第8話 もう一つの魔眼


 アンジュが友人のオフィスにひょいと顔を覗かせると、彼は出勤していた。

 しかし、犯罪捜査局で一つの班をまとめる幹部のデスクに座る彼は、いつもより見すぼらしかく元気が無さげだった。

 というのも、普段は三つ揃いのスーツを着こなし、ニヒルな笑顔に天然カールの金髪を後ろに流しただけの自然体が良く似合う、落ち着いた紳士然とした感じだからだ。

 ただ、今朝はしくじったらしい。

 アンジュよりも十歳年上。

 銀縁の眼鏡をかけたスタン・リー四等特別犯罪捜査官は、左頬を赤く腫らしどこか痛々し気に見えた。


「……おはよう、スタン。何それ、喧嘩……?」

「やあ、アンジュ。まだ始業前だってのに、もう一仕事を終えた顔をしているね。変わらず綺麗な黒髪だ」

 

 と、女性を褒めて伸ばすことでも優秀な彼は、本業である犯罪捜査ではなく――多分、恋人かそれ以外の女性にやられたのだろう。

 いつもは検事局のやり手検事たちを相手に強気なイケメンも、足を棒にして売り歩いてもまったく成果が上がらずに疲れ果てた営業マンのように、打ちひしがれていた。

 カールの効いた頭髪が陽光を受けてふわふわと漂う様はどこか、飼い主に捨てられて泣いた仔犬のようで可愛らしい。


「心にもなくそんなセリフを言うからそうなったんじゃない?」

「ああ、これか?」

「そう、それ」


 彼の赤く腫れた頬を指さして、アンジュはそういうとこがだめなのよ、と指摘してやる。

 スタンは所在なさげに、微笑んで見せた。


「マリアお姉様を捨てたら、ダイアン様に戦斧で真っ二つにされるわよ?」

「ひどいな、そんなことはしないよ。それに、これはマリアじゃなくてノーラにされたんだ」


 ノーラ? わたしもノーラですけど、とアンジュはよくわからず肩をすくめる。

 アンジュと同じ人族の彼は両手を頭の上に持っていき、それぞれ四本の指先をきちんと立てて獣耳のような真似をして見せた。

 ああ、そういうことね。

 納得がいった。

 ノーラとは、彼が自宅に飼っている高原オオカミのメスのことだ。

 後ろ足で立てばニメートルを超すその体躯は圧巻で、マリアと二人で彼の家に遊びに行ったとき、じゃれつかれて支えきれず、床に倒れ込んだ。


「オオカミ? 何をやられたの」

「頭突きだよ。三日ほど家を留守にしていてね……張り込みで戻れなかったんだ。ドアを開けた途端――この調子さ」

「なるほどねー、回復魔術で治せばいいんじゃない?」

「微妙に呪いがかかっててね、そうもいかない」


 どうやら、ノーラは獣人に姿を変えて頭突きをしたらしい。

 彼らは人ほどに知能は高くないが、気まぐれに肉体を人型や獣型に変化して遊ぶことがある。

 高原の黒い妖精とも呼ばれていて人の姿を取った時は、軽度の魔法を使うこともあるらしい。


「放置した寂しさを頭突きで晴らされたって感じ? どうでもいいけど、マリアお姉様に報告しておいてあげる」

「それはないだろう? マリアがまた拗ねると困るんだよ。彼女、不機嫌になるとなかなかなおらない」


 助手や制服捜査官も含めて百人ほどが勤務する犯罪捜査局は、デスクの間も狭く、様々な紙資料や雑多な備品がところせましと詰められていて、向かい側に座る数人から失笑を買っていた。

 クククっと口元を隠し笑い声を漏らす同僚たちを一瞥すると、スタンはそれで何の用? と顔を傾けて聞いてくる。

 アンジュはいつもの、と口の形だけで返事をした。


「……またダイアン様の特別な注文か? いま、そんなに暇じゃないんだがなあ……」

「聞いてくれたら、その呪い解いてあげてもいいわよ?」

「本当か? マリアに言わないって約束するなら、まあ」

 

