第3話:中等教育 基礎編
現在の中等教育は義務教育最終段階という位置付けにあり、初等教育と比べると一気にレベルが上がっていく。そのため、小学校の延長線上として考えていると、どんどんスランプのような状態になっていってしまう可能性がある。そして、不登校になる子供のタイプも小学校と中学校で異なっていく。最も異なるのは小学校の段階では人間関係など人対人の問題が中心になるが、中学校の場合は人間関係だけでなく、学習面や精神面なども不登校の原因因子として考えられる。そして、これまでと大きく異なるのが、“他校との合流”だ。これは、小学校の場合には学区内の子供たちしかおらず、狭いコミュニティで生活を送っていたが、中学校になると地域によっては複数の学校の児童が1つの中学校に集まるということもあるため、これまでの人間関係が崩れる可能性もある。
そのため、今まで仲が良かった子たちとの時間が減る可能性、疎遠になってしまう可能性などこれまでの人間関係の在り方が変わり、新たな人間関係を構築し始める時期でもあるため、この時期の心のケアはかなり重要になってくる。
なぜなら、個人差はあるものの全体的に中学入学と同時に思春期に入ることもあり、周囲との違和感や劣等感などに対して敏感になり、周囲との違いを覚え始める時期でもある。
仮にそのような感情が芽生え始めたときに気を付けなくてはいけないのは成長の遅れや精神発達の遅れなどの自分と周囲との違いが顕著に表れているときだ。
今は学習面でも成長面でも個人差が最も顕著に出るのが、小学生から中学生だと思っている。これにもいくつかの理由があるのだが、第1に“身体の成長と精神的成長”だ。
これは、以前はそこまで気にならない問題だったが、現在では個人差はあるが、かなり解決などが難しい問題になっていることは言うまでもない。というのも、現在は小学生であっても中学生であっても背が低い子と背の高い子が存在しているが、さまざまな資料を参照するとこれらの体格差によるいじめも以前に比べると減ってはいるものの、先見性で見ていくとこの差が出ていることで夢が狭まってしまう可能性があるように感じる。
例えば、モデルさんになりたいという夢を持っている女の子が2人いたとして、1人は小学生で150cmあります。もう1人は小学生ですが、身長が160cmあります。この場合、どちらの子が受かりやすいでしょうか?
答えは身長160cmの子のほうだ。なぜなら、モデルさんのイメージとして身長が高い=スタイルが良いという概念が存在していますし、現在のモデルをやっている人たちの身長(公表されている人のみ)を見てもほとんどが160センチから180センチという恵まれた体格を持っている人が多いのだ。
つまり、表に出る人はそれだけ容姿を重視される世界であることから誰でもなれるわけではないということだ。
しかし、こういうイメージを小中学生の時から持っている子供たちにとっては身長を伸ばすため、足を長くするためにさまざまな事をする。これ以外にも身長を伸ばすためにホルモン治療やヒアルロン酸などの美容に力を入れる子も少なくない。
そして、こういう世界を目指している子は小学生の頃から意識も違っているため、少しでも何かが狂うとすぐに心に来てしまうのだ。
そのため、容姿を否定されることや実力を否定されることが増えていくのもこの年齢以降に顕著に表れる事が多い。
次に“承認欲求と物理的欲求”だ。
これは、自分の事を相手に認めてもらいたいという気持ちや好きな女優さんと同じ物を手に入れたいなど自分以外の誰かの真似をしたいと思うことが徐々に増えていく。
例えば、有名なモデルさんや芸能人がスカウトされた場所を知ったときに“その人と同じ空気を吸いたい”・“その人みたいになりたい”と思う子はその場所に向かうし、“その人と共演したい”と思う子たちは芸能事務所のオーディションやコンテストなどに応募する。
これを学校生活に当てはめると“出来る事と出来ない事の線引き”という段階だ。なぜなら、自分が持っている夢を実現させるためには何が必要かを考えたときに“この授業は重要なもので必要”だけど“この授業はあまり重要ではないから必要ではない”という線引きをする行為のことだ。
これらの行為が明確に現れるのがたいてい中等教育以降だと私は思っている。
なぜなら、自分の夢を持って実現するまでの時間は早い子になると子役などで入ってそのまま売れっ子になり、マルチに活躍する子もいるため、中学生になるとお仕事をセーブして学業に専念する子と文武両道を考える子とに分かれる。
