第5話 異神域技巧(イビルレイヤー)


「もう、どこ行かれたんだろ」

 ロールカーテンを引き下ろし、厳しい陽光を遮断する。

「さあ、どこかしら?」

「へ……?!」


 後ろから声がして、慌てて振り返ると、扉からダイアンが入って来た。

 目にかかる銀髪をうっとおしそうに手櫛で後ろに流している。


「どこにも行ってないわよ。あなたが入って来て、そこから出て――」

 と、ダイアンは扉を長く細いきれいな指先で指し示す。

「それで入って来たの。あなたの後ろにいたのよ、気づかなかった?」

「……気づきませんでした」


 と、呆気に取られてアンジュは返した。

 ダイアンは不満そうな顔をして、秘書に注意を促す。


「しっかりなさい。そんなのじゃ、不意に乱入してくる魔族とか相手に出来ないわよ。あいつら、遮蔽魔法とか普通に使うんだから」

「えっ、あ……そんな、だって。この建物の中はアミュエラの結界もあるし、それに――」

「上級魔法使いとか、賢者たちが張り巡らせた結界で魔力は使えないはず? そう言いたい」

「え、ええ。そう、です。だって、魔王陛下だってこの中を訪れた時は嫌そうな顔をされていたのに……」


 ありえない。どんなトリックを使ったんですか!?

 アンジュは平然とした顔で椅子に座り込む上司にそう叫びたかった。

 ……総合ギルドの魔力対策は万全のはずなのに。


「そんなの簡単でしょう? 誰にも気取られず、どんな結界にも左右されない魔法を使えばいいのよ。魔法の源は自分の中にあるじゃない」


 そう言われて初めてアンジュはあることに思い至る。

 気づくのが遅いと言われても仕方ないと理解した。

 彼女はズルをしたのだ。ギルドマスター以上の存在にしかできない、ズルを。


「あっ!? まさか……界離かいり魔法っ! です、か」

「そうよ。あなた、十年も秘書やってきたんだから……今更知ったかのような顔しないで頂戴」


 しれっとそう言うと、ダイアンは予定表を見てはあー、と大きくため息をつく。

 冗談ではない。

 ため息をつきたいのはこっちの方だ。

 アンジュは心で再度そう叫んでいた。


「忘れていました……」

「そう。だめな秘書ね」

「すいません……でも、なぜ今お見せになったの……」

「それはね、必要になるから、よ」


 ダイアンはヘッドギルドマスターだ。

 ギルドマスターになるには、あらゆる環境下に影響されず特定の技巧(スキル)を使えることが最低条件になる。

 その技巧は『界離かいり魔法』と呼ばれる特殊技巧。

 いや、それより上位に位置する異神域技巧イビルレイヤーだ。

 伝説の英雄や勇者たちにも並ぶ、神の域に達した真の技巧。


「隠遁の……ダイアン」

 何がどう必要になるのかと思いながら、アンジュはダイアンの二つ名を呼んでいた。


「そうよ。私の異神域技巧イビルレイヤー隠遁者インビジブル。例え魔王といえどその存在を感知することは出来ない。盗賊なんて垂涎のスキルでしょうねー」

「そんな……。反則ですよ、ダイアン」

「どうでもいいじゃない、そんなこと。勝負は生き残れる者が勝者なのよ、アンジュ」

「はい、ダイアン。でも誰に必要なんですか? あなたが前線に出るの? それとも、会議をスパイするとか――はあり得ない、か。主催者ですものね」

「そんな恥知らずな真似できません。あなたのお兄様のメンフィスはよくやっていたようだけど。誰かを驚かすのが好きな彼だったわ」

「兄です、か。自分、そんなに覚えてないので」


 兄さんもこの隠遁者インビジブルという名をもつ異神域技巧イビルレイヤーを体得していたんだ。

 その事実はアンジュに驚きをもたらした。


「確かに、兄は魔王と戦い破れ……でも、死んだ聖女のようなことはなく生還しましたけど……。愛する存在を失いましたよ、ダイアン。使う暇がなかったのかも」

「過ぎたことよ。もう忘れなさい。私も忘れるから」

「……はい」


 そんな簡単に言わないでください、ダイアン。

 あれは、義姉との思い出は――私にとって唯一の家族との記憶なんです!

