第2話:悲劇の方程式
今の日本は“自分で他人の責任を負いたくない”という風潮が定常化していき、何かトラブルが起きたときには優越性が高い人・組織ほど自分の責任から逃げようとする。
そして、相手が逃げたとしても警察や関係各所が個人に対して“この会社には勝てないので、ここは折れた方が得ですよ”と“無理に争わないで、泣き寝入りしてください”と言わんばかりの洗脳行為をする。その後、最終的には被害に遭った方が折れて、社会全体や本来個人を守らなくてはいけない立場の人たちが相手の企業なり組織を擁護してしまうという風潮が未だに抜けない。
私はこれを含めたいくつかの方程式を“悲劇の方程式”と呼んでいる。なぜなら、このような行為に対して企業などの組織が優越性を利用して相手を言いくるめようとしている。そして、自分たちのブランドイメージを傷つけないように闇に葬り去るというあるまじき行為をするのだ。
もちろん、重大なインシデントに直結するトラブルが起きることは多くはないが、重大ではないトラブルは起きることは多い。
これは、雇用も同じで、男女雇用機会均等法など男女平等の労働社会は形成しているが、肝心の部分が形骸化している印象が強い。そして、正規雇用と非正規雇用では雲泥の差が生まれていることも問題視する必要があると思う。
ここで問題視する事の1つに“働いていない人は怠け者”という考え方が幅広い世代で定着していることだ。
これは、一般に働いていない人に対して“生活保護をもらうな”や“税金泥棒”といった“働けない事は罪である”と言う意味を含ませた声を浴びせる人たちがいることは周知の事実だろう。そして、そういう大人たちが子供たちに対して“貧乏人と遊ばないように”など差別の対象になるきっかけになりかねない言動やその子に対するいじめの発生要因として想定されるような言動をすることが多い。そのため、そういう言動が当たり前に交わされている現状やSNSなどのネット媒体、チャットアプリなどの非公開で会話が可能になっているコミュニケーション媒体など簡単にその人を不特定多数でターゲットにすることが可能となる。
昨今、子供たちの家庭環境は一定期間のスパンで変化をしていくことが多い。そして、前日まで幸せな家庭だった子供が次の日には逆の立場に立つこともある。
このように家庭の経済事情などで相手のイメージが変わることもあるし、そのイメージで接されることもある。
特に近所に同じ職場で勤務している人がいる、知っている人が多いということだけでどこから情報が出ていくか分からないため、知らない間にさまざまな噂をたてられることがある。
今の社会において情報というのはその人のイメージを形成する大事な判断材料になる。そのため、1つのイメージでその人の印象が変わってしまうことがある。
このように表向きはきちんと機能している部分が視点を変えるとかなり改善する必要があることが多い。
そして、私が問題視しているのは“個人の雇用機会の不平等”だ。これは、会社などの組織の上役たちが“この人は使えない”と思うと自己都合扱いで不当解雇して、自分たちに不当解雇の事実をもみ消そうとするのだ。その理由としていくつか挙げられるが、まず、“会社の経営状態”だ。
これを挙げた理由として労働基準法で定められている“解雇等を行う場合には解雇日から遡り30日以上前に当該社員に対して事前に通知しなくてはいけない”とある。これは、不当解雇などを防ぐためにきちんと双方で合意の上で解雇をすることを求められている。しかし、ここで見落としがちなのは“解雇を行う際の実行条件”があるということだ。
まず解雇できる条件として“社内規定等で定められている就業規則などにおいて懲戒処分相当の犯罪等を起こした場合”、“会社の経営の悪化により、リストラ等で社員を解雇しなくてはいけない状況にあるとき”など本人が犯罪を起こすことで会社の損益につながる可能性がある場合や会社の経営を立て直すためにリストラなど法律で認められている人員整理を履行(実行)する際にのみ企業側に認められている権利であり、解雇する理由にもよるが、賃金の支払いなどの契約事項に対して契約内容の遵守が求められる。
しかし、不当解雇の場合は場合によっては賃金未払いが発生しているケースや法的拘束時間以上働いた分や労働基準法で決められている残業の月上限を差し引いてあたかもその時間は働いていないことにしてしまうケースも多い。
私自身も似たような経験を何度もしてきた。(中には未遂で終わったものもある)そのため、このような経験をした後は会社に対して信用することが出来ない時期もあった。そして、解雇された際に未払い賃金や不当天引きなど法律での禁止事項をやられて泣き寝入りさせられたこともあった。