そして、今は何をするにも“イメージ”や“実績”・“業界への貢献度”など表面を重視される世界も多数あるため、学校の勉強を真面目にすることは将来の自分のためになると思って取り組むこともある。
一方で、中学校でのいじめの発生は小学校に比べると増加傾向にあり、さまざまな価値観が存在している世界でもあることから自分の気に入らない人や自分の邪魔になると思った人を攻撃する傾向にある。特に、自分に不利益になると思った子や自分より周囲から守られていると思う子、自分よりも優位性がある子に対してのいじめの発生率はかなり高い。
これは以前に私が事例として参照したことのあるものなのだが、この事例はかなり特殊な事例だと私は思っている。
それは、“自分よりもおとなしい子なのに持っている物が全て自分(いじめた側)の欲しいと思っている物だった”という事例だ。
この事例を見て分かったことは学校内に年功序列のような力関係が存在していて、その子は全く関係のない子なのだが、その子が持っている物を“自分の立場を利用して手に入れよう”と考える心理が働いている。そして、この子に対して暴力行為もあったことからきちんと時間をかけて指導することになったようだ。
この事例は中等教育においては珍しいケース事例ではないが、それだけ人に対しても起きる物事に対しても敏感に反応してしまう時期であることは間違いない。
これは、学習面でも同じで、小学校までは選択肢が複数用意されていて、中学校を受験しない子ならそのまま中学校に進学する事が出来たが、中学校になると義務教育の最後の3年となるため、高校は自分の意思で選んで、受験し、その高校に“合格”しないと先が繋がらないシステムになっている。そのため、親の教育観によってはかなり子供が追い詰められてしまう可能性も少なくないのだ。もちろん、高校に行かないでそのままバイトするという子も一定数いるが、今の日本において最低学歴が高校卒業(高卒)以上でないと就職する事は出来ないため、よほどの理由がない限りは高校に進学する。
私はこの進学制度を少し変えるべきだと思っている。なぜなら、中学校の勉強が出来ないと高校に進めないというのは裏を返すと“有能な人たちだけが選べる権利”のようになってしまい、良い高校に入学すると“この子はすごい子だな”という評価、あまり良いことで有名にならない学校を出ると“この高校は良い高校ではないからそうでもないのかな”という勝手な社会的先入観で評価され、その人のイメージ化されてしまうからだ。
私は高校に進む・進まないは関係ないと思っているし、もっと日本の社会においても個々の見方を変えていくことで時代相応の価値観が生まれてくると思う。
そこで、初等教育でも提案したが、学校をコースで分けてそれぞれにカリキュラムを用意することで子供たちの個性を伸ばすことが出来るのではないかと思うのだ。
この理由として、小学校からの授業選択の延長線上として“自分でやりたい科目を選んで、自分が納得する学びの形を形成する”という自主性や関心・意欲を全面に出した知識・理解を展開することで自分が自分でやりたいことの選択をすることの大切さを学ぶことが出来るだろうし、今の主な教育的価値観として、国が決めたカリキュラムに基づいた学習を展開し、決められた学年で取得しなくてはいけない知識を学び、個人差はあるものの、全てを理解できて数字で評価をされたとしてもいい数字になる子供と、理解出来るまでに時間が掛かるにも関わらず、無理矢理全てを詰め込んで数字で表されてしまう子供とで個々の意識に個人差が出てしまうことで本人の学習意欲などが削がれてしまう事もしばしば起きる可能性がある。
だからこそ、基本科目は必修とするが、科目によっては習熟度別クラスを導入し、個々の学習進度に合わせて授業を展開することや、少人数制のクラスも設置し、分からないことをすぐに質問できるような環境整備をすることも大事だろう。そして、個別学習目標を設定し、その目標をどれだけ達成出来るかで評価するべきではないだろうか?
たいていの子供たちの夢が明確に決まり始める時期はバラバラだが、早期にさまざまな経験を積ませることで、子供たちの夢に対する選択肢を狭めることなく、自分の目標を決めてその目標を達成したときに次の目標を設定するという思考の習慣化を定着させる事が出来る。
そして、何より苦手科目を無理に行うストレスが軽減され、本人たちの主体性を確立しやすく、挑戦する事への意義を感じられるようになる。
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