第6話 逃亡者
くそー、してやられた。
まさか昇進を餌に一人で回収に行け、なんて……最悪だ。
おまけに地下世界のコボルトの館。
あのハルズなんて可愛らしく映るくらい、凶暴化したコボルトたちが住んでいるという魔窟じゃないの。
「コボルトってより、ゴブリンキングとかオークマスターくらいの勢いじゃないのかなあ……?」
どちらもランクでいうとAA級。
つまりマスタークラスのS級冒険者が一対一なら勝てるかどうか。
そんなチートレベルの存在だ。
といっても、ギルドの認定するモンスターとか精霊や魔族のレベルなんてたいして当てにはならない。
それはあくまで人間基準の話であって、魔王にすら匹敵する言われた帝国の勇者や聖女たちですら、あのフェイブスタークには惨敗を期しているのだ。
「人類最強とか、神々の王の勇者って言ったって……皇帝陛下より弱かったじゃない」
撲殺された聖女。
神剣を折られて失踪した勇者。
同じく兄も同様に――。
「結局、陛下が一番だなんて皮肉な話なのかしら」
アミュエラに端末であれの資料とこれの資料をグラフ化して、この実績は数値をもっと明確に、など指示を飛ばしながら、アンジュはデスクの上でぼやいていた。
現帝国皇帝はまだ若い二十六歳。
前皇帝が市井の女に産ませた子供で、その身分は限りなく低いかったらしい。
そんな存在が、聖戦を終わらせるなんて誰が予想しただろう。
まあ、どうでもいいけど。
「問題はフライの方。五世紀も前か……わたし生まれてないじゃん」
噂では五世紀ほど昔。
盗賊王フライが活躍した時代に、ラスディア帝国は人類最大国家だったという。
魔導科学は最先端を迎え、古代魔導文明の遺跡などを活用し、竜族と素手で渡り合えるほどの魔法を確立した。
いや、魔導兵器というべきか。
「名前知らない
歴史の本には竜族と互角に戦い、まだ若く地下世界の魔界からやってきた魔王にもなりきっていない、あのフェイブスタークが魔王としての覇道を築き上始めた頃だと書いていた記憶がある。
生きて帰ってこれるのかしら、わたし。
また嫌な汗がついっと背筋を流れていく。
さすがにダイアンだって達成可能な案件しか渡さないだろう……多分。
でもこれまでやらされた回収案件はどれも、AAA級とか、S級冒険者とかの挑戦できる難易度だったもんなあ。
と、アンジュはぼやく。
ダイアンは自分を殺したいのではないのかと邪推さえしてしまう。
だが、違うのだ、とも思いなおす。
「……ダイアン様はフェイブスタークと互角とは言わずとも、退けるくらいには強かったのよね。バクスター様と同様に……」
聖戦の終わりは三年前だけど、そのものの歴史は百年近くあったはず。
そう思うと、魔王が帝都に進撃してきた当時、ダイアンはまだ若くていまのアンジュと大差ない年齢だったはずだと思い至る。
つまり、異常なのだ。
強さの底が余りにもレベルが高いのだとアンジュは理解する。
その当時の世代が……あまりにも偉大過ぎて、現代の冒険者じゃ追いつけないのよ、と。
「そんな当時の感覚で無茶な常識押し付けないでよーダイアンっ!」
秘書室から移動し、ダイアンの執務室から遠く離れた印刷機器が数台並ぶそこで資料を製本化しながら、機械音に紛れるようにアンジュは叫んだ。
言ったあと、ダイアンがそこいらに界離魔法で隠れていやしないかと、びくびくしながら……どうやら今回は大丈夫らしい。
ほうっと胸をなでおろすと、アンジュは思案する。
「このままじゃ犬死だわ。死にに行くようなものじゃないの。おまけに地下世界なんて……最悪だわ。更に輪をかけて最悪よ」
腕輪を見て、そう声をかける。
(魔導ネットワークの影響が及ぶ範囲は地下世界では限られます、アンジュ)
「そうよねえ……」
アミュエラの返事を見て、アンジュはがっくりと肩を落とした。
(あなたとの直通回線の維持はできますが、あくまで緊急時の非常手段になるでしょう)
「分かってるって、分かってるから……
重すぎる溜息の連続は若い彼女らしくないものだった。
そんな時だ。
ピーっ、と印刷機が必要部数の製本が仕上がったことを示す完了音を鳴らして知らせる。
「どこまで許されるのかしら。うーん」
眉根を寄せながら、移動用のカートに資料をドサドサと詰め込んで、アンジュは印刷室を後にする。
カートを押し、会議室がある部屋に移動しようとエレベーターホールを目指していたら、逃げた犯人に関しての資料がアミュエラによって用意されたと通知がきた。
「時間が無いから読み上げ……は駄目、ね。音声だと誰かに聞かれたら困るし、情報流出でもした日には目も当てられない」
これも持ち込めるかどうか悩ましい。
地下は独自の文化が発展していて、地上世界のそれを持ち込むには厳しい制限が課されることもある。
普段の任務時に利用している様々な魔導具もそのまま持ち込めるかは怪しかった。
「始めて」
(かしこまりました)
合図とともに耳に聞こえてくるのは、無機質な、それでいて若くしっとりとした女性の声で読み上げられる、今回の逃亡者の情報だった。
(ラスディア帝国総合ギルド本部所属、盗賊ギルドに登録があります。レットー・アドフィン、人族、二十八歳。帝都西区エダス通り三番地二十四に登録住所あり。冒険者レベルはA級。登録から十三年が経過しています。刑罰・懲罰はなし。二度、局長賞と奨励賞の受賞歴あり。国際ギルド連盟主催の探知魔導実務者研修では優秀な成績を残しています)
「局長賞に魔導探知で優秀な成績ねー。品性方向な冒険者を地で行くような人物じゃないの。それだけ能力も実績もあるA級なら、S級になるかギルドの管理職にならなかったのが不思議なくらいね」
(内務調査局や犯罪捜査局辺りからの誘いはあったと、情報にはあります)
「
総合ギルドは巨大組織である。
しかも、国軍並みの軍事力とそれこそ文字通り、ありとあらゆるギルドーーその分野の管理団体がさらに統合された一つの国家といっても過言ではなかった。
その運営には表もあれば裏もある。
暗部と呼ばれている内務調査局や安全保障局などはそのいい例で――とにかく、まともな生き方をしていればスカウトのお声がかかることは少ない。
(盗賊という職業がそういった隠密性を帯びたものだからかも、しれません)
「まあ、そうね。A級なら基礎魔法はあらかた網羅しているだろうし、戦闘系もどうだろ。一人でダンジョンに入り帰還するなら……でも、盗賊って基本は団体行動よね?」
ふと、そんな疑問が思い浮かぶ。
地上世界は古代遺跡とかまだまだたくさん遺されていて、その多くは若い頃のダイアンの力が現代の若者の基準よりもはるかに上位にあったように、過去には低レベルな冒険者でもクリアできたかもしれないそれらは、現代では上級レベルの冒険者が十数人のチーム制で最新型の魔導機器を利用して効果的に攻略するのが主流だ。
過去の伝説にあるようなドラゴンとの一騎打ちとか、数名でパーティを組み、前衛・後衛に分かれて波状攻撃をモンスターに仕掛けるとかはもう古いのである。
大体は、そのレベルのモンスターやトラップがあるかどうかを予測し、探知魔導の測定結果から必要とされる武器弾薬類を用意して、攻略に向かう。
死なないためのクエスト攻略、が現代の常識であった。
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