第2話 コボルトと人工女神


 どうにか二日酔いの頭痛から立ち直ると、もう一人の同居人がどこにいるのかと探す仕草をしながら、アンジュは衣装部屋の扉を開けて今日は何を着て行こうかと悩みだす。


 秘書課の職員には既定の制服があり、それは毎年支給される。

 黒のタイトスカートに白いフリルのついた絹製の丸首衿のシャツ、同じく黒のジャケットと、深みのあるえんじ色のスカーフを首回りに巻いてふんわり感を演出。頭の上に小ぶりの白にスカーフと同じえんじ色の柄が巻かれてリボンがついたハットを斜めにかぶるのが普通の制服。

 各部署の受付嬢はだいたいそんな感じ。


 女性職員は帽子を被らないが、黒を基調としたスーツに身を包んでいる。

 慣れてくれば各種族の特色を出した民族衣装を着て来る子もいるが、それは数少ない。

 秘書課ともなれば、広報課とならんで全女性職員の憧れの花形だ。魔導ネットワークを通して各家庭のお茶の間にその姿を現すことも少なくない。


 帝都では南の大陸に端を発した電子機器などもそこそこ扱われていて、魔素をこれらと融合させた新たな文明の利器を開発・普及してきた。

 テレビという言葉は普通にあり、それを運用する団体も存在する。


 魔導台風などを知らせるお天気お姉さんたちは若い男性に人気だし、経済番組や法律番組で専門性の高い番組をする経済学者や弁護士なんかも女性には人気である。

 アンジュたち秘書課の面々も、世間様に対して大きな発表がある時は、本部長と共に取り組みに対する声明を発表する場に出て行かなければならない。


 そんな理由と、いまは国外に出た兄の知人女性がファッション雑誌でモデルをしているのもあり、そのお下がりを多く、くれることがある。

 というか、言い寄る男性たちからプレゼントされたが、処分に困り自分に渡してくるのだろうとアンジュは思っていた。

 それでもその友人は季節を三か月ほど先取りしてから着なくなるから、一般的にはちょうどいいのだ。

 問題は――貰い受けた方がそれほどファッションセンスを持ち合わせていない、その一点に尽きた……。


「今日は記者を集めて会見とかあるから、涼やかで演出できるものっ」


 自分で選ぶよりも人工女神アミュエラに任せた方がよさそうだ。

 アミュエラは現代で言えばAIのようなもので、この西の大陸の魔導ネットワークを総括して管理する魔導科学の粋を集めた管理知能である。

 あいにくと人格はないが、その判断の多くは専門性によるものが多く、帝都市民の生活の隅々に至るまで恩恵を授けている。まさしく、人工女神だ。


「アミュエラ、どれがいいと思う?」


 ドレスルームの壁――鏡面に向かって声をかけた。

 女神からはどんな装いを求めるのか、と問いかけがはいる。


「総合ギルドの本部長発表の後ろであまり派手でなく、それでも見えるものを……適当すぎる?」


(あなたが登壇する可能性は皆無かと)


 そんな一文がアンジュのはかない希望を打ち砕く。

 確かに、先に入るお姉さまたちがテレビに映りこむ栄光を譲るはずがなかった。

 あの婚期を逃して仕方ないと嘆く彼女たちが、多くの男性の目の前で有能さを見せつける絶好の機会ではないか。


「……普通の制服にするわ。悔しいけど……」


 クリーニングしたまままだ袖を通していなかった秘書の制服を取り出すと、着替えて化粧を急いだ。

 ああ、もうっ。寝癖と酒の臭いがそこかしこから気分を滅入らせる。


「アミュエラ、清浄魔法でどうにかならない? 服を濡らさずに」

(お任せを)


 どこでも出来る魔法ではない。

 アンジュのこの部屋にあらかじめ設置された魔導具を介してできる限定サービスのようなものだ。

 清浄魔法とはうまくいったもので、アンジュの体表面に付着する酒成分や体内から排出された不純物などを分解して消滅させる。


(髪型は流行の物にしておきました)

「流行のものってそこまで頼んでない……」


 黒髪の一部だけ銀色に染まっているのは目立つから、普段から隠すようにしていたのだが。

 お節介なアミュエラはその部分を編み上げにして左側の側面をアップにすると、右後ろでまとめてしまっていた。

 全体的に左右から編み込んで、いかにも活動的ですよ、とアンジュの魅力を押し出すような感じのそれを見て、彼女は絶句する。


 多分、この後は――鋭すぎるといつも言われる釣り目をやや垂れ目に見えるようにして、藍色のアイシャドウを薄く塗り、スカーフを合わせるようにベージュのシャツを選べばまあ、悪くない女が出来上がる。

 ハイヒールはめんどくさいから、パンプスにするとして……。


(あと十五分で家を出ないと間に合いません)


