(4)
「そう言えば、弦次さまはどんなお仕事をされているのですか?」
食べ終えた後の食器を洗いながら、そんな風に聞いてみた。私から皿を受け取って拭いている弦次さまは、ぱちぱちと目を瞬かせている。
「指先が使えないと仕事にならない、とおっしゃっていたので。繊細な作業をする必要のある仕事なのかなと思いまして」
「そうだな。物を作る仕事だから」
「何を作ってらっしゃるんです?」
「うーん……口で説明するよりは見てもらった方が早いかもしれん」
呟いた弦次さまは、最後の皿を積み重ねた後で私の方を振り向いた。こっちへ来てくれと言われたので後を追うと、昨日眠ったのとは別の部屋に通される。
「……これ、琴ですか!?」
「知っているのか?」
「はい! 天界にもありますもの!」
「弾き方とかは」
「存じております!」
目の前にずらりと並べられていたのは琴だった。弦を掛ける前の物や、加工をする前の物もある。端の方には、完成品が並べられていた。
「……興味があるなら弾いてみるか?」
「良いんですか!?」
「ああ。音の確認もしたかったし丁度良い」
弦次さまはそう言うと、弾くための爪を渡して下さった。それを嵌めて琴の前に座り、昨日あの犬に歌った歌の伴奏を弾いていく。
「桐鈴は琴も弾けるのか」
「歌うのに必要でしたので」
「ああ、音を取るためにか?」
「それもですけれど、こういった伴奏を入れた方が仙力を込めやすいですから」
歌だけでそれをやろうとすると、種類によってはかなりの質の仙力と技術がいる。それを補うために正装があったり、伴奏をつけたりするのだ。
一曲分を弾き終えても止められなかったので、別の曲も弾いていく。弦次さまは、そんな私をじっと眺めていた。
「……そんなに気に入ったなら一つやろうか?」
さらっと告げられた言葉に驚いて、琴がビンッと変な音を立てた。恐る恐る弦次さまの方を振り返るが、彼は平然とした表情をしている。
「そんなに驚かなくても良いだろう」
「いえ、でも……琴ってそんなに気軽に渡せるものではありませんよね?」
「そこにあるやつは注文を受けて作った分だから渡せないが、注文が来ていない間も腕を鈍らせんように練習がてら作ってるのがあるんだ。普段は既製品として町で安く売っているが、まぁ、桐鈴なら大事にしてくれるだろう」
「それはもちろん大切にしますけれど……それなら、猶更ただで譲ってもらう訳にはいきません」
「作業場や保管庫がかさばるから貰ってもらえる方が助かるんだが」
「で、でも……」
そうはいっても、琴は高級品だ。何の対価もなしに貰うのは気が引ける。どうしたものだろうかと思っていたら、弦次さまの口が先に開いた。
「それなら、飯を毎日作ってくれ」
「ご飯をですか?」
「ああ。桐鈴が天界に帰るまでで良いから」
「それだけでは少なくありませんか?」
「いや、毎日三食は大変だろう。毎日その準備に時間を取られて作業が出来ないのは面倒だと思っていたんだ」
だから簡単な食事しかとってこなかったと言っているが。その割には、筋肉のついた良い体格をしていると思う。
「それならば、洗濯等の他の家事も致します」
「良いのか?」
「食事の準備ですら億劫だと思われるのならば、他の家事も同様なのでは?」
「それは、まぁ、そうだが」
「ならばそうしましょう。それと、あの、一つお願いがありまして……」
「何だ?」
「昨夜私に貸して頂いたお部屋に琴を持ち込んで、歌の練習をしても良いですか?」
試験までに帰れるかは分からないが、だからと言って練習を怠る訳にはいかない。記憶を頼りに発声練習するくらいしか出来ないだろうと思っていたが、こんな良質の琴があるなら、随分と練習の助けになる。
「構わんぞ。たまには成果を聞かせてくれ」
「……はい!」
楽器を自らの手で作っているくらいだから、きっと弦次さまも歌や楽器の演奏を聴くのが好きなのだろう。ここに居候させてもらう恩を考えれば、そのくらい容易い。
私の返事を聞いた弦次さまは、ふっと少しだけ微笑んだ後で保管庫まで連れて行ってくれた。ずらりと並んだ十数の琴を一つ一つ丹念に弾いて確認しながら、一番好みの音色を持っていた一つに決める。
「これにします」
「分かった。爪や琴柱は作業場に置いてるから、後で渡す」
「はい」
無事に約束出来たので、ほっと胸を撫で下ろす。そんな私の事を、弦次さまはじっと見つめていた。
***
普段やっている基本練習を終えたので、一息つこうと思って厨へと向かう。お茶を入れるためにお湯を沸かしていると、作業部屋の方からごとごとと物音が聞こえてきた。
(……せっかくだし、彼の分も淹れるかしら)
厨にある食料や調味料は自由に使っていいと言われているので時折お茶を淹れて飲んでいたが、毎回自分の分だけだった。弦次さまは朝から作業を続けているし、ここら辺りで小休止してもらっても良いのではないだろうか。
「弦次さま」
早速お茶を入れて持ってきたので、襖の中へと呼びかけるが返事がない。引いた方が良いだろうかとは思ったが……正直に言えば、中でどんな作業をしているのかがとても気になる。
(……ちょっと透過術使うくらいなら大丈夫かな)
地上に降りて数日過ごしているうちに、簡単な仙術ならば使える事が分かった。以来かまどの火を維持したり水を運ぶのに使ったりしていたが、特に体調に変化はないのでもう少し大掛かりな術でも大丈夫かは試してみたかったのだ。
そうと決めて二人分のお茶をのせた盆を床に置き、呪文を唱える。襖が私の手のひら分くらい透明になって、中にいる彼の様子がはっきりと見えた。
私の位置から見える弦次さまは真横を向いていて、視線は真下に向いている。その先を辿って見てみると、そこには弦を掛けられている途中の琴が見えた。
「……」
琴を見つめるその横顔が、青い瞳が、とてもまっすぐで美しくて。彼の作業を見てみたかったからこうやって覗いてみた筈なのに、気づけば彼本人を目で追っていた。
彼が動く度にどきりと心臓が跳ねる心地がする。頬が熱くなってきて喉もからからに乾いてきたので、術を解いてすっかり冷めてしまったお茶を一口飲んだ。
「桐鈴?」
ぱちぱちと頬を叩いて熱を冷ましていると、中から私を呼ぶ声が聞こえてきた。がらりと襖が開いて、肩を回している弦次さまが顔を出す。
「も、申し訳ありません。お邪魔をしてしまいましたか?」
「いや、丁度作業に区切りが付いたくらいだったから大丈夫だ。何かあったのか?」
「あの……お茶でもと思ったのですけれど……」
そう思ったのは確かだが、持ってきたお茶はとうに適温を逃している。それをそのまま渡すのも憚られて下げようとしたら、彼の腕が目の前を横切ってお茶を手に取った。
「すぐに気づかなくて済まなかった。これはもらっておこう」
「で、でも、それはもうだいぶ冷たくなってしまってるので」
「冷たい方が好みなんだ」
「そうなのですか?」
私が答えている間に弦次さまは全部飲み干してしまったようだった。空になった湯呑を受け取りながら、口元を拭っている彼をぼんやりと眺める。
「……まだ喉が渇いているから、もう一杯淹れてもらえないか?」
「はい!」
青い瞳と諸に視線が絡んで、声が少し上ずってしまったけれど。弦次さまは気に留めるでもなく、少しだけ口角を上げてよろしく頼むとおっしゃってくれた。
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