01 軽音部なんか ②

「あ、ところでお二人さんさ」小桜は、ふと思い出した、というようにピタッと手のひらを合わせた。「前に、オリジナルの曲を作ってるっていう話、してなかった?」


 してないと思う。いや、正確には、小桜に聞こえるように話した覚えはない。できればあまり知られたくなかったことなのだが……。


 どこから漏れた情報かはひとまず置いておくとして、この場はなんとかお茶を濁してしまいたい。


「ああ、そのことなら——」


「完成したぜ」


 いつのまにか痛みから回復していた菊井が前のめりになって言う。どうやらこいつは、俺の癇に障る言動を率先して行うようにプログラムされているらしい。


 小桜は、一瞬パッと顔を輝かせてから、一転しおらしい態度になって、ねだった。


「きくちゃん、それって、聴かせて欲しいって言ったら、ダメなのかな?」


 これが俺の恐れていた事態だ。


 そして、これまでの流れからもうわかる。きくちゃんの返事は——。


「いいに決まってる。曲は聴かれるために書かれるんだ」


 言い終わるより早く彼は立ち上がり、OBたちが遺していったバンドスコアばかりが積まれた棚の下段から変換ケーブルを取ってくると、自分のスマートフォンとアンプを繋げた。あろうことかこの男は、初めて自作した俺たちの音源を大音量で垂れ流すつもりのようだ。


 はあ……。


 もはや制止する気力さえも失せてしまった。こうなればもう、腹を決めるしかない。


 俺がこの曲を小桜に聴かれたくない理由はいくつかある。


 一つに、ボーカルを担当したのが俺だということ。これは、まあいい。上手ではないが、何度も録り直した甲斐あって、それほど音痴には聞こえないはずだ。


 一つに、歌の録音環境が良くないため、音質にやや難があること。これも、まあしょうがない。金銭的にどうしようもなかったことだし、アンプから再生するぶんには問題ないレベルだろう。


 こうして順に潰していけば、大抵のことはなんとか気持ちの整理をつけられそうな気がする。が、一つだけ、どうしても耐え難い理由があった。


「なあ、やっぱり人に聴かせるのはもう少し——」


「よーし、準備はできた」菊井は聞く耳を持たない。「作曲、アレンジ、打ち込み、その他もろもろを担当したのが、俺、菊井剣太郎。ボーカル、そしてを担当したのは、我が心の友、藤坂悠希くんだ。——それではお聴きください、『Sing Alone』」


 退屈繰り返す日々に求める温度 刺激

 抑圧ばかり自分を騙しきれない

 甘い世迷い言でいいのさ

 心を鼓動を乱して

 衝動 理論なんていらない

 思いのまま歌えば

 つたない音も伝えたいから

 響け! 僕のSinging Alone


 曲が終わると、一小節分の静寂が部室を満たし、それからパチパチと拍手の音が鳴って、僅かに反響した。


「すごーい……」


 小桜の顔に浮かんでいたのは、純粋な驚きの表情だった。


「これ、メロディも、楽器の伴奏も、全部二人でやったの?」


「いや、それは全部俺だ。『曲』そのものに関しては、藤坂には指一本触れさせてないからな」


 アンプのゲインとボリュームがゼロになっているのを確認して電源を切りながら、菊井は得意げに言った。


 いいぞ、菊井。そのまま小桜の注意を『曲』に引きつけておいてくれ。願わくは、俺の仕事に目を向けさせないでくれ——。


 しかし、祈り虚しく、ひとしきりの感想を述べた小桜は、くるりとこちらを振り向いた。


「ふじくんの歌もかっこよかったよ! それに、歌詞も!——ていうか、ふじくん、作詞もできちゃうんだ」


「う……」


 ついに触れられてしまった。


 小桜は優しいから良かったと言ってくれるが、そんなのは当然、お世辞だ。


 わかっている。この歌詞が、聴く者をむず痒い気持ちにさせる類のものだということは。


 わかっている。つい数週間前の創作が、早くも黒歴史と化しつつあることは。


「できるというか、菊井に強いられて、初めてやったというか……」


「えー、初めてとは思えないな。韻踏んでるとことかあったし」


 もう無理。


 いたたまれなさが限界を突破した俺は、露骨に話題を逸らすことにした。


「そ、それよりさ、もう一年生が部活見学を始める時間じゃないかな」


「あーほんとだ」小桜はいとも容易く誘導に乗ってくれた。「なんならもう十五分も経っちゃってるね。やっぱり、新入部員はなしなのかな」


「小桜は、一年生が来るの期待してた?」


「うん。だって、部活に後輩が入ってきたら、わたし先輩になったんだなーって、実感できるような気がして」


 なんともピント外れな答えだ。しかし同時に、いかにも彼女らしいその考えに、俺はなんだか笑いが止まらなくなってしまった。ストレスから解放されたせいもあったかもしれない。


 言った本人も一緒になってころころと笑う。


「えへへ、こんな日常をもう一年過ごすのも、きっと悪くないね。——あ、でも、もし今年も来年も部員が増えなかったら、軽音部は廃部になっちゃうのかな」


「校則によると」菊井がつまらなそうに口を開いた。「部活動が存続するためには、最低でも部員が五人、三年生が引退してから新入生が入るまでの期間は最低三人、ということになってる。俺たちの代は四人しかいないから、来年には廃部だな」


「なんでお前はそんなことに詳しいんだよ」


 俺がツッコミを入れると、彼は飄々として言い放った。


「ルールを知らなきゃ、その抜け穴は探せないだろ」


 こいつは法の目をかいくぐって詐欺師にでもなるつもりだろうか。


「にしても、廃部か」俺は周囲を見回した。「この部屋が使えなくなるのは困るな」


「別に困りゃしねえよ、部屋が必要なら俺の家に来い。俺たちはもうロックのやり方を知ってんだから、こんな部活に用はないさ。いやむしろ、軽音部なんか、廃部にしてやれ」


 菊井は吐き捨てるように言った。気持ちは痛いほどよくわかる。


 そんな俺たちのやりとりを聞きながら、小桜はなぜかニコニコとご満悦の様子だった。


「何がおかしいんだ」


 つっけんどんに菊井が訊くと、彼女はますます破顔した。


「だってさ、廃部の危機っていうと、なんか、物語が始まりそうって感じ、しない?」


 そうだろうか。


 わからなくはない気もするが……。いや、自分たちが廃部を望む立場というのは、やっぱり逆なんじゃなかろうか。などと考えていると——。

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