龍造寺政家は花見の席から除外される

 期待したボクが馬鹿だった、とでも言う訳?




「勝茂が家康公の養女を娶るとか」


 高房にはそんな話はない。養女とは言え娘は娘だから、これで勝茂は家康の娘婿って事になる。



 あの関ヶ原以来、家康はこの国の最高権力者になっていた。それの娘婿となれば勝茂の権威はさらに大きくなる。

 一方で高房の妻は直茂の養子の娘、つまり直茂から見れば高房は義理の孫、勝茂から見れば姪婿、どう考えても直茂・勝茂親子より目下の関係じゃないか!

 そんな縁談を持ちかけたのはもちろん家康だ、つまり家康はこの縁談の結果を承知していたって事だ。これで龍造寺の元にあった権力はますます鍋島家に吸い上げられて行く事になる。



 家康にこの現状を訴えかけてみないのか?少し考えてみればそれが無駄だってわかるでしょ、直茂の事を龍造寺家を好き勝手にしている逆臣だって家康が思っているのなら、自分の養女を嫁がせたりするわけないもの。

 要するにだよ、働き盛りと言っていい三十六歳のボクを隠居させた上に朝鮮出兵に際してボクを無視して直茂に軍役を命じた秀吉だけじゃなく、家康もまたボクら親子の味方なんぞしてくれないって事だ。


 ボクの味方ってどこにいるの?


 家信も信周叔父上も長信叔父上も家晴も、みんな直茂がこの龍造寺家を好き勝手にしている事について何の疑問も差し挟もうとしない。

 家信、直茂が好き勝手にしているのならば斬り捨てますとか言ったのはどこの誰?これが好き勝手にしてないって言うの?

 全ては過去の事だって言うのかい?父上が築き上げた栄光も繁栄も、あの沖田畷から十幾年が経った今過去の栄光だって言うの?父が築いた龍造寺家をボクは受け継ぐ事ができず、父上一代で雲散霧消したって言うの?

 いや、そんなはずはない。確かに龍造寺家は父の死と共に大きく縮んだけど決して滅んだわけじゃない、でもボクはその龍造寺家を名目的にしか受け継げていない。


 なんで息子のボクじゃなく、重臣に過ぎない直茂が実質的に受け継ぐ事になった訳?直茂も一応龍造寺の一族だけどさ、ボクを差し置いて龍造寺家を手に入れようなんて図々しいにも程があるよ。

 大体、ボクや高房がいなくたって直茂にお鉢が回って来るほど龍造寺家は人材に餓えちゃいないんだよ。ボクの弟の家信、叔父である家信に信周、遠縁の家晴、みんな紛れもない龍造寺の一族だ。

 ボクと高房が死んだって、この内の誰かが龍造寺の当主となって政治を執るのが不可能だって言うのかい?と言いたいけど、四人ともなんかもう当主は鍋島家でいいやって雰囲気になっちゃってる。

 面倒事は直茂にやらせてるからって言えば体はいいけど、現実は直茂の命令をボクらが聞く立場になっちゃっている、完全にあべこべだ。そして、家康を含め世間の人間はこの異常事態を何とも思っていない。

 下剋上?確かに龍造寺家も少弐家を倒して大大名になった家だけど、そんな事が同じ家の中で二回も起こってたまるか。

 何、毛利は大内家を奪った陶晴賢を破って大大名になった家だって?大体下剋上って言うのは毛利にせよ斉藤道三にせよかつての権力者を殺した血みどろの手によって得られた結果で、乱世ならではの悪習であって仕方がないと思われているにせよ決して肯定されるほどの物じゃないはずだ。真っ赤な血で染まった手で握られた権力に人々が靡くはずもない。

 お前の父はいいのか?父の場合は、先に向こうが龍造寺一族の多くを惨殺するような真似をした事が悪いんだよ、仇討ちの何が悪いの?悪いって言うならばもう聞く耳は持たないよ。


 直茂の場合、龍造寺の人間の返り血をまるで浴びていない。いやボクは家種の返り血を浴びたと思っているけど、それに賛同してくれる人間は誰もいない。この目で見ていない以上、思い込みの烙印を押されても仕方がない。

 つまり、直茂が今権力をつかんでいる手を血塗られた手と言うのは無理があると言う事になる。綺麗な手で権力をつかんでいる人間を非難する理由はない。その権力を使って汚い事や馬鹿な事をやっていればともかく、直茂の政治は腹が立つくらい清廉潔白で、その上呆れるほどに見事だ。

