第22話 叶恵

 

 「あー、楽しかったー……」


 「……そうだな」


 水族館から出ると、空はオレンジ色に染まっていて、入った時と違う景色に時間が経ったのだなと実感する。

 楽しかったと言葉では言っているが、心の中は喪失感でいっぱいだ。


 「んー!、疲れたー!」


 そんな喪失感を誤魔化す様に、私は思いっきり背伸びをする。


 「……ちょっと休憩する?」


 すると、洋介からそんな提案をされた。確かに長い時間立ちっぱなしだったから、何処かで座りたい気分だった。


 「……うん、……あのベンチが良い」


 そして、私がそう言って指差したのは、子供の頃に私がソフトクリームを落としたベンチ。洋介も何か察してくれたのか、何も言わずにそこまで歩き、二人座って一息つく。


 「いやー、疲れましたなー」


 私はベンチに座ると、寂しい気持ちを誤魔化す様にそう言った。


 「ははっ、随分とはしゃいでたからな」


 洋介も笑ってそう返す。口調は笑っているが、雰囲気はしんみりとしていた。


 「この水族館。最初っていつ来たんだっけ?」


 「覚えてねーよ。母さんが言うには物心付く前から来てたらしいからな」


 「そっか。そんな昔から来てたんだ」


 と言う事は、この水族館も洋介と同じくらいの付き合いと言う事だ。

 そう思うと、何だか不思議な気持ちになってくる。


 「覚えてる?ここで洋介が私に言ったこと」


 「?、ソフトクリームを落とした時?」


 「そう。そん時、大泣きしてた私に洋介が面白い事を言ったんだよ?」


 そしてこのベンチは、ソフトクリームを落とした他に、私の中で忘れられない、洋介が言った言葉があった。


 「……恥ずかしい事言ったんじゃないの?」


 洋介は思い出せない様だが、私の表情を見て何か嫌な予感でもしたのか、妙な顔をしてそう聞いてくる。


 「あははっ。恥ずかしいって言うか、子供らしいって感じかな?あの時の洋介、"結婚してあげるから、頼むから泣き止んでくれ"って言ったんだよ?」


 「……そんな事言ったかー?」


 「言ったよ。絶対」


 なんとも締まりの悪いプロポーズだが、私はハッキリと覚えていた。

 恐らくその時の洋介は深く考えず、その場凌ぎでそんな事を言ったのだろう。

 それでも、当時は嬉しかった。


 「もう、ここでプロポーズもされなくなっちゃうねー」


 「ばーか、そんな予定ねーよ」


 私が揶揄う様にそう言うと、同じく洋介から馬鹿にした様な返事が返ってくる。

 なんとも心地の良いやり取りだった。


 そして、少しの無言。しみじみと、懐かしむ様にベンチから水族館の外観を見つめていると、出入り口から2人の子供が出て来た。

 1人は、元気な感じの5、6歳の男の子。もう1人は、これまた同じくらいの歳の少し大人しそうな女の子だった。

 そして、その後ろから2人の両親であろう人物達も続いて出て来た。


 「楽しかったー!!」


 「うん、また来ようね!」


 男の子と女の子は仲がいいのか、じゃれ合いながら歩いて行く。

 幼馴染なのだろうか?その光景は昔の自分たちを見ている様だった。



 ____そしてそれが引き金となり、私の中で我慢してた何かが崩れた。


 

 「……ああ、ダメだ……」


 鼻の奥がツンとし、いくら押し込もうとしても、溢れるものが抑えられない。


 「……うぅっ、……グスっ……」

 

 今まで我慢してきた分、涙が止まらなかった。必死に押さえ込もうと、慌てて服の袖で涙を拭うが、全然間に合わない。


 もうこのベンチからの光景は見れなくなる。もうあの陳腐なアシカショーも見れなくなる。



 洋介との思い出が詰まったこの場所は、もうあと数日でなくなってしまう。



 受け入れてしまうと、どうしようも無く、自然にボロボロと涙が出てきた。

 この気持ちを何と言うのだろうか?悲しみとも、切なさとも、無念とも言える感情。

 いろんな感情がごちゃごちゃに混ざり合い、それが目から溢れ出していた。


 「………」


 すると、洋介は無言で私の手を握って来た。私もそれに応えて、彼の手を強く握り返す。洋介のその優しさは、さらに涙を流すには充分すぎる効果を持っていた。


 「はぁっ……ズズっ……うぅ……」

 

 絶対に泣かないと決めていた時ほど、人はその反動で泣くのだろう。

 今の私は、泣きすぎて鼻水も出る始末。


 結局、私はその場で、ずっと洋介に手を握られたまま、しばらく泣き続けてしまった。

 

 

 

 

 

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