第22話

「は?」


診察に来た専属の医者の思わぬ言葉に、アレーヌの母であるカレンが間抜けな声を上げる。


「じょ、冗談よね?」


「残念ですが……間違いないかと」


医者から告げられたのは病気ではなく……妊娠おめでた

本来ならそれは喜ばしい事の筈なのだが、彼女に関しては、それは外部に知られれば死刑宣告にも等しかった。


何故ならカレン・ビ・アクセレイは、この数年夫であるジェラルド・ビ・アクセレイ侯爵と遠く離れた場所で生活し、顔すら合わせていないからだ。


出来る筈のない状況の妊娠は不義密通——それはまさに不倫の動かぬ証拠。


まあ不倫だけなら金銭的なやり取りで済ませられる程度の問題ではあるのだが、妊娠したとなれば話は変わって来る。

何故なら、血の繋がりを重視する貴族社会において、家門の乗っ取りに繋がる不義の子を宿す事は重罪に当たるからだ。


「そんなはずがないわ……」


カレンの顔が見る間に真っ青になっていく。


それもそうだろう。

カレンの実家であるブレイス侯爵家は、嫁ぎ先であるアレクセイ侯爵家に並ぶ名門中の名門だが、それ程大きな後ろ盾があっても露見すれば離婚程度では済まない。


良くて、名を捨て教会で一生を神に仕える身か。

最悪、長期の投獄もあり得た。


それは侯爵令嬢、そして侯爵夫人として優雅に生きて来た彼女からすれば地獄に等しい環境だ。


「私はちゃんと薬を飲んでいたし……グランだって……」


そうならない様。

自身は元より、相手のグラン・レイバンも避妊薬を服用して来た。

カレンからすれば、完全に理解不能な状態と言えるだろう。


「まさかグランが……いえ、それはないわ。そうなったら、彼だって……」


カレンは一瞬自分の愛人を疑うが、直ぐにそれはないとその考えを振り払った。


カレンが妊娠した場合、環境的に考えて相手がグランである事は一目瞭然である。

言い訳のしようもないだろう。

そして侯爵家の血族ですらないただの騎士が侯爵夫人を妊娠させた事が発覚すれば、待っているのは確実な極刑。

そんな彼が、避妊薬の服用を止めて意図的にカレンを妊娠させるなどある筈もない。


「なんで……どういう事よ……意味が分からないわ!」


「奥様。落ち着いてくださいませ」


前任の婦長が更迭され、新たに婦長となった年配の女性が慌てふためくカレンに落ち着いた声をかける。


彼女も長い間カレン――ブレイス侯爵家に仕えて来た忠臣の一人だ。

前婦長が切り捨てられている様を間近で見てはいるが、そもそもそれは本人のミスであるため、彼女のカレンへの忠誠に揺るぎはない。


「落ち着けですって?これが落ち着いていられる訳ないじゃないの!」


「出来てしまった者は致し方ありません。問題はどう対処するかです。物事などという物は、知られなければ無いのと同じ。違いますでしょうか?」


「は……ええ……ええ、そうね。私とした事が、つい慌ててしまったわ」


婦長の言葉の意味を理解し、カレンが落ち着きを取り戻す。

ハッキリ言って、間抜けな失態を演じた前婦長に比べて彼女は優秀だ。

今まで後塵を拝していたのは、単に生家の力関係の為である。


「先生も、私の言葉の意味を理解して頂けますね?」


「む……もちろんです」


「では……奥様はている様なので、よく効くをよろしくお願いしますね」


当然求めているのは風邪薬ではない。

堕胎用の薬だ。


「しかし……よく効く薬には副作用がございまして。そちらの方は宜しいでしょうか?」


「……」


医者は話を進めている婦長にそれを尋ねたが、彼女はそれには答えず黙ってカレンの方を見た。


提案も進行も、必要ならば諫めもする。

だが、最後に決めるのは自らの主であるべき。


その事をよく理解している彼女は、自分の領分を超える様な出過ぎた真似はしない。


「生活に支障が出る程なのかしら?」


「数日、熱で寝込むくらいだとは思います。ですが、場合によっては妊娠機能に問題が出る可能性がありまして……」


堕胎薬は子宮に作用する薬であるため、使えば深刻なダメージが発生する恐れがある。

その手のダメージをポーションや魔法で回復させられるとは言え、デリケートな部分であるため、後遺症によって不妊に陥る可能性は高い。


「そう、それなら問題ないわ。よく効く風邪薬を処方して頂戴な」


侯爵夫人として妊娠を避けて生活するカレンにとって、今後出産が出来なくなる事はさした問題ではない。

医者もそれは理解していたが、説明もせず侯爵夫人に後遺症が出れば、最悪自身の首が飛びかねない為わざわざ確認したのだ。


「畏まりました。では、今日の所はこれで失礼します……」


医者が一礼してから出ていく。

その姿を見送ってから、婦長は普段から重宝している従事の女に命令を下した。


「騎士達にあの医者を見張らせなさい。もしおかしな動きをする様なら、殺してしまっても構いません」


――と。


秘密の保持のためならば、貴族やそこに仕える彼女達は平気で人を殺す。

なのでその行動は徹底されていた。


だが彼女達は知らない。

秘密云々以前に、カレンのお腹の中にいるのは胎児ではなく、薬など効かない化け物である事を。

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