第10話 叶恵


 「暑くない?」


 「全然。ちょうどいい」


 洋介にドライヤーの風を当てられながら、ブラシで髪をかされる。

 時折、気持ち良過ぎて変な声が出そうになるのを、グッと堪える。

 私が後にお風呂に入った理由。それは、私が先に入ると、入れ替わりで洋介が入る形になり、自分で髪を乾かさなきゃいけなくなるからだった。

 洋介の家でお風呂に入ると、決まってこの様に髪を乾かしてもらう。

 最初は小学生の頃だっただろうか。当時からお節介だった洋介に、髪を乾かしてあげると言われて、されるがままにジッとしていた事を覚えている。

 しかしそれが何故だかクセになり、今度はお風呂に入る度に私がねだる様になった。


 「あぇー……やっぱ上手いねぇー……」


 性格通り丁寧な手つきで、洋介は私の髪を梳かして行く。それがまた心地良く、回数を重ねる度に気持ち良くなって、うつらうつらと眠くなって来るのだ。

 だからこうやって、情けない声が出るのも仕方の無い事なのである。


 「将来は美容師さんにでもなったらー?」


 私はテキトーにそんな事を言う。恐らくそうなったら週一で通い詰めるだろう。

 しかし、それでは他の女の髪を触ると言う問題が出てくる。それに、下手をすれば行きつけのお客さんと恋仲になるなんて事も……


 「お前以外の女の子の髪なんて触んねーよ」


 しかし、それは杞憂に終わった様だ。私の心を見透かしたの様に、洋介はそう言い放った。

 

 「………そっかそっか」


 恐らく、その言葉は意識して言ったものでは無いだろうが、私は飛び上がりたくなるくらい嬉しくなる。

 それってつまりお前以外の髪の毛は触りたく無いと、言っている様なものではないだろうか?

 洋介の視点から、私の表情が見えないのは幸運だっただろう。こんな緩み切った顔は、絶対に見せられない。




 「……あ、この芸人さん見た事ある」


 私はそんな感情を誤魔化すかの様に、話題をテレビに振る。このまま無言では嬉しさと恥ずかしさでどうにかなりそうだった。


 「最近よく見るな。そんなに面白いか?」


 テレビの映像にはコント番組の様なものが映し出されている。

 洋介はあまり好きでは無いのか、微妙な声色でそう言った。


 「……うーん、そこまで」


 しばらく見てみるが、洋介の言う通りそんなに面白い訳でもなかった。しかし、それが逆に熱くなっていた心を冷ましてくれる。

 今画面の前で滑り倒している芸人さんには失礼だが、心の中で礼を言っておこう。


 「何か昔の方が、お笑いって面白い様に感じなかった?」


 「何おばさんみたいな事言ってんだ。今だって面白い人はいるだろう?」


 「……そうかなぁ……?」


 その後はそんな他愛もない話をする。うん、大丈夫。いつも通りに戻れた様だ。洋介も違和感を感じていない。


 洋介には、私が恋心を抱いている事を悟られてはいけない。


 それは私が洋介に甘える上で絶対に決めている事だ。

 もしこの恋心がバレたら。

 もしそのまま恋人にでもなったとしたら。

 

 そしたら、こうして甘えられなくなるかもしれない。

 ありきたりな話だが、関係が変わる事によって、今までみたいに接してもらえなくなるのが怖いのだ。


 「おっし、こんなもんだろ。叶恵もこれで良いか?」


 「うん、いつもありがとうございますー」


 髪を乾かし終え、私はいつものように軽く、ひょうきんに礼の言葉を述べる。

 雰囲気を出さず、あくまで美容室のお兄さんに礼を言う様に。


 「この後はどうする?」


 「うーん、じゃあ、あの漫画の続きでも読もうかな?」

 

 正直、漫画なんぞどうでも良い。洋介と一緒に居られる口実を作っているだけだ。

 だが、それを直接口に出す事は叶わない。

 私のこの気持ちが知られたら。今まで通りには行かなくなる。こうして髪を梳いて貰えなくなるかも知れない。


 「あだだっ。足痺れた!!」


 「あはは!変な歩き方になってんじゃん」


 だからこそ、私は洋介の前でズボラな性格を演じるのだ。

 

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