 そうこう悩んでいると、アミュエラは部屋のどこかにある鏡面に警告を示してくる。

 パンプスは深緑色の物に決めた。夏によく合いそうだからだ。


「アミュエラ、あの子どこにいるの?」


 あの子とは同居している人間族の女性の事だ。

 とあるクエストで知り合い意気投合してから二年ほど住んでいるが、自由気ままに生きているのでここにはいないかもしれない。


(ロゼッタは屋上に)


 そんな一文が示される。

 ああ、なるほどと合点がいった。

 彼女はペントハウスの隣にしつらえたビニールハウスで故郷の花を育てているから、まあその世話をしているのだろう。


 まあ、彼女はあまりそこかしこに行かない方がいいのである。

 ちょっと変わりものだから、家の中で大人しくしていてくれた方が――世間の為なのだ。

 いつも通りに支度をして、いつも通りより早い時間にマンションを出る。

 腕時計を確認したら早朝の六時を少し回ったばかり――これで早出した分の時間外手当が付けば文句は無いのだけれど……。


 世間はそう甘くはないのだとアンジュはため息をついて、帝都の地下を走る地下魔導列車の定刻に遅れないように自宅を出た。

 マンションの目の前から、帝都のメインストリートまで歩いて数ブロックのところにある。


 南の大陸では地下にはしる魔導列車を地下鉄とか呼ぶらしい。

 鉄の箱が走るのだから、まあ理解できないこともない。

 夏の日差しがまだ陽が昇り始めたばかりだというのに、肌をじりじりと焼いていく。

 アンジュはなるべく日陰を選びながら、途中、道が交差点にある露店に顔を出した。


 そこは持ち帰り式の、ハンバーガーとかサンドイッチとか、そんなものを販売している馴染みの店だった。

 オーナーはハンズという妖精族の男性で、もう数十年この店を切り盛りしているらしい。

 アンジュと上司である本部長……ヘッドギルドマスターの朝食の定番で、上司はここのサンドイッチが無かったら朝から不機嫌になる。


「よお、アンジュ。早いな?」


 カールのかかった金髪に紅の瞳が美しい白人種のような外観――古くは農家などに住み、家主たちを支えた聖霊、コボルトだった。

 今では自分で元家主たちの農場を受け継ぎ、こんなサービス業に精を出している商売人にしか見えないが……。


「ハンズおじさんもね。晴れてよかったわ、暑い天気だけどここは営業してるから」

「まあ、暑すぎるのも問題だけどな。うちはほら、生ものだから」

「そうね」


 と、ハンズは受付口から体を乗り出して空を見やる。

 今日は良く晴れてくれそうだった。


「今日も二つ?」

「今日も二つ。ヘッドギルドマスターのはベーコン、厚めにして。それとホットコーヒーも二つね!」

「あいよ、まいどあり!」


 腕程の丸みと厚みのあるパンを手のひらサイズに切り分け、そこに湯でたベーコンが一つ。

 小ぶりのオムライスには野菜とネギなどが豊富に含まれていて、ついでに温野菜をその合間に挟んだものが油紙でくるんで渡される。

 店の前に据え付けてある、マヨネーズかマスタードとケチャップを好みでぶっかけて食べながら歩くスタイルだ。

 客もまばらな早朝。

 料理を待つアンジュにハンズが不思議そうな顔をして、調理をしながら問いかけて来た。


「おい、アンジュ。どうして今朝はこんなに早いんだ? ダイアン様がどちらかにお出かけになるのか?」

「今日は各支部を統括するギルマスたちが集まる集会があるのよ。準備遅れたら殺されちゃう!」

「ふうん、それでそんなにおめかし、か。本命はテレビの中継だろう?」

「……うーっ。出れないって思ってるでしょう?!」

「いや、そうでもない」

「へ?」


 ほら、コーヒー持ち帰り二つ。と、コボルトの店主はそれを手渡し、後ろのビルの壁を指さした。

 そこには巨大なパネルが設置されていて、いまでも朝早く全国のニュースを放送していた。

 見上げると、若くて綺麗な白銀の髪を結い上げた女性のダークエルフのアナウンサーが、耳触りの良い透明感のある声で早朝のニュース速報とやらと読み上げている。


「ここで見ててやるよ、期待してるから。頑張れや、これおまけ」

「……ありがとう、おじさん」


 出て来たのは一時的な魔力の回復効果を含んだ飴玉だった。

 これの何で頑張れというのか――いつまで経っても子ども扱いは変わらない。

 十年間、毎朝ここの常連だという現実を認識しつつ、朝から深夜まで休みなくあくせくと働くから彼氏もできなのかもしれない。


 そんな虚しさを、背後のパネルに映り込んだ別のニュースキャスター。

 ハイエルフの美男子を目にして心に抱え込むと、ふう、と一つため息をついてアンジュは地下へと続く階段を降り始めた。

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