(4)

「流石に、ねぇ。燃やしてしまったのは麗鈴が良くなかったかなぁ」

「だって……私の可愛い桐鈴が……」

「うん」

「人間の男……しかも、自分を騙して問答無用で地上に留めていた男を、愛しているなんて、言うから……」

「麗鈴は大層彼女を可愛がっているものね。そんな可愛い可愛い妹が、そんな地上の男を愛しているといって構うのに嫉妬しても仕方がないけれど」

 突如現れた義兄は、ぐすぐすと鼻を鳴らしている姉さまの頬や額に何度も口付けて宥めている。二人の周りは胸やけしそうなくらいに甘ったるい雰囲気だけど、一瞬だけ私に向けられた義兄の視線はとても冷ややかで、私達の間の空気は一瞬でひりついた。

「……麗鈴は、僕の妻だろう?」

 先ほどまでの蕩けるような甘ったるい声音が一転して、低く地を這い締め上げるようなものになった。ああ、義兄は怒っているのか。ぞわりと背筋が寒くなった感覚と共に、そんな理解をする。

「当たり前じゃない。私は貴方の妻で、桐鈴は血を分けた妹よ。向ける愛情の種類は違えども、どちらも代え難いくらいに大事な存在だわ」

「……たとえそれでもね、僕は常に君の一番でいたいんだよ。君の愛を疑っている訳ではないけれど、血よりも愛を優先して欲しいと思ってしまうんだ」

「それは……でも」

「分かっているよ。これは僕の我が儘に過ぎないから、君がわざわざ本心を捻じ曲げてまで聞いてくれる必要はない。いずれは本心からそう思ってくれるように、僕が努力すれば良いだけの話だ」

 そんな台詞を吐きながら、義兄が姉さまを強く抱き締めた。姉さまは戸惑いつつも、そんな義兄を抱き締め返す。姉さまの涙は止まっていた。

(……そうだわ。私だって)

 外堀を埋めて囲い込んだり、行動を制限したり、盗聴器やら発信機やらをつけて姉さまを縛っている義兄を許せなかった。内心では二人の結婚を面白くないと思っていたし、不愉快な思いもしていたし、姉さまが取られたみたいで寂しかった。そんな私が、今の姉さまに対して……弦次さまとの仲を反対される事に対して、文句を言う権利なんてなかっただろう。

「そうそう。麗鈴にも非はあると思うけれどさ、桐鈴も麗鈴に謝ってほしいんだよ」

「私もですか?」

「そう。わざわざこんなものまで準備していた彼女に対して言うには、流石に許容出来ない言葉だったから」

 怒っているのを隠さずに、義兄が私に言い放った。そして、手に持っていた着物を私に渡してくる。

 しぶしぶ受け取ったが、やはり見覚えはない。見た感じ、均等に織られた上質な生地で仕立てた、豪奢な刺繍がふんだんに入っている上等な着物である事は分かる。私が普段着ている物とは随分雰囲気が違うが、刺繍に統一感と上品さがあるので結構好みだ。

「それはね、麗鈴が君のために作った正装の着物だよ」

「……え」

「麗鈴は、桐鈴なら絶対に合格して歌癒士になれる、その時のために一番の正装を作るんだって言って、かなり前からこの着物を作っていたんだよ。この仕事は責任が重い仕事だから、少しでも君の助けになるようにって。心身の負荷を減らして、どんな時でもどんな相手でも助けられるように、助けたいと願った時に叶えられるようにってさ」

 どんな時でも、どんな相手でも。私が十全の力で仕事を全う出来るように、それを願って姉さまが。

「もう、そこまでは言わない約束だったのに」

「僕は君を一番に愛しているからね。君の努力と想いは正しく認識されるべきだと思ったまでだよ」

 むっと頬を膨らませた姉さまが、義兄の方をじろりと睨む。そして、申し訳なさそうな表情で私の方を向いた。

「機織りは久々だったから、縫い代の一部はちょっと布地ががたついているけれど……反物にも刺繍にも仙力と祈りを込めたから、正装としての力はある筈」

「姉さまが作ってくれたってだけで百人力じゃない」

「だと良いけど……私は着物職人じゃないし」

「職人だって技術的には勿論綺麗に作れるでしょうけど、これは歌癒士としての仕事着なんだから。同じ歌癒士の先輩に作ってもらった物の方がより力になるわ」

「そう? 桐鈴が喜んでくれるなら、何だって良いわ」

「嬉しいに決まっているわ! ありがとう姉さま! 姉さまが私の為に反物から作ってくれたこの着物、大切にする!」

 私の為にという部分を強調して告げると、鋭い視線が突き刺さった。しかし、私が睨み返した際にはそのままだった視線は、姉さまが振り返った瞬間に蕩けるような雰囲気に変わる。変わり身もここまで早いと、いっそ感心するくらいだ。

「あと、その……ごめんなさい。酷い事言って」

「桐鈴」

「でもね、やっぱり、やっぱり私が、自分で治療したいの。狭量だって分かってるわ、だけど、それでも譲りたくないの」

「……そう」

「だから、このまま先生に指導してもらいたいと思ってる。歌と伴奏は出来るようになって仙力の込め方も流れは理解したから、このまま指導してもらって会得して、準備して地上に向かって彼を助けたいの」

「何があっても、何を言われても。決心は揺らがない?」

「揺らがないわ」

 きっぱりと言い切って、まっすぐに姉さまの瞳を見つめた。かんざしは失ってしまったし、少し弱気になった時もあったけれど、彼を愛しているという気持ちだけは誰に何を言われたって間違いなく本物だ。