 協力しないでもないよ、とスタンは了承する。

 とりあえず大勢がいるこの場所では話ができないので、場所を移動して会話を続けることにした。


「それでどこにするの?」

「捜査局の中の個室は今埋まってるからね。あそこでよければ」

「取調室じゃない……。誰かに聞かれたりしない? 録音とかされると困るんだけど」

「されたとしてもダイアン様ならさっさと消すように指示をするだろうさ」


 普段なら取り調べに使われるその密室は機密性が高く、防音性能に優れている。

 それはアンジュも理解していたが、分厚い壁の合間にあるガラス窓の向こうは小部屋になっていて、取り調べの様子を別の捜査官が違法性のないように確認するところだし。

 録音も録画も同時にされるような仕組みになっていて、秘匿性の高い会話をする場所としては最適とは言い難かった。


「……本当に大丈夫なの、ここ?」

「あっちの部屋の鍵は僕の管理下なんだよ」

「そういうこと、ね」

「そうだ」


 スタンは役職が示すように、数名から十数名の一つの班を取り仕切る幹部の一人だ。

 そこまで言うなら間違いはないのだとアンジュは判断し、誘われるがままに取調室に入った。

 中には二つのデスクと四つの椅子があり、記憶にある通り壁には分厚い硬質ガラスがはめ込まれている。

 なんだか本当の犯罪者になったような気にさせられてしまう、そんな不気味さを覚えさせる部屋だ。

 椅子を勧められて机を挟んで腰を落ち着ける。

 スタンはグレーのパンツとストライプの柄シャツを身に付けていた。

 男性にしては高い身長の割に細いその身を引きだした椅子に預けると、なぜか深いため息をついた。


「それでどんな用件なんだい?」

「同じ犯罪捜査局絡みの話なんだけど――先に呪いを解呪したほうがいいかもね」

「ああ、頼むよ……」


 いやいや、ため息をつきたくてここを訪れたのは自分の方なんだけど。

 アンジュはそう思いながら、頬の具合さえ悪くなければ美男子の部類に入るスタンの陰のある様に、ついつい見入ってしまう。

 自分の持つ界離スキル『暗失』で、高原オオカミの呪いスキルを無効化してやると、スタンはありがとうと小さくいい頬を撫でて回復魔術をかけていた。


「これでどうにか見える顔になったかな」

「ええ……とてもよく、いや何でもないわ」

「変な言い方をする奴だな。犯罪捜査局絡みってこの総合ギルドの中じゃないって意味かい? そうでなきゃ、君の権限でどうにでも調べはつくだろうしね」

「気にしないでなんでもないから。そう、そうなのよ。それもギルド連盟の中にはない犯罪捜査局なの。近場の!」

「アンジュ……。それはあまり嬉しくないんだけどね」


 その言葉が意味するところを知って、スタンは明らかに不満を見せた顔をする。

 ごめんなさい、と一つ謝罪を置くとアンジュは魔導端末を取り出してその画面を彼に見せた。


「国際ギルド連盟以外にある犯罪捜査局って言えば、各国政府絡みしかない……。おいおい、盗賊王の屋敷の地下迷宮? その件は……さすがに無理だ」

「どうしてよ!? 場所だって近いし地域柄協力し合って犯罪者を捕まえることだってよくあるじゃない!」

「いやだからさ、それは地域柄お互いの領分に犯罪者が逃げ込む可能性があるからやってるだけの話だよ。この件は機密性が高すぎる」

「どうしても必要なの!」

 

 お願い、と腰を浮かせ前のめりになって頼み込む少女の姿にスタンはどうしたものかと、片手で頭を掻いた。

 彼女の知りたがっている他の犯罪捜査局というのはどこでもない。

 北の山間部にある魔王の都に拠点を置く、魔王軍犯罪捜査局のことだった。


「確かに彼らとはよく共同作戦をするよ。あちらの現場責任者とは個人的には深い付き合いでもあるし――ただ、魔王女のペルラ様が関わっている案件となると僕の口から言えることは限られてくるな」

