第15話:他責習慣化が生む悲劇 ⑤

そして、成長と共に徐々に小規模・大規模いずれかの集団生活も始まっていくため、自分が持っている基準と周囲の基準が大きく乖離した状態になっていると、社会からも集団からも孤立してしまうことや考え方の違う人から反感を買って、悪質かつ陰湿ないじめなどが発生する可能性が高くなり、本人にとっても周囲にとっても過ごしにくい環境が形作られてしまう。


 そんな中で起こりやすいのが“自分と考えが違う人に対する対処の仕方をどのように指導していくか?”だ。


 現在は同じ園から同じ小学校に進学する子供が大半だが、ごくまれに違う園から来る子もいるため、最初のお互いの意思疎通が難しくなっている場合も少なくない。


現代において小学生になった時点での家庭内経済格差は幼稚園までの感覚とは全く異なってくる。なぜなら、今までは学区の違う子供たちなどと一緒に生活をしていたため、その子たちが本人にとって“スタンダード”であるという認識が強くなるが、小学校に入学すると地方などでは学区の広域化が急速に進んでいる地域もあるため、住んでいる地域によって家庭の経済状況が大きく異なっているケースも少なくない。


そして、現在は地域の子供の人数が減るなどして各地区もしくはエリアに設置されている学校の児童減が顕著になりつつある。そこで、行政などが児童数の少ない小学校などの統廃合計画を進めているため、今まで交流がなかった学区内にある地区の子供たちとも交流をしなくてはいけない、その子たちが持っている物の基準が異なっているなど子供たちの基準が統一されていないことも多く、これらの格差が子供たちのストレスや人間関係構築の難しさを露呈するきっかけになっているケースも少なくない。


そのため、通学に関しても学校から近い子供たちよりも学校から遠い子供たちは毎朝憂鬱な気持ちになりやすいし、学校の近くの子と遊ぶにしてもタイムラグが生まれることで疎外感や孤立感が生じることもある。


なぜなら、複数校を1つにまとめることによって友人関係の構築が難しくなる、学区が遠いと遊びに行くために自転車などを使わないといけないなど移動に関しても負担になってしまい、交流しにくいなど子供たちの交流や学校における人間関係に支障が出る可能性があること、子供によっては同じ学校に通っている生徒との価値観が合わず、どんどん孤立していってしまい、次第に不登校になることや性格が穏やかだった子がいきなりキレやすい性格になってしまうなど子供たちの心理面にも大きく影響してくることがある。


 特に小学校低学年の子供たちは精神的に安定が取れないことや新しい環境に順応していない事も多いため、お互いを攻撃し合ってしまい、お互いに責任を押しつけ合うという他責思考が芽生えやすい時期でもある。そのため、大人が子供の発するサインを見逃さない事が求められる。


 その理由として、子供たちに状況判断するために必要な知識などが不十分なケースやそれまで育ってきた環境によって基準がバラバラになっており、その環境で正しいと思われている事を信じてしまっていることで他にもトラブルが起きたときに自分の基準を正当化して相手のせいにしてしまい、更にエスカレートしてしまう事も多い。


そのため、低学年が初等教育で最も子供たちのバランスを慎重に育てていかなくてはいけないステージだと思っている。もちろん、中学年、高学年であってもトラブルなどは起こるが、更に複雑な問題が多くなる傾向があるため、経験のある先生でないと解決が出来ない問題や専門性が高く、その分野を専門としている先生でないと解決出来ない問題も起きてくるため、学年問わず1人1人に向き合って動いていかないと子供たちが孤立する可能性もある。


 そして、現在は以前のように“この年齢でこういうことが起こる可能性がある”という想定されている判断基準が外れることも多くなっているため、臨機応変な対応と柔軟な考え方が求められる事になるのだが、個人差を考慮しながらの指導になるため、なかなか子供たちが見ている部分と大人が見ている部分のズレが深刻化していってしまう可能性も想定しながら子供たちとコミュニケーションを取っていかないといけない。


 しかしながら、今の子供たちはデジタル文化の中で成長してきたため、最初の頃は対面ではなかなか距離を縮めることは容易ではない。そのうえ、子供たちの中には家族以外とコミュニケーションを取ったことがない子供や劣悪な環境で育ってきた子供もいるため、全員同じように接してしまうと誤解を生むことや子供たちとの距離が出来てしまう可能性もある。


 そして、現在は些細なことが大きなトラブルに直結する事や子供たちと大人たちの個別認識や個別基準の違いによるズレなどが他責思考を無意識のうちに構築してしまっているケースも十分に考えられるのだ。


 特にハラスメント関連は現代においてかなり問題視される事が多く、年代によって基準も受け取り方も異なっており、たとえお互いに一定程度の関係性を構築出来たとしても、その年代の基準は変わらない。


 特に10代以下から10代に関しては時代によってかなりシビアになっており、時代の経過と共に子供たちへのしつけや指導の仕方もかなり時代の変化を映しているように感じる。


 例えば、子供たちが悪いことをした時に親が注意するときも大声を出して叱責すると“脅迫”と言われ、平手打ちや肩を揺らすと“暴力”や“虐待”と言われるし、学校でもいじめや喧嘩などを止めようとして児童・生徒の肩や手などを触っただけで“セクハラ”と言われて、保護者に「○○先生に身体を触られた」や「○○先生に怒鳴られた」と報告されることで親としては「なんでそんなことをするの?」と思う人もいるため、場合によっては保護者が子供の話を信じてしまい、全体の話しを相手にいくら説明をしても疑念を晴らせなくなる。


 これは子供同士でも起きうる話しなのだが、子供同士の場合は見ていた人がいたとしても実際にやった人が無関係の人に罪を押しつける、自分がやったことをやった相手を脅して口封じをしてどこにも言わないように口止めするなど子供たちの中でも年功序列状態になり、リーダー格の人が責任転嫁をしたとしても黙って受け入れてしまうことも多い。


 そして、責任を転嫁された人がまた別の人に責任を転嫁していくことで他責思考が連鎖的に作用し、起きた問題を更に複雑化させてしまう。


 仮にこのような状況になってしまうと先生など子供たちを指導する立場の人たちは日常的にそのような問題を起こしている子に対して疑念を持ちやすくなる。そのため、1つの問題が起きたとしても蓋を開けると複雑化が進行し、お手上げ状態になる可能性もあり、事態が更にエスカレートしたとしても指導法が限定されてしまう。


 これが大人社会で起きると立派な犯罪として警察などに捕まる可能性もある。しかし、相手が“嫌がらせ”や“ハラスメント”だと判断されてしまうとやられた側が弱くなるため、どんな弁解をしたとしても証拠がないと信じてもらえないのだ。


 このように立場が強くなる人と弱くなる人が同一項で混在することでお互いの立場を主張し合うことになるため、自然と相手に責任を押しつけるなどして自分の責任を認められなくなっていく。その結果、トラブルや事件、法廷闘争を含めた裁判沙汰になる事も多く、立場が上になるとなるだけ立場が弱い人に対して高圧的な態度を取れるし、仮に理不尽なことをされたとしてもお金や地位などで簡単にもみ消せてしまう。


 このように、社会的立場が高くなっていくと“立場の上の人には逆らってはいけない”という暗黙の了解のような思想が正当化され、立場の弱い人はトラブルが大事になるのを避けることや大事になったことで社会的に“あの人が○○さんを陥れた人じゃない?”や“あの人の顔に泥を塗っちゃうとか何を考えているのか?”といったような周囲からの陰口やネット上での誹謗中傷などを受ける要因を作りたくないと思っているからだろう。

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