第3話 失踪した聖剣

 朝早い地下鉄の構内は人もまばらでしんとした冷たい地下独特の空気が、目を覚まさせてくれる。

 地下鉄がレール沿いに駅に入って来て、その中は当然のようにどこでも好きな席に座れる状態だった。


 上司である本部長はダイアンという。

 六十を越える老齢の女性だが、その権威は帝国内だけでなく世界ギルド連盟の理事にも席を置く才女だった。

 本部長であり、支部長であるギルドマスターたちをまとめる、ヘッドギルドマスターでもある。


 両親を幼い頃に無くした自分と兄の後見人でもあり、ブルックス家の恩人であり、亡くなった父母や祖父たちと肩を並べて魔王と戦った歴戦の猛者でもある。

 両手に戦斧を持ち、ギルマスの一人でもある雷光のバクスターと共に、北壁の魔王の襲撃から帝都を死守した逸話は今でも語り継がれている伝説の人だ。


「世界ギルド連盟とか言っても、神様たちの決めたゲームからは誰も逃れられないのよねー」


 あまり反発の良くない車内の対面式の四人掛けの椅子に深々とお尻をうずめると、アンジュはマナー違反かもしれないと思いつつ、他に誰もいないその一角でパンを頬張り、コーヒーをすする。

 荒れている胃に肉汁たっぷりのベーコンはなかなか持たれそうだが……それでも習慣というものは簡単にはやめられない。


 普段通りの生活をしないと、一日が始まった気がしないのだ。

 胸やけしそうになりながら、人工女神とつながる腕輪型の魔導端末に胃腸の消化を促進し、荒れを回復する魔術をかけてやる。


「あー……。間抜けだ、本当に間抜けだ、わたし……」


 最初からこうすればよかったんだと思いついたのは、次に二日酔い覚ましの魔術を頭にかけた後だった。

 地下鉄の窓から見える光景は多彩なもので、地下世界の一端を担う迷宮の壁だったり、深い地底湖だったりと見ていて飽きることがない。


「あのどこかから、さらに地下世界に降りていけるんだよねー。でも、それは二つしかない……」


 と、脳裏に浮かんだのは帝都と、はるか遠方の王国の王都にある二本の巨大な円柱だった。

 天高くそびえ、その雲間も突き抜けた向こうにある最上階はどこにあるのか誰もわからない。


 足元は数千キロしたの地下の大空洞に設置されていて、そこまでは地上から外縁部を回転して昇降できる楕円形のエレベーターが毎日稼働して人やモノを地下から地上に、地上から地下に運んでいる。

