(2)

「俺の母上が外国の人間だって話はした事があったっけか」

 お茶を一口飲んだ後で、弦次さまがそう切り出した。持っていた湯飲みを一旦置いた後で、是と答える。

「初めてお会いした時に、一言だけおっしゃっていたのを覚えております」

「そうか……それなら経緯からでいいか。母上は、大陸の使節団がこの国への貢物として贈ってきた品の一人だったんだ」

「貢物、ですか」

 同じ筈の人間を物扱い。身分制度がある以上ある程度は仕方ないのかもしれないが、良い気分はしない。

「母上自身は、大陸のもっと西の方の国の出身らしい。だけど、十になるかならないかくらいの時に人売りに攫われたんだと。それで、奴隷市場に連れていかれている最中に山賊に襲われて、必死に逃げてたどり着いたのがかの国だったらしい」

「そうなのですね」

「逃げ込んだ村は国境沿いのとある農村だったみたいでな。いきなり金色の髪に空色の瞳を持った少女が迷い込んできたんだ。当然、村は大混乱」

「でしょうね」

「だけど、明らかに命からがら逃げてきたってのが分かるような恰好だったし、年端もいかない子供だったという事もあって、ひとまず村長の預かりになったそうだ」

 その後、村長夫婦や村人達の粘り強い努力でお母さまは言葉を覚え、意思疎通が出来るようになったらしい。他の子供と同じように食事も着る物も与えられて、幸せだったとよく語ってくれたそうだ。

「だけど、母上が年頃になった辺りで、噂を聞きつけた国の高官が母上を皇帝に献上しようとして無理やり村から連れ出そうとしたんだと。当然、母上も村の人々も抵抗したが、村のもっと幼い子供を人質にとられてしまって諦めてついていったそうだ」

「……いつの世もどこの国でも、胸糞悪い輩はいるものですね」

「本当にな。だけど、母上が育った村は野生動物や盗賊・山賊の被害に見舞われる事が時折あった地域らしくて、母上は簡単な護身術や逃走術は身に着けていたらしい。だから、隙をついて馬車から逃げ出した」

「お母さま、格好良いですね」

「ありがとう。そんで、逃げて逃げてここまでくれば追ってこられないだろうという所まで逃げたところで、とある馬車に引かれそうになった子供を間一髪で助けた。しかし、その馬車というのが皇帝を乗せていた馬車だったんだ」

「……それは問題なのですか?」

「人間界だと大問題だな。皇帝って言うのは、こっちでいう帝と同じような身分の方を差す言葉らしい。という事は、つまり、母上は尊いお方の歩みを邪魔したという事になる」

「なるほど……」

 天界にもそういう主張をする人は時折いるらしいが、天帝さまはそういう事をあまり気にされない方だ。危ないから止めなさい、とは言ってあるけれど。

「そんな訳で、怒った皇帝は子供諸共手打ちにしてやると言って母上と子供を従者に取り押さえさせ、剣を用意させて……せっかくだから殺す前に面を拝んでやろうと言って母上が被っていた布をとった瞬間、動きを止めた」

「……見惚れてしまった、とか?」

「いや、皇帝は舌打ちして気味が悪いと言い放ったそうだから、それはないだろう。驚いただけじゃないか……金髪青目の人間なんて見た事がなかっただろうし」

「あら。それじゃあ、どこぞの高官は企みが成功していても手打ちになっていたかもしれませんね」

「そうかもな。明らかにかの国の国民とは違う見た目だから妖怪の類とでも思ったのかもしれない、とは母上の言葉だったか……ともかく、そんな訳で、母上は皇帝の進行妨害の罪に捕らわれたが、下手に手打ちにしたら祟られるかもしれないという理由で国外追放になった」

 国外追放に決まった時点で皇帝から役人に引き渡され、櫂の無い小船に乗せて海に流す予定だったのだそうだ。けれども、金の髪に青い瞳、美しい容貌を持っていた彼女をただ流すのは惜しいと思ったらしい役人は、最近交流を始めた国の帝ならば気に入るかもしれないと思って献上物の目録に彼女を加えたのだとか。中々の挑戦者である。

「そんな訳で、母上はこの国にやってきた。そしてそのまま、当時の帝に引き渡される予定だったんだが……母上を一目見て魅了された父上によって連れ出され、父上の屋敷に連れて行かれた」

