第6話:児童・生徒の将来性 ②
日本というのはどちらかというと“人気のある人を使って有名になりたい“・”人気のある人を起用して売上を上げたい“などさまざまな組織的なプランと営業戦略はあるのだろうが、長期的に考えてどのような行動を取るべきなのか?を判断することが不十分のように感じるのだ。
なぜなら、同じ人をずっと起用していることで”メリハリ“や”イメージ依存“の観点からそのモデルさんのイメージがブランドイメージにつながり、”変化がないブランド“や”相互依存の関係では?“などとお互いにダメージを受けることもあるため、長期間同じ人ではなく周期的にローテーションするべきだと思う。
そして、これから最も必要なのは“どのようにプロモーション展開をするのか?”ということだ。というのは、今は年代を問わずテレビ離れなどが顕著になっており、活躍出来る媒体を多数持たないと幅広い年代からの支持を得られない。もちろん、小中学生なら同世代からの支持を得られるような媒体で認知を増やさなくてはいけないのだ。
このように、これからの社会において、子供たちの将来の夢など自己達成のために必要なプロセスが社会情勢によって脅かされる可能性があるということを十分理解した上で提案などをしていかなくてはいけない。
次に、子供たちのキャリア形成に対してきちんとしたアプローチが出来ているのか?という点だ。
これは、いわゆる子供の“興味・関心”や幅広い視野の形成などに対して適切な対応が出来ているのか?ということだ。
私はアプローチ不足や親の感情を押しつけて子供の個性を潰してしまっている戸感じる部分が社会上に多々存在している。
まず、第1に“教育に関して”だ。これは現代において少しずつではあるが、“学歴社会”から“実力社会に”移行しているという社会的評価はある。しかし、表面上は変わっても裏を返してしまうと学歴社会に加えブランドバリューやブランドイメージ等が先行していて、ポテンシャル採用などの採用方法の多角化が進む一方で就職差別のような状態になっていることもかなり問題視するべき問題だろう。
そして、今は両親の教育観にもかなりの子供とのズレが生じているが、そのズレが子供たちにとっては“お父さん・お母さんがそう言っているなら仕方ない”という自己解離現象(自分の考え方は間違っていて、大人の言っている事は合っているという誤認状態)が精神発達上の判断力や思考力に干渉してしまうことが少なくない。そのうえ、自分で考えたことを相手に否定されることは思春期や反抗期を迎えた子たちにとっては“人格を否定されている”・“存在を否定されている”など子供の精神発達上では起きてはいけない思考形成につながり、この思考形成が成長していった際に他者を支配する、相手を貶(けな)す、相手を見下すなど自分の思い通りに周囲をコントロールしようとする行動に走る、優柔不断になってしまう、世間一般と異なった考え方を持ってしまうなど大人の行為が子供を苦しめることに繋がるのだ。
今は学歴が表に出てくることは多くない。なぜなら、学歴社会ではないと言っているにも関わらず、“○○さんは最終学歴が○○大学です”や“○○さんは大手企業出身です”などと出してしまうと“そういう人じゃないと活躍出来ない”や“自分では太刀打ちできない”というイメージで脚色されてしまい、子供たちに夢を与えるどころか夢を奪ってしまいかねない。
今はお受験に関してもかなり競争している部分が多い。特に東京など都市部では教育熱心な家庭が多く、小学生の子供たちが夜の8時に塾のバックを背負って歩いていた光景を見たときは腰を抜かした。なぜなら、私は地方出身だが、そんな遅くに塾から帰っている人を見かけたことがなかったからだ。
その他にも公立中学校であっても近くの中学校ではなく、進学実績のある隣の学区の中学校に通わせたいと言って越境通学を希望する家庭もかなり多い。
このように、子供のうちから人と競争する環境に置かれることで子供たちの競争意識を芽生えさせようとする大人たちの意図があるのだろう。しかし、この競争意識がいじめや“陰口”などのお互いの潰し合いに発展する事も十分想定していかないといけない。私は小学校で起きるいじめに関してはこれが全体のいじめなどに関係しているとは思わないが、少なくとも全体の3割程度はこういうことが発端となって発生していると感じている。そして、中学校以降はこれらの競争意識がいじめだけでなく、差別に繋がっていく事も十分にあり得るのだ。
次に“家庭経済格差”だ。これは、今の社会を表している部分だろう。例えば、ある子は頭が良い子なのに家庭の事情で高校進学を諦めなくてはいけない。ある子は服を買ってもらえず、周りの同級生からいじめられて学校に行かないなど個々に抱えている事情や問題が多様化していて、この事が子供の将来性を潰す1つの要因になっている。しかし、この問題は大人が解決しないと始まらないし、子供たちに“あなたの環境が当たり前ではない”という“相互承認”や“今の社会においていろいろな人がいて、○○さんはそういう子なのか。”という“相互理解”が不十分な印象を感じる。
特に、子供たちが何気なく言っている言葉には相手の事情や立場に立っていない場合が多く、そういう言葉を使う事で相手への攻撃性が高まってしまうことで悪気はないのだが、相手を知らないうちに傷つけているということもある。
私はこの問題に対して定期的に指導機会を設定し、両親と子供たちとのイメージ共有や使って言い言葉と使ってはいけない言葉を指導・改善をしていくべきなのではないだろうか?
これは起きる問題全てに共通しているが、特に“1人1人違う部分”の1つでもあることからきちんと指導し、子供たちの知識・理解に繋げていかないとこのような問題に対する多角的な見方は出来ないだろう。
こういう問題は親や子などの狭い問題ではなく、社会全体などにも関係する広い問題であり、所得を得られる手段としてきちんと両親にもアプローチをする事が大事だと思う。
子供の将来性は周囲の人たちがどれだけ有事にきちんと向き合っているかで決まってくる。
そのため、周囲から本人に対して言われる内容のバランスが安定的になっていないと子供というのはすぐに崩れてしまいやすく、子供の中にはHSP(High Sensitive Person=精神的繊細)の子供もいるため、1つの言葉が子供の行動を抑制してしまうことに繋がるのだ。
子供の将来性を考えたときに“出来る”ことは大切に、“挑戦させる”ことは積極的に、“考えさせる”ことは子供の成長と思って子供に接していくことが大切だ。
子供というのは精密機械よりも扱うのは難しい。だからこそ、そこでつまずくことなく前に進めるようにきちんとサポートやフォローをすることが大切だろう。
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