このように、企業などで起きている問題に対して相談をする事が出来ない社会風潮が企業優勢の社会を作っていり、この事に対する不満が被害に遭った当事者たちの企業などの組織に対する不信感を生んでいることは否めないだろうし、そういう事が起きている事実を確認しているにも関わらず、その状況を改善するために必要な法整備や当該企業に対する行政指導など再発防止に向けた対策が厚生労働省などを始めとした諮問機関が行わず、放置してきた結果、雇用されて不当解雇された側の個人が“社会からきちんと守られている”という自分の存在意義や労働感覚が薄れ、再就職をしたくても行動に移せない人、就職を諦めてしまう人、自殺をしてしまう人など自ら社会との距離を置こうとする人が増えている
その結果、企業などで人手不足が発生することの要因の1つとなっていると推測している。
そして、日本というのは“実績主義”・“結果主義”・“合理主義”などお互いに利益になる事を相手に望む傾向が強く、“自ら損をしたくない”、“失敗をしたくない”など言ってしまえば“自分たちで1から育てるのではなく、可能な限り完成品しか受け入れない”という思想が大多数を占めているような印象だ。つまり、このような考えの人たちは自分たちに何か得がないとチャンスがないと言われているようなものだろう。
これではこれからの日本における経済格差はかなり顕著になり、場合によっては中間所得層が薄くなり、低所得層が増加することで更なる形骸化の一途を辿りかねないと思っている。
そして、現在は1つの職業に固執しなくてもたくさんの職業が存在し、それぞれの職業で活躍している人も増えてきている。そのため、これらのように今までとは別の道を選択することも出来るのだが、その一歩を踏み出すにはかなりのエネルギーが必要になり、人によっては過去に受けたトラウマ等を克服する必要があるのだが、これらを克服するためにアルバイトなどを自分で探して働こうとするのだが、すぐに辞めてしまう人がほとんどだ。
その理由を調べた情報の範囲で分析して見ると、一番多かったのは“偏見や罵倒”だった。私が調べた内容の中には「お前みたいなやつ(あなたのような人)とは働きたくない」、「こんな簡単なことも出来ないのによく働こうと思ったね」などその人に対して“社会人経験があるからこれくらいは出来ていて当たり前”という先入観がこのような言葉を相手に言ってしまうのだろう。
次に“過剰な人材選別による人材採用の在り方の偏向化”が挙げられる。
これは、私が就職活動をしていた大学3年生から4年生にかけての話しだが、私は航空系の会社に入って仕事をしたいと思って志望企業が出ていた合同説明会に参加したことがある。その会場には有名企業が多数参加していて、その企業のブースもかなり豪華だった。しかし、説明会を聞いた後にある違和感を覚えた。それは、“採用者出身大学一覧”や“採用実績のある大学一覧”など“その会社には入れるのはこの大学の人だけですよ!”と言われているようなページがあったことだ。
これを見て、当時の私は「出身大学がなんで重要視されるのか?」・「この一覧は何を意味しているのか?」と疑問に思った。
そして、個別分析やニュースなどの記事分析などをして分かった部分があった。それは“企業が取引先などの相手に対して自社の社員イメージを落とさないため”という事が1つ分かったのだ。つまり、ある程度のレベルの学校からしか採用をしない理由として“私の会社はこれだけ素晴らしい人材がたくさんいるので信用してください”と相手に良い人材がたくさんいることをアピールすることで仕事の幅が広がっていくと思っているからだろう。
確かに、利益を重視する、実績をたくさん作りたいと思っている企業にとっては良い人材が揃っている企業と取引が出来るというのはまたとない話しだ。そして、そのような企業を取引先として持っていると学生に対しても新規取引を希望する企業に対しても良い会社のイメージを与えることが出来るメリットがある。
私は人材選別をすることは会社を経営する上では大事な事だとは思っているが、フラットな採用活動ではなく、“こういう人だけしかいらない”という限定的な採用活動を展開することで”働きたくても働けない“という人が増えていってしまう要因につながり、個人所得の向上にもつながっていかないのだ。
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