困らないだろうし」

「……空間魔法ってこと? それも莫大な魔力を自動生成しつつ、己の中で不足分を永久に創造できる……?」

「いや、そこまで万能なものは神様でも創造できないだろうね。でなきゃ、世界各地にある神々が創造したダンジョンが核を利用して構築されている理由の説明がつかない。それならまだ、魔素を消費したあとの廃棄物を再利用したほうが賢いね」

「あ、そうか。魔素も消費したらカスがでるから……」

「それをやりながら、常時、どこか別の空間に精製した魔素を貯めておいて、不足分を補充したほうが合理的だ」


 だけど、とアンジュは眉根を寄せる。 

 そこまで異常なレベルの能力を保有していたなら、彼は死ぬ必要がないのではないか、と。

 寿命すらも超越して、勇者や聖女のように不老不死に近い存在に進化することもできたはずだ。

 ねえ、とある可能性に気づきアンジュはスタンに疑問の視線を送る。


「もしかして……フライは死んでない?」

「それはどうかな。彼の死因は老衰でも病死でもない。ある日、彼は自宅地下に降りてそのまま戻らなかったそうだ」

「行方不明になった盗賊王の伝説、ね……聞いたことはあるけど、本当だったんだ」

「歴史的な生死は不明だけど、人間のままなら既に死んでいるはずだね。とにかく、彼のもう一つの魔眼は空間を切り離して操作できる。そんなもののようだよ」


 うちにあれば良かったのにと、スタンはどこか残念そうに語る。

 なるほど、それほどの能力を秘めた物なら、総合ギルドの盗賊課が管理下に置くのもうなずける話だった。

 ただ、一つだけ――アンジュには納得がいかない点がある。

 それをぶつけてみたらスタンはあっさりと答えをくれた。


「魔眼って……持ち主が死んだら移譲も譲渡もできないし、元々、誰かに渡せるような機能は備わっていないわよね? 一代限り、それも持ち主を変えることができない仕様だし」

「……製作者であるシルド公がそういう仕様にしたからな。最初は対魔族用に開発されたとも聞く。ある条件さえ揃えば、相手の能力を複製できる危険な代物だ。そうそう簡単に誰かから誰かに与えるとは出来なかっただろうし、それは現代でも守られているから民間にここまで広まったんだろうからね」

「なら――フライが死んだらそのもう一つの魔眼も手に入らない。どうやってカーティスとペルラはそれを持ち帰れたの?」

「さあ? それは僕にはわからない。ただ、彼らは手に入れたのは間違いないね。それともう一つ」

「まだ何かあるの? 早くしてくれないかしら。獣人好きのスタン……」

「それは事故だって言っただろう!」


 スタンはあらぬ誤解だと言い訳する。

 誤解であんな光景にあるだろうか。

 アンジュはスタンの呪いに引っ付いていた、彼の愛狼の薄っすらとした記憶を脳内に思い返して頬を赤らめた。

 それをスタンに悟られないようにしつつ、続きを促す。

 ついでにもう飲み切れないからアイスコーヒーの余ったやつをスタンに押し付けた。


「僕は清掃係じゃないぞ」

「はいはい……言わないから。それで?」

「本当かなあ。君の誠意を疑いたくなるよ。……あのダンジョン、もう生きてないぞ。魔素を精製する元が無くなったからな……」

「あっ……そっか。ペルラが持って行ったから?」


 そういうことだ、とスタンはうなずく。

 死んだダンジョンなら盗賊課も所有する権利を放棄するんじゃないだろうか?

 でも、と手にした魔導端末にはいまも攻略組が中に入っているとスケジュール報告がある。

 なんだ、これ? 

 意味がわからず、スタンを見上げた。


「まだやってるみたいだけど……?」

「遺跡を探索するのは盗賊課の常套手段じゃないか」

「遺跡、なら文化調査局の役割じゃないの?」

「そこを知りたければ、盗賊課に問い合わせればいい。もっとも秘匿が大好きなあいつらがそうそう簡単にしゃべるとは思えないけどな」


 内務調査局(スパイ)並みに機密漏洩にはうるさいもんねー、あそこ。あ、そっか。盗賊課も文化調査局の下部組織だったと思い出し、アンジュはそつちの調査がメインか、と理解する。

 スタンはもったいないと言い、アンジュの飲み残しを口にしつつもういいか、と問い返した。


「飲まないでよ、デリカシーなさすぎ……」

「気のせいだろ? 友人の妹に手を出す気は無いよ」

「兄さん、ね。いなくなってもう三年だし。義姉さんもいなくなったし」

「レイリア、優秀な債務管理官だったな」

「覚えてるの?」

「三年足らずなら、そりゃまあ、な。突然の退職だったし……メンフィスもいなくなった。どこかで二人で元気にしていればいいんだが」


 あ、この人知らないんだ。

 兄や義姉がいなくなった理由。彼のように十年近く兄たちと共に働いた人も知らないのか。

 その事実に心が寂しくなる。

 まあ、どうでもいい、とアンジュはその想いを心の底に沈めた。戻らない人々のことはたまに思い出すくらいがちょうどいいのだ。

 いまは必要なかった。


「それにしてもさー、どうしてそれを欲しがったのかがわからないんだけど、ペルラのやつ……。そんな空間を自在に制御するような魔眼なんて誰でも欲しいはず」

「それは僕には思い至らないところだね。知りたければ本人に問うしかない」

「攻略命令は魔王様から直接?」

「……関係者以外、誰も知らないだろうね」

「まあ、確かに」


 理由はこれ以上探っても出てこないだろう。

 そろそろ潮時かもしれない。

 脳裏に張り付いた光景を小さく首を振って打ち消すと、スタンに礼を言いアンジュは犯罪捜査局を後にする。

 もちろん、秘書課に戻ったらスタンの恋人であるマリアに報告することを忘れなかった。

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