01 軽音部なんか ①

「なーにが、ウェルカム・トゥ・キヨオカだ」


 機材の撤収を終えて部室棟へ向かう途中、菊井きくい剣太郎けんたろうは呆れたように言った。さっきのライブでドラムを叩いていた男だ。


「しどろもどろだし、意味不明な自己紹介はするし、ダサいにもほどがある」


「うるせあな……」


 正直、自分が何を口走ったかよく思い出せない。俺は人目に晒されるといつもそうだ。


「そっちこそ、曲の展開を間違えてたじゃないか」


 やり返すと、菊井は渋い顔をする。


「仕方ないだろ、昨日の今日なんだから。お前の好きな曲に付き合ってやったんだ、文句を言うな」


 昨日の今日、と菊井が言ったのは誇張ではない。新歓ライブに出ることが決まったのが二日前、曲を決めたのはつい昨日のことだ。練習する時間がなくても大好きなマイケミの曲ならなんとか……という情けない俺の案を聞き入れてもらったのだから、彼の主張はもっともだ。


「ごめん、そうだった」


 俺は、隣を歩く友人をまじまじと見た。菊井は高校二年の男にしては身長が低い。顔つきも中性的で、全体的に幼い印象を受ける。が、その外見とは裏腹に、性格はまったく可愛くない。


 菊井とは中学からの仲だが、俺はいつもこいつに振り回されっぱなしだ。ロックの趣味を押し付けられ、ギターを買わされ、高校では軽音部に入部させられ、そして今に至る。


 あれ、そもそも俺にマイケミを教えたのは菊井じゃなかったか? なんだ、謝って損した気分だ。


「新入部員、来なさそうだね」


 グラウンドへの短い階段を下りながら言う。


「だろうな。ぐだぐだの演奏で、しかも洋楽を聞かされて。普通の一年生なら敬遠するだろうし、それが正解だよ」


 おっしゃる通りだ。クオリティは最低だったし、選曲もコアで、知っている人がいたとしたらそれは大人——教師だけだろう。


「……でも、楽しかった」


 独り言のように呟くと、菊井は静かに同意の頷きを返した。


 新歓ライブ、と呼べば聞こえはいいが、実際は今日一日かけて行われている新入生歓迎会の、部活動紹介コーナーのほんのひと幕だった。軽音部に与えられた時間は、転換も含めてたったの十分間。演奏できたのはたったの一曲だけだ。


 しかしながら、俺にとって——おそらくは菊井にとってもだが——新歓ライブは人生で初のライブだった。前置きで何を話したかは覚えていなくても、前奏が始まってからのことは脳裏に焼きついているし、きっと忘れられない。


 軽音部に入部してから今日までの一年間、俺と菊井は、ライブはおろか、まともにバンドを組んだことすらなかった。何故かというと、それは軽音部の体質に問題があるからだ。


 清丘高校は音楽系の部活動が盛んで、特に、マーチングバンド部とジャズ研究会は歴史が古く、コンテストでの受賞経験も多い。それらと比べて軽音部は、十年前に設立されたばかりの若い部活動であり、かつ、特にこれといった成績を残してきたわけでもない。相対的に立場の低い軽音部は、練習場所も時間も限られてくることになる。すると部員たちが考えるのは、限られた資源のうちの自分の取り分を多くすること、つまり、バンドの数を減らすことだ。


 だからバンドを組めない一年生を放置する、なんていうのは筋の通らない話だとは思うが、残念ながらそれが軽音部の現状だ。


 部室棟の前まで来ると、陸上部員が走り高跳びのマットとバーを運び出しているところだった。部室棟はグラウンドに隣接していて、一階部分は運動部や体育の授業で使う器具庫、その隣がシャワー室になっている。部室があるのは二階と三階だ。


 俺たちは「一度でいいから高いところから跳び乗ってみたいよな」などと軽口を叩きながら、分厚いマットの脇をすり抜けて階段を上り、部室へと向かった。


 部室とはいっても、せいぜい四畳しかないような狭い部屋で、ほとんどの部活は備品置き場として使っている。メインの活動場所にしているのは俺たちくらいだろう。軽音部の先輩たちも少しは気を使ってか、ほとんど訪れることがないので、半ば俺たちの秘密基地と化している。


 三階の一番奥にあるのがその部屋だ。職員室に鍵がなかったから、きっと、もう彼女は来ているはず……。


 ドアノブに手をかけると、やはりすんなりと開いた。


「あー、やっと来た。遅いよ、二人とも」


 窓際に置かれたVOXの練習用アンプの横に、大仁おおひと小桜こはるはちょこんと座っていた。照明をつけてもなお薄暗い部屋の、彼女のいるあたりだけ、少し明るい。


「遅い、じゃねえぞ。俺たちに力仕事押し付けといてよ」


 菊井は持っていたドラムのスティックを投げつけるまねをした。


「だって、キーボードだけでもわたしにはけっこう重いんだもん」


「だってもへちまもあるか、カマトトぶりやがって、うっ……」


 脇腹に正拳突きをお見舞いして黙らせた。


「こいつの言うことは気にしないで。それより、今日はありがとう」


 小桜は、何についてお礼を言われたのかわからない、というように小首をかしげた。


「その、一緒にライブをやってくれたこと。俺と菊井だけじゃ、きっと無理だった」


「そんなの当たり前のことだよ。わたしだって軽音部の部員だし、仲間じゃん。……ていうかむしろ、わたし、足引っ張ってなかった? 音の切り替えとかで、いっぱいミスしちゃったかも」


「全然、そんなこと……。小桜がいたから、なんとかなったようなもので」


 あの曲をやるにはそもそも人数が足りていなかったのだ。それらしく再現するためには、最低でも、ドラム、キーボード、ベースに、ギターが二本は必要になる。それでも、小桜が複数の音色を同時に演奏してくれたおかげで、かろうじて曲として成立していた……という意味のことを伝えたかったのだが、どうも俺はとっさの言葉選びが上手くない。


「でも、ふじくんの歌はすごい上手だったよ」


 小桜がふにゃっと笑うと、俺はますます何も言えなくなって、アンプを挟んで反対側の椅子にすごすごと腰を下ろした。


「ギターの方を褒めないあたり、大仁は聴く耳があるな」


 菊井が左脇腹を押さえながらもふらふら寄ってきて憎まれ口をたたくので、今度は右に拳を入れてやった。


 俺と菊井の二人だけだったこの秘密基地のメンバーに、小桜が加わったのは去年の冬のことだった。もともとはジャズ研のピアニストだったらしいが、何故か辞めて軽音部にやってきた。幾度かその理由を訊いてみたことがあるのだが、そういうとき、彼女は決まってはぐらかした。「やっぱ、スウィングとかよくわかんないや」などと言って。


 栗色の地毛を緩くカールさせたボブスタイルの髪。ふっくらした涙袋が印象的な目元。優しい声質や、どこがどうとは言わないが体つきも含めて、全てがふわふわとした柔らかい雰囲気をまとっている。


 彼女が入部してから、俺にとって暇を持て余すばかりだった部活の時間が、ちょっと待ち遠しくなったのは言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る