第四章 それでも私は

(1)

 久方ぶりに見た天界の自宅は、外も中も思っていたより綺麗なままだった。二か月以上放置していたから掃除大変だろうな……と思っていたが、これなら何とかなりそうだ。

「桐鈴!」

 ぼんやりと家を見上げていると、玄関のドアが豪快に開いた。誰だろうかと思ってそちらに視線を向けると、そこにいたのは嫁いでいった筈の姉さまだ。

「良かった……! 無事だったのね!」

「姉さま!? どうして!」

「協会から連絡があったのよ! 桐鈴が試験の事前説明会へ連絡もなしに来なかったから、何かあったのかって!」

「え、協会から?」

「願書提出は一番乗りだったし、小さい頃から口癖のように歌癒士になるって言ってて模試の成績だって上位に入る桐鈴がすっぽかすなんて考えづらいって、先生も心配してらっしゃって」

「そう、だったの……それなら、後でご挨拶に行かないと」

 心配をかけてしまって申し訳なかったと、それだけ気にかけてくださったのに受けられなくて申し訳なかったと、何か手土産を持って言わないといけないだろう。先生にはずっとずっとお世話になってきたのだから。

「私も久々に先生に会いたいし、一緒に行くわ。あ、それとね」

「何?」

「試験前日までに来られるなら、協会の方で個別に事前説明をした上で当日の試験を受けられるようにするって言われてるんだけど、どうする?」

 事も無げに言われて、思わず動きを止めた。あれから二か月経っているのだから、今更受けるなんて不可能だろうと思うのだけど。

「……どうするって言われても。もう、試験は終わっちゃったでしょう?」

「何言ってるの。あと三日後よ!」

「嘘!? どういう事!?」

 私は、間違いなく、地上で二か月以上……三か月近く過ごした筈だ。それなのにどうして、まだ試験が終わっていないの?

「どういう事って言われても、そうとしか言い様がないわ。何? まさか、異世界にでも行っていたの?」

「異世界という程ではないわ……地上に降りたら帰れなくなってしまったっていうだけで」

「地上から帰れなくなった? 一体、何が」

「……全部話すから、一旦家に入らない? 話が長くなると思うし」

 姉さまは、良くも悪くも感情表現が豊かだ。話の過程で絶叫でもされたら、麓の住人に何事かと驚かれてしまう。

「そうね。桐鈴も疲れているでしょうから、中でお茶を飲みつつゆっくり話しましょう」

「……うん」

 正直に言えば、肉体的な疲労感はそうでもない。だけど、複数の感情が入り混じり過ぎて、気疲れはしている。

 私の返事を聞いた姉さまは、入りましょと言って私の手を取った。久方ぶりの姉の体温を手に感じながら、久方ぶりの自宅の中へと入る。変わらぬ部屋の様子に、わけもなく鼻の奥がつんとした。


