第7話:日本における他責思考の実例

 日本において他責思考の実例はたくさんある。


 例えば、年金なら自分できちんと払っていると必ずもらえると思うが、実際には納付者数の分母が減っていくとそれだけ納付金が減っていき、それに伴いもらえる金額も減っていく。つまり、自分たちが支払ってもきちんともらえる保証がないのだが、多くの人は「年金を納めているからもらえて当たり前」という思考になっていくのだ。


 このように自分が義務を果たしているからこうなって当たり前という考え方を持つことで予想外の展開になったときに柔軟に対応できなくなってしまうのだ。


 現状、日本における年金制度は見方を変えると“国民の義務”と言われるほど支払いを強制されている。しかし、若い人たちにとっては“年金は払い損である”という認識が強く、個人年金や銀行の積み立てを始める人も少なくない。


 しかし、これを義務化することが若年層からの不満に繋がるだけでなく、自分たちの意見がきちんと反映されないことや時代相応の制度になっていないことで“政府のせいだ”や“国のせいだ”と次第に他責思考を若年層が持ち始め、本当に経済的に困窮していなくても払うことを躊躇する学生が多いのだろう。


 次の例として“少子高齢化”の問題について考えてみたい。これは、子供の数が減少し、高齢者の方の人数が増加している事を指しているが、これもまた他責思考や責任転嫁がよく行われる。


 現在は年々出生率が下がっていき、学校なども統廃合が進んでいる地方自治体も少なくない。しかし、その原因を巡ってさまざまな論争を繰り広げている。


 まず第1に“子供は産みたい人が産めば良い”という発言を聞いたことがある。


 この方が話していたのは“子供が欲しくないのに無理矢理子供を産んでもその家庭が気の毒なだけ。だから、産みたいという人がたくさん産んで、その人が社会を支えれば良い”という内容だったと記憶しているが、この話を聞いた私はこの人の考え方に耳を疑った。なぜなら、この発言をしたのは“子供を作らない”という前提で結婚した人だったのだ。つまり、結婚しても子供を産まないという選択をして今まで暮らしてきたのだろう。そして、若い人たちが減ると年金額も減るのが一般的だが、その人は“年金はきちんと払っているのだから満額もらえて当たり前だ”という発言をしていた。つまり、「自分は子供を産まないけど、自分たちが悪いわけではないから自分たちの生活は保護されなくてはいけない」という暴論を振りかざしていたということになる。他にも「若い人が子供を産まないから日本が高齢化していく」という発言など自分たちが出来る事を建設的に考えるのではなく、他人ありきで考えているため、自分たちの義務を主張することで生きている意味を見いだしている人が数多く存在している事に驚いた。そして、自分たちがしている事の見返りが減ることや自分たちの思い通りの生活を出来なくなることに対して不満が出てしまうのだろう。


 私は少子高齢化の要因として個人の経済力もさることながら結婚したいと思っている人が結婚できないという現実の方がこの先、かなり恐ろしい事態を招くように感じる。


 最近、あなたの理想の結婚相手は?という記事や“芸能人の結婚観から分かること”など結婚に関する話題をよく見るようになった。ただ、記事の中身を見ると今までの変わらないような内容が多い。


 私はこういう記事を読むといつも“これは本当の相手の本音なのかな?”と感じる。なぜなら、私自身は1度も恋愛経験はないが、告白した経験は何度もある。しかし、その相手の話しを知り合いなどから聞くと自分とは条件が合わないことが多く、その度にショックを抱えていた。


 私が恋愛を含めて異性に対して疑問に思った事はいくつもある。


まず第1に“自分よりも身長が高い方が良い”・“身長差が大きい方が良い”など容姿などに関する理想像がかなり高い人が多い印象を少ない恋愛経験から感じた。


 これは私が学生時代に多かったのだが、当時付き合っていると思われるカップルとすれ違うとほぼ“彼氏のほうが背の高い人”もしくは“彼女の方が背の高い人”のいずれかで、同じくらいの身長というカップルはあまり見かけなかった。


 これも個人差があり、一概には言えないが、お互いの恋愛観と価値観がきちんと合わないとこういう状態にはならないのだろう。そして、年齢が上がると環境も変わるため、長く付き合っているというカップルが減ることや出会いの場が減るため、学生というタイミングを逃すと社内恋愛やお見合いなど出会う機会はいくつか残されているが、学生の頃に比べるとハードルが高くなっていくことが分かる。


 現在は身長や容姿を重視する傾向は以前に比べると減ってはきているようだが、まだ根強く残っている部分もあり、芸能人などでも身長差のある夫婦がいることは珍しくない。ただ、この考え方が日本における結婚観にかなり大きな影響があることで肩身の狭い思いをしている人も少なくないだろう。


 こういう小さな事であっても結婚出来ないということは個人の結婚意欲の喪失に繋がる可能性があるのだ。このような積み重ねが長年続いていることで結婚に対する価値観のズレが拡大し、そのズレが個人の結婚観を揺るがす事態に繋がっていくことで婚期の晩婚化や子供を作らない選択をする人の増加など将来的な懸念事項が増えていく可能性があるのだ。


 ただ、人によっては学生結婚を選ぶ人もいるため、そのような人たちに対する社会の目が育っていかないと個人選択の自由が制限されるなど個人の意思が社会に反映されにくくなるため円滑な社会は生まれない。


 現在は多くはないが、16歳から18歳で第1子を授かる人もいる。そういう人に対する社会の目や“子供が子供を産んでどうする?”といった誹謗中傷などが起きるのが今の日本だろう。しかし、これを肯定的に考えると16歳で子供が生まれると言うことは長期的に考えて子供が多くなる家庭であることから若くして親になった当事者たちの収入や周囲の協力をどのように得るかが今後の課題だろう。


 しかし、このような人たちの特集などを見ると街頭インタビューなどで「こういう人たちがもっと増えると、今後の少子化の進行が改善するのではないか?」、「大家族などが特集されているけどそういう家族ってなんか大変そう」という子供が多くないもしくは結婚して間もない夫婦などからこのような声が挙がることや実際にたくさんの子供がいる家族の当事者たちからは「うちは子供6人いるけど、子供が多いと思った事はない。ただ、教育費などの子育てにかかる費用が高くなるからそこを改善して欲しい。」や「もっと子供を作りやすい社会を作らないと子供も増えないし、多様性を尊重しながら子供の数を増やすなら法整備などの抜本的な改善などをしていかないと難しいと思う。」といった建設的な意見が出るなど個人で多角的な視点を用いてさまざまな視点から物事を考えている事が伺えるが、やはり目立ったのは「たくさん子供が欲しい人がたくさん子供を作って、そうではない人は子供を作らなくても良いように社会が変わっていって欲しい」という“誰かが自分の代わりにそういう部分を補って欲しい”という“誰か主義“が定着しつつあるように感じる。


 これは特に若年層や子供を作らないと選択した夫婦などからよく聞こえてくる言葉のように感じていて、“自分たちが出来なかったことが申し訳ない”ではなく、“自分たちがそういう選択をしたのだから誰かがそこを埋めてもらえて当たり前”というどちらかというと自分の主張が全面に出てしまう人が次第に増えてきているようにも感じる。


 また、子供に対してマイナスのイメージを持つ人も少なくないため、なかなか共存社会を作るまでに至っていないように感じる。

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