「……分かったわ。桐鈴が覚悟を決めたと言うのならば、私も最後まで協力する」

「姉さま!」

「麗鈴!?」

 歓喜の声と絶叫が同時に響き渡る。姉さまの手を取りながら喜んでいる私の横で、義兄はこの世の終わりみたいな顔をしていた。

 そんな義兄の表情を見た姉さまは、ちょっとごめんねと言って私と繋いでいた手を解くともう一度義兄の方へと近寄っていった。正直引き止めたい気持ちもあったが、話がややこしくなると困るので黙って見送る。

「ここまで来たからには最後まで見届けたいの。私は、桐鈴の姉だから」

「…………気持ちは分からないでもないけど、もういい加減僕は麗鈴と二人きりで過ごしたいよ。君の妹は優秀なんだろ? 大丈夫だって、もう帰ろう?」

「ごめんなさい、あなた……でもお願い、このまま協力させて? 顛末を最後まで見届けたら、貴方の妻に戻るから」

「どのくらいで帰ってくる? 四半刻後? 半刻後?」

「それは桐鈴の習得度と患者の状態次第ね。一通りは出来るようになったらしいから、一日二日もあれば大丈夫とは思うけれど」

「そ……それなら、僕も君と一緒に」

「明日は政府に出向いて会議でしょう? その後で、弟さんが遊びに来るとも言っていたじゃない。貴方がいないでどうするの。だから、ねぇお願い、あなた」

「……………………うん」

 義兄にぴったりと密着した姉さまが、上目遣いで止めの一言を放った。諸に受け止めた義兄は、涙目になりながら了承している。しばらく抱き合って触れるだけの口づけを交わした後で、未練があるのがありありと分かる様子の義兄は転移陣を展開して帰っていった。

「すぐに分かって下さって良かったわ。先生、桐鈴、お待たせしました」

「……いいえ」

「大丈夫……」

 義兄ばかりが姉さまを好きで束縛して要望を押し付けて、言いなりの姉さまは被害者だとすら思っていたのだけれども。よくよく思い返せば、以前一緒に地上へ水浴びに行った時だって、姉さまは自分の要求を通している。根本的なところでは、調和がとれた対等な関係になるのだろうか……はた目には全くそう見えないけれど。

「貴女が着物を作っていてくれて良かったです。かんざしが無くなった時は、流石にもう無理だろうと思いましたからね」

「……申し訳ありません」

「それを告げる相手も、貴女を許すかどうか決めるのも私ではありません。貴女も分かっているでしょう」

「はい」

「家族の事となると周りが見えなくなるのは相変わらずですね。いずれは母となり得るのですから、その辺りは反省して気をつけるようになさい」

「分かりました」

「では、練習を再開しましょう。私は先に戻っていますよ」

 そう言って、先生は玄関の中に入っていった。その背中を見送った後で、姉さまと二人視線を合わせる。

「こっちこそ……ご免なさいね、桐鈴」

「姉さま」

「いくら好きでも騙していい理由なんてない、そんな男なんて桐鈴には相応しくない、認めたくない……そう思っていたのも確かなんだけど、可愛がっている妹が私の手から離れていこうとしているのが寂しかったというのもあるのよ。何でも相談してくれた、頼ってくれた貴女が、自分で何とかしようとして自立していって……成長を喜ぶべきなのに、妹離れ出来ていなかったんだわ。あの人を責められないわね」

「……妹離れと妻への執着は別物と思うけど」

「ううん。あの方も、自分の弟を溺愛しているの。弟本人はとても良い子で、二人目の弟妹として可愛いとは思っているんだけど……どうしても羨ましくなる時があって」

 義兄に弟がいて仲が良いのは知っていたが、その事実は初耳だ。思わず姉さまを凝視していると、あの方には内緒にしててねと言われてしまった。これ以上険悪になっても面倒だし、そもそも話し掛けに行きたいと思わないので安心してほしい。

「正直、相手の男の事はまだ許せないと思うけれど、それでも貴女が惚れ込んだ相手なのだもの。極悪人という訳ではなさそうだし、認められるように努めてみるわ」

 呟いた姉さまの口角が、ようやく少しだけ上がった。今なら他の回答が返ってくるかもしれないと思ったので、先程の質問をもう一度やってみる。

「姉さまは、私が弦次さまを助けてって言ったら、助けてくれた?」

 問い掛けを聞いた姉さまが、ぱちぱちと瞳を瞬かせる。一瞬だけ眉を潜めた後で、ゆっくりと口を開いた。

「勿論よ。相手がどんなにいけ好かない相手だろうが患者は患者だもの。でも……」

「でも?」

「感情ばかりが先走って、冷静に術を使えるかが分からないなって。重症なら、特に慎重に仙力を練って歌と伴奏完璧に演奏しないといけないのに……情けないけど、出来る気がしない。だから……私が受けても良いものだろうかって、思ってしまって」

 それであの時返答が止まったのか。でも、確かに、動揺してしまうから身内の怪我は軽症しか治せないという話もあると聞くし、如何な優秀な歌癒士と言ったって感情がある仙人仙女なのだ。それならば、私も短慮だった。

「答えてくれてありがとう、姉さま」

「頼りにならなくてごめんなさいね」

「そんな事ないわ。いつだって、今だって、これからだって……姉さまは私の姉さまなんだから、ずっと大好きだし頼りにしているわ」

 照れくさいけれども、本心だからきちんと告げる。どちらともなく視線を合わせて、いつもみたいに笑い合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る