総合ギルドのチートな債権回収嬢
和泉鷹央
1 盗まれた盗賊王の魔眼
第1話 プロローグ
◎特級技巧……正式名称、異神域技巧具イビルレイヤーと呼ばれるそれは、過去の英雄や勇者、聖女や賢者たちが残した特殊なスキルの俗称にして、総合ギルドが管理保存する文化遺産の呼称である。
借金など債務を抱えた時に、この世で一番強い存在は債務者を追う借金取りではなく、借りたモノをパクッて逃亡する、債務者である。
「……あれ?」
アンジュの朝は、自分の疑問の声から始まった。
朝起きると、そこはリビングルームだった。
おう、と唸りたくなる一撃が脳裏をかすめていく。
「うーん……なにこれ……」
脳内でドラムが連打されているような気分である。
と、いうかそんな物音が実際に聞こえる。
飲み過ぎだ。
昨夜は久しぶりにはっちゃけすぎた。
「――ヤバッ!?」
まさか……と、思わず辺りを見渡した。
一夜の過ち、なんて危険なワードが突然、意識の底から飛び出して来たから。
でも、誰もいない。
周囲に、人の雰囲気が無いことに安堵する。
とりあえずは安全だった。
廊下の奥にある浴室やトイレから誰か、見知らぬ男性がひょっこりと顔を表したり――なんてドラマみたいなことはないみたい。
「良かったー」
安堵の吐息が少女の口から洩れた。
まあ……無事に帰宅できただけ良し?
これが見知らぬ男の家だったり、まったく面識もない美女が隣に全裸でいたりとかしたら……なんて、想像したくない。
同居人と、いつの間にか棲みついている長毛種の白猫に後から叱られてしまう。
どうやら危機は回避できたみたいだし――でも、この頭痛はどうにかならない?
寝起きのぼんやりした視界で、自分の全身を上から下まで眺めてみた。
「あぁ……最悪だわ」
ほぼ、全裸に近い。
辺りには昨夜着ていた服が脱ぎ散らかされていて、この春に発表されたブランドの新作のシックなワンピースにヒールの片方はどっかに蹴り飛ばしたらしい。
バックはテーブルの上に置いたのだろう。
連絡用の魔導端末もその辺りに見えた。
自分は長椅子でソファーベッドにもなるそれを引きだしてその上でばったりといったらしい。
朦朧とした意識の中で、そこまでは理解できた。
「やらかしたなあ。起きて来るまえに片付けなきゃ」
同居人はうるさいのだ。
朝帰りなんて、独身の若い女がすることじゃないとか叫ぶ人だから、彼女は。
「集めなきゃ。はァ……痛ッ!」
ズキンっとこめかみあがりに鈍痛が走る。
眼の端にある黒い網タイツは伝線していて、また買い替えが必要……足首にまとわりついていた。
というか、ワンピースを脱いで矯正下着を必要とするにはまだ早い全身は、下着も邪魔だとどこかに放り投げたらしい。
ブラジャーはベッドの足元にあった。ショーツはどこだ……?
そこまで考えていると、いつの間にやって来たのか純白の羽毛のような毛並みを持つ愛猫レムが、世界最大の猫種の後足で立ってほれ、とアンジュの求めていたそれを口に咥えてソファーの上に落としていく。
「おなよう、レム……ありがとうね」
「ニャアッ」
アメジストの瞳に悪戯好きな笑みを浮かべた猫は、何度目だよ泥酔したの。
そんな感じに呆れたような声を出した。
スンスンっと鼻を鳴らし、アルコールの臭いが嫌なのだろう。
片頬をしかめるようにして、そっぽを向くとさっさと台所に向かってしまった。おそらく水を飲みに行ったのだろう。
「あっレムー!? 冷たーい……」
「ナーオ」
酔っ払いは知らないよ。
そんな意味にも取れる否定の声なのか。愛猫はそれだけ言うとだまってしまった。
猫にも見捨てられたか。
肩をすくめ虚しさを胸に抱くと、アンジュは自分の借りてあるマンションにいることを再認識した。
来客用の向き合うソファーが三脚。
玄関を開けると廊下があり、その最奥がこの部屋だ。
リビング兼台所も兼用して、奥に繋がる部屋が寝室。
帰宅はしたものの、どうやらそこまでたどり着く気力が持たなかったらしい。
よく言う、電池が切れたというやつだ……我ながら情けない。
口元に手をやるとねめついたような酒気が鼻腔をくすぐった。
「またやったかー……」
アンジュははあ、と大きく目を伏せソファーの上に立ち上がると両手を上に背筋を伸ばす。
今の仕事には見習い時期を含めると就いてから十年になるが、まだまだ慣れないことも多い。
それに自分はまだ十六歳だ。
周囲の同僚のお姉さまたちはもっと長い勤続歴を誇っていて、職場内のパワーバランス的にもあまり優位ではない。
当然、いろいろと厄介ごとを押しつけられてこういったストレス発散となる。
アンジュの仕事はギルドマスターの秘書官だ。十数人いる秘書室の末端に入る。
当然、管理職よりも現場の職人や冒険者よりの立場になり、十年も勤めていれば荒くれどもとの親交も深まるという次第である。
そして、彼らの鬱憤晴らしは飲んで騒ぐ、そこに尽きた。
「うーん……痛いーまただー」
伸びをすると同時に頭にズキンと鈍い物が走った。
二日酔いだ。