 思わずなぜか悔しくなって、目尻が熱くなる。 


 だが、アンジュはダイアンを責めようとは思わなかった。

 兄が失踪した後、自分を育ててくれた第二の母親は彼女だ。それに、あの時――白銀の魔王フェイブスタークとの決戦の時。

 ダイアンは兄のメンフィスを庇って左腕を失っている。

 ……後から神聖魔法で生やしていたけど。

 黙り込んだアンジュを横目に、その心理を知ってか知らずかダイアンは無神経な問いかけをする。


「ねえ、メンフィスと言えば今回の会議なんだけど」

「はい? 兄が何か?」

「彼がいまあなたがしている任務を離れる前に、最後にやった債権回収が同じなのよ」

「同じ……と、言いますと?」


 だからね、とダイアンは魔導端末をこちらにすいっと机の上を滑らせて渡して寄せる。

 そこを見ると、「新規回収案件」という新しい項目が光を放っていた。


「『万解ばんかいの魔眼』、ですか」

「そう、五世紀ほど昔に活躍した盗賊王フライの特級技巧ね。どんな鍵でも開けてしまうと言われているわ。危険を感知し、生存の道を指し示すとも言われている。心の鍵でも開ける、なんてロマンチックな伝説もある逸品」

「……逃亡、ですか。返品はなしで?」

「無いようね。行ってもらえる?」


 詳しい内容はこっち、とダイアンは机の引き出しから小型の石板のような魔導端末を取り出してアンジュに渡した。

 いつも通りの裏の任務だ。


「ふふ。頑張ってね、アンジュ……。いいえ、ノーラ・アンドルフィア・ブルックス二等債権回収官」

「え? 管理官では?」

「いまからは回収官を名乗りなさい。それがまず最初の人事になるから」

「はいっ」


 二人だけしかいない室内に、アンジュの声が妙に寒々しく響いていた。


「それでね、アンジュ。あなたにはプレゼントがあるの」

「プレゼント……? なんですか、それ」

 

 今日は何か特別な日であったか?

 記憶を探るが特にそういった覚えはなかった。

 不思議そうに首を傾げるアンジュを見て、白髪の悪魔はにこやかに微笑んで見せた。


「メンフィスが最後にしてくれた案件があなたに回って来た。丁度、あなたも十年目を迎えるし、あのこたち……」

「あの子? お姉さまたちですか?」

「そう、六時って言ったのはルビリンだけじゃなくて、アーシャやサニーにも伝えたのよ。でもダメよねえ、最近の若い子は。お化粧と着飾って男性に興味を持ってもらうことに必死で、仕事の本文をわきまえていないわ……」


 はあ、と肘をつきヘッドギルドマスターはやれやれと首を振る。

 歴戦の強者であるあなたにしてみれば、そりゃ平和な時代の世代の感覚はそんなものですよ。

 と、アンジュは先輩たちを擁護したかったがそれをやれば、じゃあ、あなたやりなさい。と返されるのは目に見えている。


「そう、かもですねえ、ええ」


 自分から虎口に飛び込む勇気は……アンジュには無かった。

 あの業務量を一人でこなせなんて言われたら、それこそ、連日朝帰りになってしまう。

 そうなったら、同居人の機嫌が悪くなるのは必定だ。


「あの子たちがもっと頑張ってくれたらねえ。今みたいな残業だってしなくて済むのよ?」

「ははは……」

 

 乾いた笑いしか出てこない。

 みんな頑張っている。夫からさんざん文句を言われて影では辞めたいと叫ぶ者もいる。

 アンジュの同居人もその一人だ。

 ただでさえ最近、帰りが遅い。

 浮気してるんじゃない、と勘繰られて理由を説明するのもおっくうなのに、新たなトラブルを抱え込むのだけは御免だった。

 さよなら、なんてしたくないし。


「まあいいわ、その分。頑張ってもらうから」

「ひゃい!?」

 

 そこにいるのはわたしかいっ!?

