第二章 貴方からの贈り物
(1)
「麓の町へ、ですか?」
弦次さまにそう切り出されたのは、夏も終わりに近づいてきた頃合い、夕飯を食べている時だった。明日の予定を聞かれたので、普段通り家事をして歌の練習をする予定だと伝えたら、出掛けないかとの事である。
「ああ。明日の午前中に琴を一つ納品しないといけないから、そのついでに良いだろうと思って」
「お邪魔ではありませんか?」
「いや。納品先は前々から懇意にしている貴族の爺さんの家だし、特に咎められはしないだろう」
「そうですか……」
このひと月の間、弦次さま以外の人間には会っていない。彼への想いを自覚してからは猶の事、今の二人と一匹の生活を気に入っているけれど……偶には他の人と会ったり話したりするのも良い刺激になるだろう。
「それならば私もご一緒致します」
「分かった。それなら……ああ、そうか……」
「弦次さま?」
「その髪と瞳だと目立つな。気は進まないが、壺装束を準備するか」
「髪色と目の色くらいならば仙術でどうにか出来ますから、特別何かを準備頂く必要はありませんよ?」
「でも、仙術は桐鈴の負担になるだろう? 無理をさせる訳にはいかない」
心配を映した青い瞳が、私に向けられる。その気遣いが嬉しくて、好きな人が自分を気に掛けてくれるのが嬉しくて、頬が熱くなっていくのを感じた。
「もっとややこしい術を使っても大丈夫でしたから、大丈夫でしょう」
「……いつの間に」
「衣を探す為に外に出た際は、護身の為の結界とか迷わないようにするとか、そう言った術を使って探しておりました」
「そうだったのか……その後に具合を悪くしたとか、そういうのは」
「少し疲れたくらいです。でも、普通に家事をしていても疲れますから、そういう意味では変わりありませんでした」
仙術を使った後の疲労は運動した後の疲労に近いので、暫く休息を取ればきちんと回復する。だから、そんなに不安そうな顔をしないでほしい。
「ですので、明日は是非お供させて下さいませ」
少しでも彼の心配が払拭される事を祈りながら、にっこりと笑ってそう告げる。お皿と箸を置いた弦次さまは、わかったと言って頷いて下さった。
***
(……どれを着ていこう)
今持っている着物と帯を畳の上に並べながら、眉を寄せつつ唸る。弦次さまは仕事として行くのだから派手な格好はしない方が良いだろうが、訪ねる先は貴族の邸宅なのだから地味過ぎても彼に恥をかかせてしまうだろう。
彼の母君の着物やこのひと月の間に彼が町で見繕って来て下さった着物を、帯や小物と共に畳の上に並べてああでもないこうでもないと一生懸命考えていく。最終的に、一斤染めの襦袢と飴色の着物、若草色の帯に決めた。
「桐鈴、起きてるか?」
部屋の外から声をかけられたので、起きてますよと答えて襖を開けた。襖の先にいた弦次さまは、どこから持ってきたのか沢山の着物と髪飾り、紐を抱えている。
「初めて町に出るんだ。着物があれだけじゃ選ぶのには足りんだろうと思って、蔵から見繕ってきた」
「……既に十着もあるんですから、十分選べましたよ?」
「そうなのか? 済まない、それなら要らない心配だったな」
「いえ、あるに越した事は無いですし……そのお気持ちが嬉しいので、持ってきて下さった分は全部お借りしても宜しいですか?」
正直に答えたら弦次さまの表情が曇ってしまったので、そう言って彼が両手いっぱいに抱えている着物達を受け取った。髪飾りはまだ選んでなかったから、この中から選ぶとしよう。
「桐鈴も物欲が少ないんだな……どうも、女と言うのは沢山の着物を着たがってとっかえひっかえしている印象があって」
「無い訳ではありませんよ。私には、この量でも十分だと思えただけで」
「百を超える着物を持っていてもまだ足りんとうるさい連中もいるからな。一回しか着た事がない着物も、何年も袖を通していない着物もあるんだから、そちらを活用すればいいのにと思った事は二度三度じゃない」
不愉快そうに眉を寄せた弦次さまがそう零した。顔立ちが綺麗でしっかりした体格の彼がそういう表情をしていると、なかなかに迫力がある。
「そんな方がお身内に?」
「ん、ああ。父方の親戚がそんな奴らばかりでな。正直あまり好いてないんだ」
「お父さまやお母さまは違ったんですか?」
「違ったよ。あの一族の中じゃ、俺の父親は変わり種だろうな」
「変わり種ですか」
「父方の親戚は派手好きが多いんだ。そして、大の噂好きでもあるから余計に面倒くさくてな。何を買ったとか位の昇降とか恋愛話を事あるごとに吹聴するから、餌食になりたくなくて意図的に距離を置いてる」
それはだいぶ面倒くさい。幸いな事に私の親戚にはいないが、天界にも似たような一派は存在する。そんな奴らの遊びの種にされるなんてたまったものではないと思って、私も関わらないようにしている所だ。
「お父さまは倹約家なのですか?」
「使う時は使っていたが、無駄な出費はしていなかったと思う。母上にはしょっちゅう着物やら髪飾りやらを買って贈っていたが」
「お父さまは、お母さまの事を心から愛してらっしゃったのですね」
「そうだな。本来なら帝に献上される予定だった母上を奪って自分の妻にしたくらいだから、想いの強さもひとしおだろう」
「……帝から奪った?」
だいぶ予想外の言葉が聞こえてきたので、思わず聞き返してしまった。弦次さまは、そう言えば話していなかったなと呟いている。
(人間界での帝と言えば、天界で言う天帝さまに当たる人だったわよね)
つまり、弦次さまのお父さまは自分が使える主人に渡される予定だった人を、そうせずに自分の妻にしたという事だ。ともすれば、不敬罪として罰せられても何らおかしくない程の罪を犯している訳で……そこまでしたいと思う程に、彼女に心惹かれたという事なのだろうか。
「差し支えなければ、詳しい話を教えて頂けますか?」
天界にいた時も、恋愛ものの物語は好きで読んでいた方だ。噂話収集と吹聴に命を懸けている人達程ではないが、人並みには興味がある。
「話す分には大丈夫だが込み入った話ではあるからな……長くなるだろうし」
「ではお茶を淹れてきますね。居間の方でお待ち頂いても?」
「分かった」
返答を確認し、彼の横をすり抜け足早に厨へと向かう。彼の事をもっと知る事が出来る絶好の機会でもあるのだ。そう思うと、心が浮き立ってくるのを抑えきれなかった。
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