 要するに世間が直茂を非難する理由は何もないって事になる。その上でいい政治を行えば信望が集まって来るのは当たり前だ、しかしそのいい政治を行うのは直茂であってボクや高房じゃない。結局その信望は直茂に来て、ボクら親子には来ない。

 その結果直茂の存在はますます肥大化し、反比例するかのようにボクら親子の存在は薄れて行く。そしてその直茂を非難しても徳政を行っている人間に何をすると言わんばかりに誰も耳を貸してくれない。

 あるいは直茂に適当な罪をなすりつけるなりしてボクが直茂を誅殺しようものなら、それこそ乱心と言われて龍造寺家そのものがぶっ潰れるかもしれない、いや潰れるだろうね。ああ、もうなんか完全に八方ふさがりだ。





 そして関ヶ原から七年、江戸幕府を開いて征夷大将軍様になった家康はわずか二年でその座を息子秀忠に譲り渡して、天下の権力はもはや永遠に徳川家の物であると言わんばかりの振る舞いだ。

 そして、秀忠が二代目征夷大将軍になった結果勝茂はとうとう将軍の義兄弟になってしまった。当然さらにその力は増し、しかも腹立たしい事に親父の直茂はまだ生きている、もう七十にもなる完璧な翁だって言うのに。


 そう言えば、高房はもう何年肥前に帰って来ていないんだろう。幕府が成立した前後から高房は江戸城で働いていたけど、それって端的に言えば人質だ。御家の当主が人質になるだなんてそんなのがある?

 ボクならばまだわかるよ、隠居人だから。高房はもう十五年以上前から龍造寺家の当主なんだよ、その当主が肥前にいないのに誰に龍造寺家、いや肥前を取り仕切れって言うんだよ。

 高房には弟がいるけどさ、まさか二十二歳の高房を隠居させようと言うんじゃないだろうね。ボクと違って体に問題がある訳じゃない高房を隠居させるなんてできる訳がない、それこそ天と地をひっくり返す様な暴挙だ。


 そう言えば高房に男の子がいたような話を聞いたような聞かないような……ってだとしてもその子は文字通りの乳飲み子で高房以上に、いや五歳だった高房が家督に据えられた時点で相当に無理があるけどそれ以上の無理矢理だ。

 それに、そんな事をして家康に何の得があるって言うんだか、意味が分からない。直茂も直茂でそんな異常事態を何とも思ってないのか、って何とも思ってないんだろうね、自分が代わりに人質になるから高房を肥前に戻してくださいとか言わないんだから。このまま主の事を蔑ろにするって言うのなら、何が起きても知らないからね。







※※※※※※※※※







 ————ほら見ろ。悲しいとかなんでとか言うより、真っ先にその言葉が出てきた。








 直茂の専横に憤り、そしてその憤りに誰も賛同してくれない現実に絶望した高房がいよいよ最後の手段を取っちゃった。




 高房は直茂の養子の娘つまり自分の妻を刺し、そして自分も死のうとした。要するに無理心中を図ったんだ。


 結果、高房は一命を取り留めたけど妻は死んだ。


 これって一体誰のせい?どこからどう見たって直茂と勝茂父子のせいじゃないか。

 龍造寺家の家臣の分際で主であるボクら父子の事を置物ぐらいにしか扱ってなかったんだからその罰が当たったんだ。これで家康も直茂父子がいかにひどい連中で、そして誰がその被害者であるのかって事を認識してくれただろう。



 ……って何?

 高房は療養の為に肥前への帰国を認められたけど、直茂には何もなし?

 直茂のバカヤローって言う高房の気持ちが、あそこまでやっておきながら家康に伝わらなかったって言うの?



 何ぃ、直茂がこれは自分たちに対する当てつけじゃないかとか抜かしてるだあ!?


 全く、どの口でそんな事が言えるんだか、直茂の頭を叩き割ってその中身を見てみたいよ!直茂の厚顔無恥ぶりもいよいよここに極まったって言う感じだね。


 挙句、そんなおごり高ぶった世迷言を聞かされてなお家康の気持ちはまるで変わらなかった。

 なぜ変わってないと言えるかだって?変わってればあの父子に何らかの処分を下さない訳がないんだから。


 そして家康の無関心ぶりと直茂勝茂父子の専横ぶりに絶望した高房は肥前に帰って来るなり、ボクとまともに対面する事もせず、そして傷の療養に努める事もせずにかつその傷から来る病気に苦しむ事もなくこの世を去った。


 わかりやすく言えば、改めて自害を図り今度は成功したって言う事だ。


 戦が起きれば年寄りも若者も関係なく死んじゃうよ。けれど戦が起こらなくなったこの時代で、病気がある訳でもない、いい物を食べている二十二歳がなんで死ななければいけないって言うんだい?