「知っていることは知っているのね?」

 

 ずいっと机の上に身を乗り出して詰め寄るアンジュに追いやられ、スタンはうっと言葉に詰まる。

 知らないはずはない。

 ペルラとカーティスの二人が挑んだ盗賊王の迷宮。

 魔王の縁者が挑戦すると聞いていい顔を総合ギルドの盗賊課がするはずもない。

 あいだに入り事前の調整を魔王軍犯罪捜査局の友人から頼まれたのは誰でもない自分だったからだ。


「この事をダイアン様は知っているのかい?」

「知らないけど……一任はされたわ。フライの特級技巧を借りた冒険者が地下世界に逃げ込んだから、それを回収しないといけないの……」


 しくじった場合、どうにか生還できたとしても自分にはこの総合ギルドに居場所はなくなるだろう。

 そんな意味を込めてアンジュは懇願する。

 地下世界なんて言葉まで飛び出してきて、スタンはおいおい、と顔をしかめた。


「それ、本当に一人で全部やり遂げるつもりか? サポートが必要だろう?」

「サポートは当てがあるからどうにかなるの。それよりもどうしてあの二人が盗賊王の迷宮に挑んだのかが、知りたいのよ。どうせ聞いてもはぐらかされるだけだから、ペルラには」

「アンジュ、サポートってもしかして……」


 なんとなく嫌な予感がスタンの頭を過ぎった。

 ここから先は自分は踏み込んでいけない気がして、彼は言葉を濁してしまう。

 目の前にいる必死な姿の債権回収官が助力を頼もうとしているのは……いま話題に出た魔王女ペルラではないか、と密かに思ったからだ。


「それは聞かなかったことにしてよ。それを聞いたらあなたが困るだろうから、でも。あの子じゃないとダメだし、関係性は高いと思うの。それでも立場からしたら本音の部分まで話してくれるとは思わない」

「だから僕のところに来たってそういうことか。あー……怪我を治すために呪いを解いてもらったわけだけど。これはちょっと見合わないんじゃないのかな?」

「見合うと思うわよ」

「どうしてそう思うんだ」

「さっき呪いを解いた時に、ノーラの記憶も奪っておいたから」

「あ……っ」


 スキルを回収する時は相手の時間や記憶に至るまで、アンジュは奪い去ることができる。

 自分とノーラの間にある秘密の関係に気付かれてしまい、スタンは面色を失った。


「教えてくれたら、マリアお姉様には黙っておいてあげる」

「いや、待て。違うんだ、あれは不幸な事故で」

「教えてくれたら黙っておいてあげるわ」


 大事なことだから二度ほど静かな警告をして、アンジュは悪魔の微笑を浮かべた。

 交換条件としてはこれ以上ないものを提示――もとい、脅迫に近いそれを押し付けられてスタンはがっくりとうなだれた。


「分かった、分かったよ。僕の負けだ、話すよ」

「ありがとう、その返事が欲しかったの」

「……君の持っている僕の知らないスキルはどれだけあるんだろうね。メンフィスもそうだったけど将来が末恐ろしいよ、まったく」

「その話はまた聞かせてもらうわ。それであの二人は迷宮を攻略したの、していないの? 公式な見解には言葉を濁す内容しか書かれてないのよ」

「あの迷宮案内人がついているんだ、攻略しないはずがない。彼らは目的の品を手に入れて意気揚々と帰って行ったよ」

「それは何?」

「総合ギルド《うち》の盗賊どもが何百年かかっても手に入れることのできなかったもの――盗賊王フライのもう一つの魔眼さ」

「もうひとつの……魔眼?」


 どういうこと、とアンジュは顔を曇らせる。

 フライが持つ特殊技巧はひとつだけだったはずだ。

 それに腐っても帝国の総合ギルドの盗賊課。超一流の盗賊集団である彼らが手に入れられない宝物があるなんてにわかには信じられなかった。

 スタンは誰にも言うなよ、と前置きをしてその秘密を打ち明けてくれた。


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