 千年昔からあると言われてる円柱がいつできたかは……。


「それこそ、北壁の魔王くらいしか知らないの、かな」


 ふわあっとあくびが一つ。

 あの紫色の大きなコウモリのような羽を持つ魔王なら、意地悪そうな笑みを浮かべて、多分こう言うだろう。


「知らぬのか、アンジュよ。この世界はな、常に神によって操られておるのよ」

 、と。

「魔王フェイブスターク、嫌味な奴」


 上司であるダイアンの供として、幾度となく帝都から百キロも離れていない魔族の都グレイスケーフの主に会ったことのあるアンジュは、個人的に会話をすることもある仲だ。

 魔王の娘、魔王女エミスティアはたまーにだが、お忍びで帝都にお寄りになる。

 そんな時はホテルなどに宿泊せず、友人であるアンジュのマンションに泊っていくのだ。


 気さくな魔王女からは……彼女の父親が北壁の魔王、最悪で史上最強と呼ばれ、先の大戦では勇者の神剣をへし折り、聖女を撲殺した影はうかがえない。

 そんなことをぼんやりと考えていたら、自分の中の魔王が語り掛けて来て、アンジュはつい返事をしてしまう。


 いや、過去に実際にした会話が脳裏に蘇っていた。

 あれは昨年、魔都を訪れた際のことだ。

 エミスティアの寝室にお泊りした時、過保護な父親はちらりと顔を見せて語っていった。


『どういう意味よ、魔王様。この世は常に神に操られてるって……』

『知らんだろうなあ。わしは知っているがな』

『お父様!』


 いつも、もったいぶって本題を切り出すのが遅いと娘に叱られて、父親は肩を落としわかったわかったと話し出した。

 それは古い古い神々の協定の話だった。


『この世に存在できる種族の総数はあらかじめ決まっておる。その数量調整のために、各種族は己を庇護する主神から神託と代理人を授けられて戦いを行のだ。俗に言う、聖戦というやつだな、アンジュ。魔王が二十四いるように、神もその数は膨大。そして、知恵と能力を持つ種族もまた多く存在する。持ち回りで、戦いを演じるのだ。今回はわしと、この帝国をはじめとする西の大陸の北部地方の種族。及び地下世界の者たち――のようにな』

 

 聖戦なんて呼ばれてるけど、帝国の皇帝陛下に肉弾戦で負けたじゃん、あの魔王様。

 何が史上最強の魔王なんだか、とアンジュは二度目のあくびを噛み殺す。

 三年前の魔王と竜王、皇帝陛下の三者による三つ巴の殴り合いにより、人類は勝利したのだ……多分、それで今世紀の数量調整とやらは終わったのだろう。


 帝国は聖女を失い、勇者は行方不明になった。

 勇者パーティに参戦していた兄は……勇者と同じく魔王に聖剣をへし折られ、どこかに行ってしまった。

 その理由は理解している。


 でも、まだ十二歳にしかならないアンジュを置いて消えてしまったあの日。

 アンジュは天涯孤独の身の上になったような。そんな絶望感に近いなにかを受け入れてしまった。

 その心の中にぽっかりと空いた空洞は、いま地下鉄が走っている地下迷宮の一部を改装して利用している路線のように、埋まることは無いのだろう。


「義姉さん……」


 兄と共にいてくれた彼女。三人で過ごしたあの時間は二度と戻らないのかもしれないと思いつつ、アンジュは心地よい揺れについつい目を閉じてしまった。

 目の前に柔らかい膜でも張ったような、温かい何かが降りて来た。


 まぶたの裏に現れたのは、三年前に行方不明になった兄の笑顔だ。

 実兄のメンフィスは聖剣士だった。

 同時に、いまギルドを騒がしていて、自分が受け継いだ裏方の仕事にも従事するダイアンの右腕でもあった。


 聖剣士はよく剣聖と間違われるけど、自ら剣を育てて聖なる剣にする剣聖と違い、世界のどこかで星の魔素を吸い長い年月を経て生まれた自我を持つ、聖剣に選ばれた剣士のことを指す。

 剣聖に生み出されても、自ら生まれても聖剣は聖剣だ。違いはない。

 意志を持ち、剣とは別に肉体を持ち、好きな伴侶を得て子を成すこともある。

 義姉がそうだった。


 白銀の均一な長髪と褐色の肌に、紅の瞳が印象的な女性であると同時に聖剣。 

 兄のメンフィスがどうやって彼女と知り合ったのかは不明だけど、いつも優しくて亡くなった母の面影を見せてくれる、アンジュにとっては大事な家族だったのだ。


 メンフィスとともにギルドが貸し出した特級技巧を借りたまま逃げた冒険者を追いかける、スキルハンターなんかもしていたっけ。

 白銀の髪がダイアンにそっくりだから、その再来と言われ特級技巧を借りた冒険者たちには恐れられていたというのだから、世の中は面白い。


 夢うつつの中で「そろそろ起きる時間だよ、アンジュ」と兄と義姉に言われた気がして、アンジュははっと目を覚ました。


「あっ、あれ!?」


 ガチャン、と車体が停止したか思うと、目の前にある扉が左右に開いた。

 ここ、ギルドの地下にある駅じゃないの!

 見慣れた光景に考えなくても足が入り口に向いて反応していた。


 ヤバい、ヤバい。これで遅刻でもしようものならダイアン様が不機嫌になって一日が大変だ……。

 地下のどこかから、義姉か兄のどちらかがそっと見守ってくれていたような気がして――アンジュはちらりと後ろを振り返り、にっと微笑むと足早に地下鉄を降りた。

 

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