「本来は帝に渡される予定だったお母さまを、お父さまはどこで垣間見られたのでしょうか? そうそうお会いする機会もなさそうですが……」

「父上は外交官だったんだ。その組織の中でも長をやっていて……だから、かの国の使節団の面々に一番に挨拶したのも、献上品を一番に確認したのも父上だった」

「お父さまが外交官の長……となると、もしかして弦次さまは結構高位の貴族のお方ですか?」

「出自はそうなるな。俺自身は琴職人になったからもう貴族身分ではないが、弟の一人が今の帝の側近になっている……いや、俺の話はいいんだ。父上の話に戻るぞ」

 呆気に取られている私を置いて、弦次さまは軌道修正して続きを話し始めた。弦次さまの兄弟の話も気になるので、今度聞いてみよう。

「父上は、母上を一目見た瞬間全身を雷で打たれたような心地がしたと言っていた。いわゆる一目惚れというやつなんだろうが……それまで碌に恋の噂がなかった父上が目録を勝手に書き換えて母上を自宅に連れて帰ったってんだから、当時は大騒ぎだっただろうな」

「大騒ぎ、ですか?」

「ああ。父上は几帳面で生真面目な性格をした仕事人間だから……一目惚れした女性を、法を犯してでも手に入れようとして実際にやってのけたなんて、世間に動揺が走ってもおかしくない」

「なるほど……本来ならば、そんな事は絶対にしないような方なんですね」

「しないような人だ。だからこそ当時の帝は、そこまでの熱い想いを抱いたというのならば彼女はお前にやろうと言って、目録改ざんの罪だけ父上に償わせ、母上はそのまま父上に添わせてくれた」

「帝は良いお方だったんですね」

「良い人と言うよりは、お伽話が大好きな人だったからな……目の前の、まさに物語みたいな恋愛劇を見て興奮したんだろう」

 若干とげがあるような言い方をしているが、先程よりは眼差しが柔らかだ。仕方のない人だなと呆れている、と言った方が正しいのかもしれない。

「そんな訳で、母上は父上の唯一の妻となった。一緒に過ごす内に母上も父上に絆されたみたいで、夫婦仲は良かったな」

「それなら何よりです。波乱万丈だったとは思いますが、最終的には愛した人と仲睦まじく過ごせたという事なら、それはそれで良かったのではないでしょうか」

「そうだな。確かに、最期まで自分は幸せだったと嬉しそうに言っていたよ」

「!」

 静かなその言葉に、はっとした。そうだ、彼のお母さまは、既に身罷られてこの世にはいないのだ。それなのに、興味本位で話してほしいとねだって、彼の事をもっと知れる良い機会だと浮かれて……それは、失礼に値するのではなかろうか。

「人売りに攫われた時と皇帝に剣を突き付けられた時はいよいよ終わりだと思ったそうだが、村で過ごした記憶とここでの幸せがあるから自分の人生は幸せだったと」

 そう語る弦次さまは、怒ってはなさそうだけれども。でも、やっぱり申し訳ないと思うので謝るべきだろう。そう思って、彼の名前を呼んで謝罪の言葉を口にした。

「何で桐鈴が謝るんだ」

「いえ……弦次さまの心情も考えず、興味本位で教えてほしいと申し出るなんて失礼だったかと思いまして」

「母上が身罷られたのは数年前の話だし、理由も流行り病だったからな。勿論悲しかったし残念ではあったし、父上の嘆きようは凄かったから子供総出で宥める羽目になって大変だったが……そこは気にしないで良い。忘れないで話題にする事は弔いの一種だ」

「……それならば、良いのですけれど」

「桐鈴は楽しそうに話を聞いてくれた。母上や父上を悪く言うような事はしなかった。それで充分だし……」

「十分だし?」

「桐鈴の笑顔が見られて良かったと思った俺も、ある意味では同罪だ……それじゃ、明日も早いから寝るとするか」

 彼の言葉の最後はほとんど聞こえていなかった。楽しそうに話を聞いてくれたからそれで良い、笑顔が見られて良かった……言われた言葉が何度も脳裏を巡って、どくんどくんと心臓が跳ねていく。

「げ、弦次さま! どういう意味ですか!?」

 ようやく我に返って問い正そうとした頃には時すでに遅し。弦次さまは、私の分の湯呑まで片付けて下さって、とうにお部屋に戻られた後だった。

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