どうしてだろうと、首をひねる。
昨夜はアルコールを喉元を過ぎた段階でただの水へと変換する魔導具を、チョーカー代わりに首につけて出席したはずだ。
おかしいなと首元に手をやるが、あいにく、外して確認してみれば、裏側のゲージがレッドラインに達していた。
装置の許容量を超えたことを示す合図だ。
どうやら、アルコールの方が装置を負かせたらしい。
がっくりと肩を落とすと、アンジュはソファーからゆっくりと立ち上がり台所に向かった。
「水……」
呻くように求める。しかし、それを持ってきてくれる心優しい異性はここにはいない。
いい歳をした独身女の醜態をさらす様を見られなくて良かった、そう考えることもできたがどうせ、それは言い逃れだ。
這うようにして築百年は経過した床の木材の描き出す、飴色のしっとりとした輝きに顔を映し込みながら、アンジュは最も近い台所の水道を目指した。
3LDK。
玄関を入ると右手にまず浴室とトイレ、その奥に客間が一つ。
左手には書斎と倉庫とがそれぞれある。他に最上階であるこの部屋のベランダからは、屋上のペントハウスにつながる階段もあった。
しばらく手入れしていないが、プールの水と花壇を見に行かねばならない。
コップに水を注ごうと栓を捻ると、帝都のはるか北方だかどっかだかの山脈の渓谷の中に作られて管理しているという、精粋工場からの水が転送魔導で送られてくる。
冬場には冷たすぎてそのままでは飲めないそれも、いまの夏場にはちょうどいい感じに冷えていて、酒焼けした喉の奥を潤してくれた。
テーブルに移動し、水に棚から取り出した蜂蜜をちょっとずつ溶かし込むと、それを飲みながら発声練習をする。
だめだ。
あまりにもしゃがれていて、今日の会議には役立ちそうにもない。
あの酒精浄化器――昨夜、飲み会に付けて行ったチョーカーのこと、まったく役立たずじゃない。
わざわざラーダ銀貨五枚もだして、通販で購入したのに!
アンジュは出費の値段の高さと反比例した効果への期待を裏切られたショックを苛立ちに変えると、ダンっとおおきな音を立ててテーブルの上にグラスを叩きつけた。
キンっとガラス素材ではない金属製のそれは、まるで自分は悪くない、というように抗議の音を鳴らした。
「金猫通販めー、返品してやるっ!」
魔導ネットワークで検索、閲覧したサイト「金猫通販」で注文し届いたその翌日に歓び勇んでつけていったアイテムがあの不良っぷりだ。
しわがれた老婆のような声で叫ぶとそのまま、呪いの呪詛でも唱えているように聞こえるから不思議なものである。
通販業者からしてみれば、用法用量を守って正しくお使いください、とか。この酒精浄化器で浄化できるアルコールの限界はここまでです、とか。
もしかしたら、魔導具は魔素で稼働します。魔素を完全に充満させてからお使いください、とか。そういった注意書き、但し書きのようなものを梱包していませんでしたかー? などと問い合わせを逆にしたくなるような状況だが、あいにくとそれは適わない。
「……あ、だめだめ。こんなことしてる暇ないよ。準備しなきゃっ」
喉がどうとか言っている状況ではなかったことを、壁の掛け時計を見やりアンジュははっと、現実に立ち返る。
今日は総合ギルドの支部長にあたるギルドマスターたちが、始業時間から本部で会議を行う日。
本部長付き秘書室に勤務するアンジュは、最低でも会議の二時間先に入庁していなければならない。
入庁? そう、アンジュはこう見えても公務員なのである。
所属する総合ギルドは世界ギルド連盟所属ラスディア帝国総合ギルド本部、といういかにも長ったらしい総称を持つ、公的機関。
現在、この世界の地上・地下・海中から異世界に近い妖精や精霊たちの住む妖精界、そして魔族が棲む魔界に至るまで。
ありとあらゆる種族間で休戦協定が結ばれて、その管理は幾つかの巨大組織で管理運営されるようになっている。
総合ギルドだったり、フォンテーヌ教会だったり、魔王連邦だったり……といった感じだ。
それでも種族間の小競り合いはいまでも止むことは少なくないが誰も気にしていなけど。
「今日のあれ、なんだっけ。資料揃えなきゃ……」
本日の議題は、下級~中級のギルドメンバー向けレンタル事業を発足すること。
その内容は「総合ギルドが人工女神アミュエラを利用して複製・管理保存している、太古の勇者や英雄、聖女や賢者など。人類にとって脅威だった魔王たちに立ち向かい勝利を収めた彼らの能力を有償で貸与し、更なる技術力の向上を目指す」というもの。
まさかこれが公然の借りパク騒動に発展しようとは、この時、誰も思わなかった。
返還帰還を過ぎてしまい、『債権』と化した特級技巧と呼ばれるそれは、債権管理課の管理官が回収に出向く。
でも、彼らでは難しい案件は、アンジュが回ってくるのだ。
今回もそんな面倒事が持ち上がるなんて、もちろん、本人は予測だにさえしていなかった。
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