 たらりと首筋に嫌な汗が流れるのを感じた。

 これ以上、どうしろと? 

 秘書官の他に、二等債権管理官なんて裏の役職まで持っていてもう、余裕なんてどこにもないのに。


「今回の件、うまく回収できたら部下を付けていいわよ」

「え? 昇進?」

「そうね。それから、明日からはそこに座りなさい」


 ダイアンが示したそこ。

 彼女の執務室のすぐ前にある、一台のデスクが扉の向こうに姿を見せていた。

 筆頭書記官の座る場所だ。

 今は――ルビリンが座っている……。


「あれって。でも、ルビーお姉さまは?」

「あの子、夫の転勤について、別のギルドに行きたいって転属願いだしてたのよ。丁度いい機会だわ」

「はあ、そうです、か」


 運が向いてきた? 

 でもルビリンは債権回収なんて別の作業は持っていなかった。

 これは自分と兄だけが……闇の役職として行ってきたものだから。


「ついでに、一般向けにスキルレンタルを始めるから、債権回収官っていう役職をね。新設しようと思うのよ」

「へえ、それは管理官とはどう違うんです?」

「準公務員というか、そうね」


 じっと考え込んでダイアンは黙り込んだ。

 多分、適当な名称を考えているのだろう。


「スキルハンター。みたいな感じかしら、賞金は債権の反則金というか延滞料の七割でいいかもしれない」

「……長く延滞すればするほど、得をする仕組みですか。追う側だけが……」

「世の中そんなものだから。あなたにはそっちの管理を任せるかもしれないし。まあ、あのデスクか課長の椅子か。どっちかになるわね」

「本部長の直轄の、ですね。新規部署……務まるかなあ」


 ダイアンは鼻をふっと鳴らして小刻みに笑った。

 おかしくてしかたない、そんな感じだった。


「あなたねえ、自分のことを過小評価しすぎじゃない?」

「だって……兄には遠く及ばないですし。ルビーお姉さまにだって……」

「馬鹿言わないで頂戴。メンフィスは聖剣士だったから界離魔法を幾つか使えたけど、あの子も聖剣の補助なしでは一つだけだったのよ? 私も一つだけ。あの魔王の襲来の時に、一緒に戦ったバクスターも一つだけ。なのに――」


 あなたはどうなの? と、ダイアンは手にしたペン先をアンジュに向けて振る。

 それはさも、オーケストラの指揮者の振るう指揮棒のようで、さっさと答えを言え。

 と、命じているようにも見えた。


「……奪還、暗失、雷竜の嘆き、千火の激剣。四つです……」

「特別なのはあなたなのよ、アンジュ。それと、今からもう一つ増えるわ」

「えっ!?」


 ダイアンは手元の魔導端末をさっと操作する。

 それはアンジュが持つ魔導端末にアクセスして、何かをインストールしていった。


「これ、え? 本気……です、か」

「当たり前よ。ああ、言い忘れたけど、今回の回収のことね。あいつ、ダンジョンの厄介な難所に潜り込んだから。それも含めて、ね」

「は?」

 

 厄介?

 ダイアンがそう表現するときは本気でヤバい案件だ。

 命が……いくつあっても足りないような。


「あの、応援……は?」

「ないわよ? 私の隠遁者インビジブルあげたんだから、頑張りなさい」

「ウソォっ……!?」

「本当。コボルトの館に逃げ込んだみたいよ」


 コボルトの館。

 犬頭を持つ獣人のそれではない、今朝、朝食を購入したハンズのような正真正銘のコボルトが集まるそこは、聖霊やら闇の妖魔に堕天したコボルトたちの集落。

 様々なお宝が眠るダンジョンの難所であり、帰らずの館とも噂される特級の難所だった。


「最悪」

「頑張ってね。栄転、期待してるから」


 ダイアンは人ごとのように、いや、他人事なのだが。

 気楽に言うと、さあ会議の準備をしなさいとアンジュを部屋から追い出した。

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