 高房の子供の事はもう知らない。


 とりあえずいる事はいるらしいけどさ、だってそんな乳飲み子に何ができるって言うんだい?結局高房が当主となった時と何も変わりゃしないじゃないか。高房の弟はそれなりの年だけど、長子相続が崩してはならない道理として定着しつつある中高房の子を差し置いて弟を当主にできるかい?それをやれば直茂と同じになっちゃうじゃないか。














 それでこんな絶望の中にあるボクを、直茂や勝茂は無論家信も叔父上たちも家晴も全く助けてくれやしない。


 殿様と言う立場を持ちながらここまで蔑ろにされ続けたボクを可哀想だとか思わない訳?


 親族や身内はずいぶんとたくさんいると言うのに誰もボクの事を顧みてなんかくれない。まるで荒野に一人置き捨てられたような気分だ。


 いや、どちらかというと皆が楽しんでいる盛大な花見の最中で一人だけお酒も団子ももらえず彷徨っていてその上混ぜてくれないかとかお酒を欲しいとか言っても拒否される、それどころか拒否の返答すら返って来ないような状態だ。

 そんな花見が楽しいかい?

 そりゃ最初から一人で花を眺める気ならばそれでいいけど、周りが飲めや歌えやの大宴会をしている中一人だけ全くその輪の中に入れないような花見が楽しい訳ないだろう。

「うるさいんだよ、折角の花見を台無しにする気か」

「そうだな、正直迷惑なだけだな」

 高房の命がけの抗議も直茂や家康にはこの程度の次元にしか受け止められていないのだろう。

 酒に酔い痴れ花を楽しんでいる最中に不粋な事を言いやがってとばかりに、この二人の年寄りは分別ある人間の命がけの行動をまるで顧みていない。


 本来、その花見と言う泰平の世を味わうべき行事の主催はボクであってしかるべきだ、と言うよりボクでなければいけないんだ。

 なのに直茂はその日時から細かい段取りまで全てを自分一人の手で勝手に決め、勝手に実行している。そして本来それは政家の権利だろあるいは俺たちの権利だろと言うべき連中は何も言い返すことなく嬉々として直茂が注いだ酒を飲んでいる。

 そんな中ボク一人が叫んだ所で誰もその話を聞いていない。それでも大地主である秀吉や家康が直茂を怒鳴りつけてくれればいいのだけど、二人とも直茂の方がうまく取りしきれるからとか言って怒鳴りつけるどころか褒め称えている。本来の主催者であるボクの立場なんか全く顧みていない。

 幼い時から見せられ聞かせられてきたそれとは全く別物だけど、地獄というのが辛く苦しい世界であるって事はよくわかっている、今以上に辛く苦しい世界ってのがどれだけの物か想像もつかない。多分この世を離れた後にボクが向かうだろう地獄では、辛く苦しい責め苦の日々が続き誰に救いを求めてもお前が悪いのだと鼻で笑われるだけなのだろう。


 ……あれ、今の状況とどう違うんだ?地獄に行くと決まった訳じゃない?敵味方問わず多くの人間を死なせてきたボクには他に行き場がない事ぐらいはわかってるよ……。




 ボクがこうなったのも全部直茂が悪い、いや直茂の専横を何とも思っていない弟や叔父たちも悪い、その状態を何とも思ってない家康や秀吉も悪い。


 いや一番悪いのは父を殺して龍造寺をこんな状態に追い込んだ島津の連中だ、そしてその島津の兄弟、いやジジイ共は七十五や七十だってのに未だにピンピンしているらしいし。




 もしかしてあのジジイ共、直茂と通じてたんじゃないのか?


 いやそうだ、そうに違いない。


 直茂と組んで父を殺し、直茂に龍造寺家を奪わせてボクを馬鹿にする気だったんだ。


 覚えてろ、直茂、そして島津のジジイ共。




 お前らの子孫に絶対繁栄なんかさせてやらないからな……。

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