第2話:初等教育

・基本

幼児教育が終わると次に初等教育が始まる。私は初等教育が人材育成の基礎となる考え方を形成するのに最適だと思っている。


 なぜなら、小学校が在校年数で考えると全ての教育の中でもっとも長い在校年数になる。そのため、第一次人格形成と社会に出る前の第一段階としてこれらの課題に立ち向かう事になる。そして、最高学年である6年生から1年生までお互いにいろいろ教えあってお互いに成長して行くという環境が整っている。


 一方で、子供達の精神発達における大半を占めているのが小学校であることから、1度いじめ等が発生してしまうと本人たちの心理的ダメージが大きく、精神発達に大きな影響を与えてしまう可能性があるのだ。そして、幼稚園などの幼児教育にも言えることではあるが、子供によっては繊細な子や物事に対して過敏になる子など多岐にわたる子供達が在籍していることもあり、指導方法を間違えるとその子を潰してしまう、その子を失ってしまうというリスクが伴うのだ。


 しかし、全体を見渡すと不登校件数もいじめの件数も減少するどころか増加に転じているような印象だ。これらの数値を分析していくとある要因が見えてきた。


 それは、“同調性”や“協調性”など同じ仲間同士でこうあるべきという細かなルールが多数存在していて、それが出来ない同級生に暴言や暴力行為をしているというケースだ。これは、私が小学生の時から変わっていないように感じる。例えば、スマホを持っていない子に対して“お前の家は貧乏なのか?”や“お前遅れているな”などといったエコノミック・ハラスメントや“なんでお前みたいなやつがあの子と仲良くしている”といったリレーション・ハラスメントなど自分にないものを持っている人に対して攻撃する傾向にある。


 特に、低学年だと成績やテストの点数などで周囲と比べられることは少ないのだが、先生が“○人は満点でした!おめでとう!”という自分よりも点数がいい人が何人いるという事実を知ることで子供達の学習意欲が低下することも少なくない。そして、面談などで両親に報告され、家で子供に対して“なんでこんなに勉強できないの?”と言って子供を叱りつける。この構図は以前からあまり変わっていないように感じる。


 その結果、子供たちには最初はストレスを感じることは少ないが、次第に強いストレスが心身に掛かるようになり、自我をコントロールすることが出来なくなるのだ。これは日本における学歴社会や競争社会を強く反映しており、“良い大学に行って欲しい”・“良い成績を取って欲しい”という親の願いの裏には社会的評価を気にしている、良い大学を卒業することでブランドイメージを持って社会に出ることが出来るようになるのだ。


そのため、入学してから卒業するまで同じ事を言われ続け精神的に追い詰められてしまうのだ。私はこれを“アダルト・ハラスメント”と呼んでいて、子供が大人の都合に振り回されている状態なのだ。これらが親から子へ代わる代わる伝承されていく。その結果、この連鎖が止まらなくなり、同じ事が繰り返されていく状態が続いていくのだ。


・応用

 私は現行のカリキュラムを2つに分けるべきだと思う。なぜなら、勉強が苦手な子に無理矢理勉強をやらせることは1つの虐待行為のように思えるようなこともあるからだ。そして、大人の事情に振り回されてしまうことによるストレスにより子供たちの心身を壊してしまうのだ。この事が毎年のように起きていることで子供たちの自殺や引きこもり、不登校などに繋がっていってしまっていることは深刻に受け止めなくてはいけない。

例えば、授業に関しても学校に行って受けるもしくは家からインターネットを通して受けるという2つの選択肢を作るべきだと思うし、通常カリキュラムを行うクラスと通常カリキュラムと実務的なカリキュラムを行うクラスに分けて授業をする事も授業をしたい子たちと授業はしたいけど、別のことをやりたいという子たちに対しても柔軟に対応することが出来て、先生たちにとっても児童にとっても自主選択が出来る教育環境、学習環境を整備することでその子に合わせた学習方法を見つける事が出来て、お互いに切磋琢磨することで無意識のうちに助け合いの精神を持つことが出来るようになるのだ。そして、先生方もその子たちに合わせてカリキュラムなどを組むことが出来るため、通常のカリキュラムで“ここまで進めなくてはいけない”・“これくらいは理解していて欲しい”という焦りや固定概念などを排除し、個別に適性を見極めながら進めていくことが出来るのだ。


 現在はホームスクールやフリースクールなど学校外での教育機会が増えている。しかし、これらの外部機関の発達が都市部など人口の多いエリアに集中しており、それ以外のエリアではあまり大きくは発達しておらず、子供たちとの距離感をどのように埋めるかが課題となっている。


これらの外部教育機関と連携している学校は増えてはいるが、自治体の判断が必要な部分や学校長権限になっている判断項目が多数存在するケースが多く、中でも出席をどの程度認めてもらえるか、卒業証書をもらうために必要な条件など制度自体が不明確な部分が多く、子供たちにおいては実際に勝代するために必要な情報が不明瞭な部分が多いのが現状だ。


