(5)

 じゃぶじゃぶとお米を研ぎながら、取っているだしの方を確認する。十分に煮立っていたので竈から外して、研ぎ終わったお米と適量の水を入れた釜の方を火にかけた。

「さてと。後は、味噌汁の具を切って……」

 段取りを確認していると、入り口の方が騒がしくなった。釣りに出ていた弦次さまが帰ってきたのだろうか。竈の火を確認して簡単な仙術を掛け、出迎える為に入口の方へと向かった。

「お帰りなさいませ」

「あ、ああ……帰った……」

「釣果はどうでした?」

「上々だ。今から捌くから、昼飯にするか」

「はい。ご飯は今炊いている最中で、味噌汁の準備もしています」

「ああ、ありがとう」

 お礼を言って下さった彼の顔に、ほんの少しだけだけども笑みが浮かぶ。弦次さまは綺麗な顔をしているので、そうやって微笑まれると心臓に悪い。

「ビワもお帰り」

 私達が会話している間もずっとこちらを見ていたので、忘れずに頭を撫でてやる。結局居ついてしまったので、ビワと名付けて飼う事になったのだ。ちなみに、名付け親は弦次さまである。

「足の調子はすっかり戻ったみたいだ。今度狩りの仕方を教えてみるかな」

「そうですね。山に一人で入るのは何かと危険ですし、お供が居た方が安心でしょう」

 うちも山の中にあるが、家自体は麓に近い位置にある。そして、薬草園には盗難等を防止する為の特殊な結界を張っているので、猛獣も犯罪者も立ち入る事が出来ないようになっているのだ。しかし、地上ではそうはいかないだろう。

「桐鈴の方は変わりないか?」

「はい……衣は相変わらず見当たりませんけれど」

 多少複雑な術でも使えるくらいには地上という環境に慣れてきたので、弦次さまから頼まれた家事をこなす傍ら一人で行けそうな場所には行って探していた。けれども、相変わらず手掛かりすら掴めていない。

「そうか……また、時間が空いたら一緒に探しに行こう」

「ありがとうございます」

 気遣ってくれる彼に礼を告げる。弦次さまの方も、眉を寄せた固い表情で頷いてくれた。


  ***


「桐鈴いるか?」

「はい。少々お待ち下さいませ」

 用があるから出かけてくると言っていた弦次さまに呼ばれたので、洗濯物を畳むのを中断して玄関まで急ぐ。見た感じは、出かけた時と変わりないように見えるけれども。

「呼び立ててすまないな。ちょいと渡すものがあったから」

「渡すもの、ですか?」

「ああ。ええと、この袋の中に……」

 そう言って弦次さまが袋の中から取り出したのは、一冊の本だった。天界にあるのと同じような紙を束にしてある本だが、地上では珍しいものだったのではないだろうか。

「紙の本ですか?」

「伝手があってな。天界について出来るだけ写実的に書いてある本を借りたいといったら、これを渡された」

「どうして、この本を」

「天の衣がなくても帰る方法はあると、前に言っていただろう? ただ、それが難しいとも言っていたから……天界について書いてある本にならば、何か手がかりが載っているかもしれないと思ってな」

 それは、つまり。弦次さまは、私の為にこの本を借りてきて下さったという事だ。私が無事に帰れるように、早く帰れるように、心を砕いて下さった。

「ありがとうございます!」

 純粋に嬉しかった。彼が私を気遣ってくれているというのが、助けようと思ってくれたのが。目の前の弦次さまは柄にもないがとぶっきらぼうに言っているが、顔が赤いので照れ隠しなのだろう。

「早速お借りしても良いですか? 洗濯物を畳み終わったら読みますので」

「大丈夫だ。そら」

 無造作に手渡された本を、落とさないよう両手で受け取った。勢いよく手を出してしまったからなのか、私の指先と弦次さまの指先が軽く触れてしまう。

「きゃっ!」

「わっ!」

 少しだけ触れた体温に動揺して、ぱっと手を放してしまった。弦次さまも同じように放してしまったので、せっかくの本がばさりと音を立てて落ちてしまう。

「も、申し訳、ありません。せっかく借りてきて下さったのに」

「ああ、折れたりとか破れたりとか、しなければ、大丈夫だろう」

 頬はもちろん耳まで熱くなって、ふわふわと浮いている心地になっていく。彼に触れたところを起点に、熱が上ってくるようだ。

「では、いったん私はこの本を部屋に置いて参ります」

 このままここにいたら熱で溶けていきそうな気がして、逃げるように彼の前から去った。弦次さまは特に止めるような素振りを見せなかったから大丈夫だろう。

「……あぁー……」

 何度も転びそうになりながら、襖を開けて部屋に滑り込む。立っていられなくて畳の上に座り込んだが、程よく冷えているので気持ちがいい。

 何とか落ち着こうと思って、何度も深呼吸をした。けれども、一度加速してしまった心臓は、なかなか落ち着いてはくれなかった。


  ***


「はぁ……」

 あれから数日は経ったというのに、未だにあの時の事を思い出すと鼓動が早くなって頬が熱くなる。気にしてても仕方ないと思って練習に打ち込むのだけども、ふとこの琴は彼の手作りと意識してしまうともうだめだ。