  ***


「……ええと、つまり」

「うん」

「前みたいに地上へ水浴びに行ったら、天の衣を失くしてしまって帰れなくなって」

「うん」

「衣を探してる最中に犬に襲われかけたところを、通りがかった地上の住人に助けてもらって」

「うん」

「そのままその人のところで暮らしてて、その犬も飼い始めて、一緒にいるうちに相手に恋をしてこのまま一緒にいるのでも良いかと思っていたら」

「うん」

「そもそも天の衣を奪って隠したのもその住人で……最初から桐鈴を地上に留めておくためにやった、計画的犯行だったと」

「その通りよ」

 姉さまの確認に相槌を打ちながら、入れてもらったお茶をずずっと啜る。人が入れてくれたお茶を飲むのも、随分と久しぶりだ。

「慣れない土地で大変な日々を過ごしていたのね。よく頑張ったわ」

「ありがとう」

「見慣れないあかぎれが手にいくつもあったのは、それでだったのね……天界でなら仙術で簡単に出来る家事も、地上ではそうはいかないでしょうし」

「そうね。仙力の補給が天界のようにはいかなかったから」

 湯呑みの残っているお茶も飲み干し、お茶菓子を口に入れる。小さい頃から慣れ親しんでいる、この天界の花を模した練り菓子を食べるのも久々だ。

「あの人からも当面は実家に残っていていいと許可を貰ってきたから、家事諸々は私に任せてゆっくり過ごしてね……と言いたい所だけれど」

「……間に合うと言うのならば。私は、認定試験を受けたいわ」

 お茶を飲み始める前に、姉さまは義兄さまに私が無事に帰ってきたと報告の連絡をしていた。その時に聞いたそうなのだが、地上と天界では時間の流れが違うのだそうだ。天界での一日が地上での二日に当たるらしいので、間一髪私は試験に間に合ったらしかった。

(そうなると、実質四か月近く地上に居た事になるのね。それだけ一緒にいたなら、いられたのなら……彼に心を傾けるのも当たり前だわ)

 そんなにも長い間、弦次さまと一緒にいた。それだけの期間を一緒に過ごしていられたくらいに、私は、彼の事を好ましく……彼を好きだと、思っていた。

 だからこそ、そもそも地上から帰れなくなった元凶もとい犯人も彼だったと知って、あんなにも悲しくて苦しかったんだろう。居心地がいいと思っていたあの家を、今すぐにでも飛び出したいと思ってしまったくらいに。

 そんな憂いを吹っ切って、本来の目標に集中して達成する。三日後の試験は、そういう意味でもまたとない絶好の機会だ。地上に居た間だってきちんと自主錬をしてきたのだから、絶対に成し遂げてみせる。

「桐鈴にやる気があるなら、今から支度して先に中央に行きましょう。それが終わってから先生へ挨拶しに行って、今夜と明日、明後日は私が稽古を付けるわね。試験用の衣装は……新しく仕立てるのは間に合わないから、私のお古を調整しましょう」

 てきぱきと段取りをする姉さまを、頼もしい思いで見つめた。本来姉さまは、朗らかで明るくて、頼もしくて、優しくてしっかりものなのだ……義兄さまが絡まなければ。

「……よろしくお願い致します!」

 自分で言うのも何だけれど、私と姉さまは仲の良い姉妹だと思う。だけど、これは、きちんとけじめをつけないといけない事だ。だから、授業前に先生にご挨拶するみたいに、腰を折って深々と頭を下げた。

「覚悟が出来ているのならば、先人としてしっかり導くわ。振り落とされないようについてくるのよ」

「はい!」

 一言大きく返事をして、目の前の青い瞳をじっと見つめた。姉さまは私と違って髪は銀色で瞳は青色だから、小さい頃はお揃いが良かったと言ってよく泣いていた。

『私は桐鈴の紫の髪も翡翠色の瞳も大好きよ。きっと、自分を魅せる時に一番映える色で生まれてきたから、私たちは違う色なの』

『かみさまのいじわるじゃなくて?』

『神様は、いつだって意味のない事はなさらないわ。それとも……桐鈴は、同じ色じゃなきゃ私をもう姉さまとは呼んでくれない?』

『そんなわけない! ねえさまはねえさまだもの!』

『なら、私たちはこれで良いのよ』

 そうやって私をあやして、慰めてくれるのはいつだって姉さまだった。頭の固い中央の役人だって認めざるを得ないくらいに、歌癒士の認定試験で史上初の飛び級受験を認められるくらいに才能があって、歌癒士としての務めを誰よりも果たして、沢山の人から感謝されている姉さまに、ずっとずっと憧れて追いかけてきた。

(……今回の試験に受かれば、ようやく、私は姉さまと同じ土俵に立てる)

 憧れの存在から仕事仲間に。かつて憧れたあの歌癒士の方のように、姉さまのようになれる機会が、ようやく目の前に現れた。


 今は色々と切り替えて、今こそ夢を叶えるために集中する時だ。

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