 私はこれらのスクールを独立した形で運営し、文部科学省から教育機関としての承認をもらい、その学校だけで卒業資格を取ることが出来るようにするべきだと思う。なぜなら、不登校の子や非登校選択の児童にとって学区内にある自分が在籍している学校と普段通っているスクール・自宅学習と多岐にわたる選択をしてきたことで人との接触が多い子と少ない子との二極化状態になることも十分に想定できる。


 ただ、これらのスクーリングの課題として“子供の心理と親の心理の地域間格差”が挙げられる。なぜなら、都市部と地方部ではかなりの個別認識のズレ、地域的概念のズレなどお互いの認識格差が広がっているケースも少なくない。例えば、都市部などでは学校へ出席をしていなくてもあまり干渉されることはないし、そのことでいじめが発生することもごくまれなことだ。しかし、地方部の場合は全く認識が異なり、お互いにどこに誰が住んでいるということはすでに分かっているケースが大半だ。そして、仮に知らない家であってもどこから漏れるか分からないという事実もある。そのため、地方ではどの家の誰が学校に来ていないということがまかり間違うと噂のように広がってしまう。そのため、これらの選択をしている家庭が少ない、子供たちが少ないというのが現状だろう。


そして、これらの選択肢が狭まり、意思を持って行動する事が難しくなっている背景にまず、都市部と地方部での認知度やこれらの仕組みに対する不安感が強まるリスクによりこれらの導入率に大きな差がある。なぜなら、都市部ではテレワークの導入率が高く、普段から在宅勤務の人も以前に比べると増えているため、ホームスクーリングであっても、フリースクールでも対応できるし、多くの地域で設置されているため、子供だけで通学することや同じ境遇の子供たちとの交流などがしやすくなっている。そのうえ、学校に行っていなくても指摘する人は少ないし、都市部の場合は情報の拡散率や認知率が高く、1人1人が正しい情報を得て、お互いを尊重する傾向が高まっている。


しかし、地方部ではテレワークは導入されている会社もあるが、会社数が多くないためこれらの選択をしている大半の子たちは両親が帰宅するまで1人で過ごしているケースが多い。そして、地方になるとフリースクールなどの外部教育機関が十分発達している地域とそうでない地域があり、仮にフリースクールがあったとしても対人恐怖などがある場合、フリースクールの所在地までの距離があり、自力では通学できないという子供たちが多い。


 だからこそ、これからは都道府県単位でこれらの教育機会格差に関する問題を解決することや、これらの教育機関を設置するために各都道府県単位で必要な人材の確保状況の確認、仮に確保が難しいのなら近隣の市町村や文部科学省などが手動となりオンライン上にクラスを作る、他の学校と合同クラスをつくって授業するなどこれらの教育機会を創出する方法はいくらでもあるのだ。


 しかし、これらを実施するには各自治体が受け取る“交付金”や“補助金”など財政基盤の菜花でこの領域に対してどの程度割り当てられるかでこれらの教育機会が拡充されていくのか、そうではないかが決まっていくことになりかねないのだ。


 そして、これは都道府県単位ならいいが、これを市区町村単位まで縮小すると教育格差が顕著になる可能性があることはこれまでも改善されることはなかった部分だろう。特に、地域によっては児童数の減少により統廃合を余儀なくされる学校も少なくないため、仮に近くに学校があるのなら、その学校の閉校後にその学校を利用してフリースクールや遠隔でホームスクールを運営できる体制を整えられるように財政支援をするべきだと思うのだ。


 そして、そのフリースクールでは普通の授業だけではなく、動画制作や起業などの学校では通常行わないカリキュラムを組み込み、通学してくる児童・生徒に対して学習指導要領に縛られず、子供たちの自主性に任せて自分でやることを選択させることも重要だと思っている。そして、その選択を尊重し、子供たちが出来る事は本人にやらせる、本人たちの範疇を超えてしまう、当該学年では理解できていない法律など社会的なルール、どこまでやって良いのか分からない場合には施設の教員などの大人に聞くという1つの学習サイクルを構築する意味でも重要なメソッドだと思う。


 そして、小学生から将来性などを重視した教育をこれからの時代は展開していくことが大事だろう。そのためには学習指導要領を基本とした柔軟な科目選択や授業内容の選択が必要になるだろうし、登校児童以外にフリースクールやホームスクールで学んでいる子供たちも同じように授業を選択して、バランス良く学習する機会を与えることで1つのベクトルに縛られない学習が可能となり、多様性の芽生えに繋がっていく。その結果、学校が変わっても自分のスタンスを構築しながら基礎学習とキャリア教育の併用が可能となり、1つのセクターでマルチタスクを実現する事が出来るのではないだろうか?


 これからの時代は“学歴”や“実績”だけではなく、“個性”や“柔軟性”などパーソナルセクターの構築が大事になってくる。


 特に初等教育における人格形成や基礎コミュニケーション力の構築など脳の柔軟性が高まっている段階で基礎や基本となる考え方を習得できるチャンスとしてはこの時期が最も取り組みやすくかつきちんと教職員や両親などがフォローする事で失敗が精神発達に響きにくい時期であり、子供たちの自主性、創造性、興味・関心など多岐にわたるタスクの確立が十分に履行可能となる。

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