 こんな状態になった事がないので、どうしたら解決出来るのかが分からない。今までならば、困った時は姉さまに相談していたけれど、今は出来ないし。

 もう一度大きなため息をついてから、よいしょっと立ち上がった。今日は、彼の作業着のほつれを繕っていたのだ。全部終わったので、確認してもらうために弦次さまを探しに行くとしよう。

 畳んだ作業着を持ったまま家の中を歩き回る。台所にも作業部屋にも、保管部屋にも洗い場にもいないので……外だろうか。

 そう当たりをつけて確認すると、予想通り彼がいた。どうやらビワと遊んでやっているらしい。弦次さまが木の枝を投げる、ビワがそれを追いかけ拾って持ってくる、持ってきた枝を受け取ってまた投げる……実に微笑ましい光景だ。

「桐鈴」

 私に気づいたビワが、枝を渡さずにこちらを見ていたからだろう。弦次さまも私の接近に気づいてくれて、声をかけてくれた。それに返事をしながら近づいて、縁側に腰かける。

「繕い物が終わったので、見て頂こうと思いまして」

「ああ、そうだったのか……うん。丁寧にしてくれたんだな。ありがとう」

 そう言ってくれた弦次さまの口元が緩んだ。最近は、こうやって笑んで下さる事が多いから嬉しい。彼のこんな表情が見られるのならば、もっとたくさん頼みを聞いてあげたいとすら思ってしまう。

「ワンッ」

 放置されたと思ってしまったのだろうか。ビワが気を引こうとするかのように吠えたので、二人そろってビワの方を向いた。

「すまんな。ほら、貸してくれ」

 手を差し出して枝を受け取った弦次さまが、もう一度枝を放り投げた。ビワは、嬉しそうに尻尾を振りながら駆けていく。

「おお、良い子だ良い子だ」

 ちゃんと枝を持ってきたビワの事を、弦次さまは撫で回して褒めていた。先ほど以上にぶんぶん振られている尻尾が、ちぎれてしまわないだろうかなんて心配になってしまうくらいだ。

(……ん?)

 何かが胸を突いたような心地がして、思わず胸元に手をやった。しかし、手のひらに伝わる鼓動はいつも通りだ。

 その後も、弦次さまはビワと遊んであげていた。その時にはもう痛みなんて何も感じなくて、不思議な心地のまま一人と一匹を眺めていく。

 満足したらしいビワは、そのまま庭で腹ばいになって日向ぼっこをし始めた。それを合図に部屋の中へと入った弦次さまが手を洗うと言うので、洗ったばかりの手巾を持って後を追った。

「お疲れさまです」

「ああ、ありがとう……久々に体を動かすと疲れるな」

「弦次さまは、普段から結構動かれてると思いますけれど」

「それはあくまで必要な分だからな。こうやって、ただ遊ぶためだけに体を動かすのは久しぶりだ」

 目的が違えば、疲労度も変わるだろう。汗もかいているだろうから、今夜は塩気の多いおかずが良いかもしれない。そう言えば、弦次さまが釣ってきた魚を塩漬けにしたものがあったはずだ。

「今日の夕飯は魚の塩漬けを焼いたものに致しましょうか」

「そうだな。あと……冷茶はあるか?」

「作り置きがまだ残っていた筈なので、準備しますね」

 冷えているお茶の方が好みだと言っていたから、最近は数杯分纏めて煮だして冷やしておくようにしたのだ。作業中も合間合間で飲んで下さっているらしいので、良い小休止になってくれているのならばこんなに嬉しい事はない。

「どうぞ」

「ありがとう」

 台所にやってきた彼に湯呑を手渡すと、弦次さまは豪快に飲み干した。もう一杯と言われたので注いで渡すと、それも喉を鳴らして飲んでくれる。

「桐鈴のお陰で人間らしい生活が出来ている気がする」

「そんな大げさな」

「いや、作業に没頭しても温かい飯が出てきて、話す相手がいるというのは、思っていた以上に良いものみたいだ」

 そう言われて、どきりと心臓が跳ねた。いてくれて嬉しいなんて、そうそう聞ける言葉ではない。まして、この人から言われたとなっては、どうしても喜びが先に来てしまうのだ。

「ありがとうな、桐鈴」

 はにかみながら告げてくれた弦次さまの腕が、私の方に伸びてきた。もしかして、もしかして。あの子みたいにと思って期待して、止める事無く見つめ続ける。

「っ……すまない。約束を破るところだった」

 指先が触れて、そのまま、もっと。そう思ったところで、望んだ温もりは離れていった。どくどくと力強く脈打っていた心臓が、冷水を浴びせられたように勢いを失っていく。

「俺は作業に戻るな。桐鈴も、好きに過ごしてくれ」

 こちらに何も言わせないまま、弦次さまはくるりと後ろを向いて作業部屋に向かってしまった。彼と、もっと一緒にいたかったのに。その手をそのまま伸ばして、あの子を撫でていたみたいに撫でて欲しかったのに。

「あ……」

 残念で、悲しくて、寂しくて。それで、ようやく、思い至った。

(弦次さま……)

 私は、あの人が、好きになってしまったんだ。

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