第17話:さまざまな多様性の在り方 ②
現在、引きこもりや精神疾患等の罹患によって就業が困難もしくは不可という人たちも増加しており、その人たちが復帰する場所を選択できる社会を目指さなくてはいけないだろう。
そして、その人たちが働く場所を選んで、個人で活動することやベンチャー企業などの在宅社員として就労することなど柔軟な雇用体制の構築と個人所得を向上させるための手段として検討をする必要がある。
そして、子供たちに対しては労働基準法上、労働契約を子供たち本人のみで締結することは出来ないため、親の同意が必要になる。しかし、親の同意が必要になることで子供たちの可能性を潰すことや親と子の価値観の違いが家庭内不和を起こす可能性やDVや虐待など子供たちを追い詰めるきっかけになってしまう可能性があるのだ。もちろん、子役やキッズモデルなどで幼少期から活躍しているお子さんたちもいるが、そのような子供たちは実績を積んでおり、その子たちの事務所のイメージを作り上げてしまっている以上、その実績に太刀打ちできるような人材を獲得して、育てる必要があるというのが“ジャパン・スタンダード”なのだ。
しかし、それでは子供たちの個性を潰すだけでなく、大人の都合で振り回されることになるため、見方によっては“採用暴力”や“育成放棄”とみなされかねない事態に発展することもある。
もちろん、得手・不得手は誰にでも存在するし、長所と短所も存在しているため、そのような部分を含めた個人のパーソナルカラーを理解し、それらのイメージに合う人を取ることが大事だと思うし、見方によっては企業側が“イメージ・マッチング”をさせようとしてしまうのだ。
私は“多様性とは何か?”ということを覚えておいて欲しいと思っている。
なぜなら、多様性という議論を世の中が避けていて、正面から向き合っていないように感じるのだ。そして、日本という国において“みんな同じでなくてはいけない”という協調性を重視することや“ちょっとでも異論を唱えると異端児”のような悪者のような扱いをすることで同調を誘おうとするなど個人の意思決定を阻害することが繰り返されてきたこと、法的に柔軟な対応をすることが難しい点や対応不可の事例が多く、相談を受けた側としても対応することが難しくなることや発言によっては社会からの批判や誹謗中傷に繋がることも多い。
しかも、現在の日本において個人の選択が尊重されないケースや個人が発した意見をきちんと周囲が受け入れて、そこで自分の意見を言うという言葉のキャッチボールが不十分になっているケースも少なくない。
これが日本の現状なら私は本格的な“格差社会”に突入していっているのではないか?と疑問に思わざるを得ない。
そして、私が最も恐れている事の1つとして“他責思考の多様化の急激な進行”だ。これは“私は○○だから出来ない”・“私は○○だから○○する必要が無い”など出来ない事を相手に押しつけてしまって出来ない事を正当化してしまうことや最初から立場の優越性を利用して、相手に対して自分たちの状況を変えずに相手に自分たちの主張を通させようとするなど他者に頼って自分の立場を保護するという自己責任回避型他責思考がここ最近増加傾向にあるように感じる。
これはいわゆる幼少期からの習慣がほとんどで、仮に自分がやっていたとしても他の人に責任を押しつけて、自分の責任を逃れるために嘘をつく事が習慣化されている人に多く、この考え方を立場が上になっても考え方が変わらないもしくは変えない傾向がある。
そうなると、日本は上司の考え方を尊重する社会であることから、上司の方針に従わなくてはいけないことになるため、万が一、上司に迷惑が掛かる可能性がある場合や自分たちが損害を被る可能性がある場合には別の人間に濡れ衣を着せて、その人に責任があるかのようにカモフラージュする事で責任転嫁をして責任を逃れるという行動をする可能性もあるだろう。
このように、多様性が進むと社会におけるパワーバランスの取り方と人間関係における優越性を利用されるなど双方が“正しい”と思っている事でも合意が困難な点が露呈していくことになり、現在もよくある事例ではあるが、このような事例が更に複雑かつ多岐にわたって問題への影響が大きく波及していくことが懸念される。
そして、多様性が認められる事はいいことなのだが、トラブル回避のために必要な統一基準や物事に対する前提条件をきちんと形にして作らないとトラブルになったときに折り合いが付かなくなる可能性もあり、場合によっては潰し合いに発展する可能性も否定出来ない。
特に、今まで認められなかったことが認められるようになる事でこれまで“認めて欲しい”と主張してきた人が生きやすくなる一方で今までと変わらない環境の人々にとっては違和感を覚える事や決定事項に対する反発など周囲の価値観が大きく変わることはないし、その考え方を正当化することで双方共に他責思考が強くなる可能性もある。
ただ、幼少期から多様性を重視する事が将来的な人格形成において大事であることは言うまでもないが、子供の視点から見る多様性と大人の視線で見ている多様性は着眼点が違うだけでなく、基準も異なってくる。
そのため、子供の時から多様性について興味関心があったとしても成長と共に多様性を考える基準が複雑化していき、正しい考え方を見失うことも想定しなくてはいけない。
現在はさまざまな職業が社会に認知されており、どの職業であっても社会における役割を担っていることは間違いない。ただ、社会的に浸透している職業とそうではない職業では第三者から見たときのイメージが異なってくる。そのため、後者で働いている人にとっては認知されるまで常に不安に駆られることもしばしばだ。
しかし、社会的に認知されていない職業であっても子供たちが自分たちで新しい職業を作っているケースも少なくないし、既存の職業であっても世代によって新しいスタイルを確立して別の働き方を提案しているケースも少なくない。そのため、親世代と子供世代では同じ職業であってもイメージが異なっていることもある。
このように考える対象の相手によって見方も価値観も全て変わってしまうのだ。しかしながら、日本という社会はどの年代においても同じ考え方を最低限持っていないと相手にされないという矛盾が起きている。
私はこの矛盾を解消しない限り多角的かつ多様性に富んだ価値観を周囲が受け入れる事はかなり難しいと思う。
そして、各年代の考え方を融合させて社会を作るなど特定の年齢層やターゲットを設定するのではなく、ターゲットを広げて、そこから新たな発見を見直すことも1つの考え方としては必要になると感じている。
多様性がその人の個性を輝かせる環境整備や相互理解につながることで新たな裾野を展開することが可能となり、今まで見えてこなかった新しい働き方や個性の活かし方、人材育成の多様化などが明確な数値として表れてくる。
今はいろいろな人がいるが、何が正しいのかはその人しか分からないし、その人が正しいと言っていること全てが社会のものさしになっている訳でもない。
社会におけるものさしは全体で作り上げていく物であり、その中で柔軟性や格差などを考慮したライフプランの提案がこれからの時代において必要な選択肢となり得るだろう。
これは今後の日本の経済成長をさらに加速させるためも必要な改革の1つであると考える。
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